笑っていてほしいから

@mazurapu

笑っていてほしいから

「……そろそろかな」

 パソコンの画面に映し出された“枠”が動き出す。

『……えっと、あれをこーして……それをあーして……』

 まだ待機画面なのに、慌ただしい声が聞こえてくる。

『ごめんみんな、ちょーっと待ってねぇ……。あっ、今のうちに発声練習しておくから! プルルルル〜』

「ふふっ」

 思わず顔が綻ぶ。

 みやびちゃんらしいな。



 みやびちゃんは、物語や創作が大好きな配信者だ。

 みやびちゃんとは、みやびちゃんがデビューした直後に知り合った。配信題材や配信内容が近かったこともあり、そのままどんどん仲良くなって、あれよあれよと言うまに今では2人でルームシェアをするほどの仲になった。

 私の方が少し活動開始時期が早かったこともあり、私のことを“お姉ちゃん”と呼んで慕ってくれている。


 ちなみに、ルームシェアをしていることは、リスナーのみんなには秘密にしている。

 そんなわけで、定期的にするオフコラボのときに、『てぇてぇ……!』とコメントされたりするけど「ごめん。そんな次元じゃないんだよね……(ドヤ)」と、心の中でマウントをとったりもしている。


 そして今日は、そんなみやびちゃんの活動2周年記念配信の日だ。


『……よし! みんなお待たせ! それじゃあ始めていくね!』

 ようやく本題に入るみたい。

 記念配信でも慌ただしいのが、むしろみやびちゃんの愛嬌を感じさせて、私は結構好きだけど。


 彼女は『ミヤビブリオ』という企画を開催している。

 簡単に言うと、みやびちゃんが事前にキーワードを選出して、リスナーのみんながそのキーワードを使った小説を作って投稿、そして投稿された小説をみやびちゃんが読み、配信で感想を話すというものだ。

 この企画には、毎回様々な人たちが参加している。趣味で小説を書いている人やアマチュアながらWebで連載している人、商業デビューしているプロ作家もいるし、この企画でしか小説を書かない人なんかもいる。まさに十人十色だ。

 ミヤビブリオの開催告知には、毎回多くの反応が寄せられていて、開催されるたびに盛り上がりが増しているようにさえ感じる。


 そして、みやびちゃんが投稿作品の感想を話し始めると、配信はどんどん賑わいを見せていった。


「みんな、楽しそう」


 企画に投稿された物語の数々。

 感想や賞賛を熱く語るコメント。

 そして、明るく元気で、それでいて心に沁み渡るような、みやびちゃんの笑い声。

 そこには1つの世界が広がっているようだった。


 1人の天才作家だけじゃ、この光景は作れない。

 言うなればまるで、物語が大好きな人たちが、みやびちゃんという指揮者のもとで作り上げた、オーケストラのようで。


 いや違う。


 オーケストラで使用される楽器は、他の楽器との重奏も想定されている。他の楽器との調和、すなわち他者との相互作用を意識しながら、奏者は練習を重ねる。

 対して小説は、基本的に作者1人によって構築され、かつそれだけで世界が完結している。他の世界との調和などは想定しておらず、ゆえにたとえ集まってもオーケストラで発揮されるような相乗効果はなく、本来なら集まる必要のないもの。

 でもそれが今、ミヤビブリオという舞台に集まって、こんなにも温かく心踊る世界を形成している。


 きっと、思いは一緒だからだ。

 そして、みやびちゃんの思いが、みんなの思いをくべる火種になっているんだ。


 みやびちゃんの、創作そして物語への情熱に、みんなの思いが加わって、個々の物語だけでは成しえなかった、強く輝き燃え上がる炎を作り上げているのだ。


 それは誰にでもできることじゃない。

 創作企画を行う上でやるべきこと、必要なことはたくさんある。でも何より、共感を得られなければ、企画は成立しない。


 でもみやびちゃんは、それをやってのけた。

 みやびちゃんの物語を愛する思いは、みんなの心を動かすほどに、強く温かく光輝くものだったんだ。

 きっとそれが、今日の配信で証明されている。


 そんなミヤビブリオは、もしかしたら、オーケストラよりも──


「なんて、ね」

 さすがにこれは、贔屓がすぎるかな。

 でも私は、こっちの方が好き。それははっきり言える。


「すごいね、みやびちゃん」


 そんな彼女の熱に、私は惹かれていったのかもしれない。





 それは、流れ星を見つけたようだった。

 SNSのタイムラインに流れてきた感想が目に入ったとき、この子となら楽しく話せそう、そんな予感が身体中を駆け巡った。

 すぐにプロフィール欄にあったリンクから彼女のチャンネルに飛んで、感想を語る配信のアーカイブを見て、予感が確信に変わって。

 タイミングを見計らうのも億劫で、スマホで動画投稿サイトを開いたままパソコンでDMを送って。

 チャットで会話して意気投合して、程なくしてコラボ配信をして、オフで会ったりまでして。そしたら一緒にルームシェアまで提案してくれて。


 みやびちゃんと過ごす日々は、本当に楽しくて。

 こんな日々が、ずっと続けば良いのにって思っていた。


 でも今は、そうじゃなくて。





 みやびちゃんの部屋の前に立ち、コンコンと優しくドアを叩く。

「みやびちゃん? 入るよ?」

「あ、お姉ちゃん! いいよ〜!」

 ドアを開けると、ゲーミングチェアに座っている、達成感を滲ませたみやびちゃんが出迎えてくれた。

「みやびちゃん、お疲れ様」

「お姉ちゃん、配信見てくれてありがとう〜! コメントもありがとね!」

「ふふ、かわいい妹の晴れ舞台だもの。配信、とってもよかったよ」

「やった〜! ありがとう〜!」

「実はね、2周年を迎えたみやびちゃんのために、シナモンロールを買っておいたの! 冷蔵庫にあるから、あとで食べてね」

「ほんとっ!? 嬉しい! 私シナモンロール大好き! さすがお姉ちゃん!」

 花が咲くような満面の笑みに、胸がいっぱいになる。

 でも今からその笑顔が崩れてしまうんだなと思うと、胸が苦しくもなる。

「じゃあさっそく食べ──」

「それはダメ。シナモンロールは明日にして、今日はもう寝てね?」

「……え?」

 みやびちゃんの顔がみるみるこわばっていく。どうやら、笑顔を貼り付けている私の真意に気付いたみたい。

「えぇと……もうちょっと、ほんの30分だけでいいから……」

「ダ〜メ。許しません」

 食い下がるみやびちゃんにピシャリと言い放つ。

 みやびちゃんの顔を見ていると胸が痛むけど、今日だけは譲れない。


「…………ごめんっ! これだけやったら終わるから!」

「あっ、ちょっ、だめぇッ!」

「うわぁっ!?」

 みやびちゃんの両腕と両足、そして腰に、ピンク色のが巻き付き、みやびちゃんの体を宙に浮かせた。


 何を隠そう私の触手だ。だって私、イカだからね!


 触手は程よい力加減で、みやびちゃんの体に巻き付かせている。腕と足だけだと、腕が重力で痛んでしまうから、体を支えるように腰にも触手を巻き付かせた。

 みやびちゃんの体を傷めてしまったら、本末転倒だからね。

「うぅ……」

 体をジタバタさせていたみやびちゃんだったが、諦めたように動きを止めた。

 私は触手を動かして、私の目の前にみやびちゃんが来るように移動させた。


「みやびちゃん。みやびちゃんが体調を崩したら、ファンのみんなが心配しちゃうよ?」

「うっ、でもぉ……」

「それにね」

 みやびちゃんの目をまっすぐ見て、想いを込めて、言葉を投げかける。

「私だって、悲しいな」

 みやびちゃんの目が見開かれた。


 これが私の本心だ。

 ファンの人たちのことなんてどうでもいい。

 ただみやびちゃんには、明るく元気に笑っていてほしいんだ。


 それなのに。

 今日の配信の準備に駆られ、みやびちゃんは、日に日に弱っていった。


 大きなクマ。

 少し枯れた声。

 力なく垂れた耳。

 そして、疲れを取り繕うことすらできない、弱々しい笑み。


 そんなみやびちゃんを見るたび、胸が締め付けられるほど苦しかった。


 みやびちゃんには、明るく元気に笑っていてほしいのに。


 仕事になんて行かないでほしい。

 配信なんてしないでほしい。

 本なんて、読まないでほしい。

 気付けばそんな思いが渦巻いていた。


 でもそんなこと、絶対に言えない。


 私が好きになったのは、配信で思いを発信してしまうほどに、物語が大好きなみやびちゃんだから。

 みやびちゃんの物語に対する情熱を否定してしまったら、私の愛するみやびちゃんや、そんなみやびちゃんとの出会いを、否定してしまうことになる。


 そして何より、みやびちゃんと一緒にいられなくなってしまう。


 それは絶対に避けなければならない。みやびちゃんに拒絶されてしまったら、それこそ本当に、どうにかなってしまうだろうから。

 そんなリスクを冒すくらいなら、私の気持ちなんて押し殺してしまえばいい。

 そうやって、今日まで過ごしてきた。


 でも今日は、記念配信が終わってひと段落した、今だけは。

 少しくらい、わがままを言ってもいいよね。


「みやびちゃんには、元気に笑っていてほしいの」

 覗き込むように視線を合わせ、みやびちゃんの頬に触れる。

 肌と肌が触れ合う熱から、ほんの少しでも、この想いが伝わってほしいと、そう願いながら。


「お姉ちゃん……」

 みやびちゃんの顔に申し訳なさが滲んでいく。

 少しは伝わってくれたみたい。

 そういう優しいところも、みやびちゃんの素敵なところなんだよね。


「……分かった。今日はもう寝るね。お姉ちゃん、心配してくれてありがとう」

「ううん、いいの」

 やっと観念してくれたみやびちゃんを、ゆっくり椅子に下ろす。

 さてと。私のわがままを聞いてくれたんだから、寝支度くらい、手伝ってあげなきゃね。

「それじゃあ──」

「その代わり」

 気を抜いていた私の耳に、予想外の言葉飛び込んできた。

「お姉ちゃんも、一緒に寝よう?」


 毛布へ伸ばしかけた腕が固まる。


「えっと……私はまだ作業が──」

「お姉ちゃんだって、ここ最近、ずっと作業してたでしょ?」

「それは……」

 痛いところを突かれ、思わず目を逸らす。

 確かにここ最近は、みやびちゃんの記念配信をリアルタイムで視聴するために、作業を詰め込んでいた。

 みやびちゃんの前では取り繕っていたつもりだったけど、ダメだったみたい。

 やっぱり、みやびちゃんは優しいな。


「でも大丈夫! だってイカだか──」

「私だって……!」

 みやびちゃんの真に迫った声に、思わず顔を向けた。


「私だって、心配だったんだから……!」

「っ……」

 私を射抜いたみやびちゃんの輝く瞳に、息を呑んだ。

 その瞳には、今にも溢れてしまいそうなほど、涙が溜まっていて。


 申し訳なさとともに、それ以上の愛おしさを感じてしまう。

 記念配信でも見せなかった涙を、私のために、見せてくれるんだね。


 あぁ、やっぱり。

 じゃ、苦しいな。


「………………」

 それでも。


 喉元まで迫り上がってきた想いを押しとどめて、笑顔を取り繕う。


「……ありがとう。心配かけて、ごめんね」

 声は震えていない。大丈夫。


「じゃあ今日は、一緒に寝よっか」

 私はみやびちゃんの頭に手を乗せて、ゆっくりと左右に動かした。

 心地よさを感じてくれたのか、みやびちゃんの目が細められ、溜まっていた涙が一筋溢れる。


 この想いはしまっておこうと思う。

 たとえこの想いに胸が焦がれても。やがて苦しみが、痛みに変わっても。


 だって、みやびちゃんには、笑顔でいてほしいから。


 きっと私の想いは、みやびちゃんを困らせてしまう。

 だから私は、“お姉ちゃん”を続ける。それがみやびちゃんを、笑顔にしてくれると信じて。


 だからね、みやびちゃん。


 いつまでも、明るく元気に、笑っていてね。


 私は撫でるのをやめて、みやびちゃんの頭から手を離した。

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