ある看護師さんとの思い出

七乃はふと

ある看護師さんとの思い出

 まだ呼ばれるまで時間あるみたいですね。どうです、僕の話を聞いてくれませんか?

 あれはそう、高校三年の冬でした。


 その頃、僕は大学受験の為、猛勉強の日々でした。都会に憧れていたから、高校に入ってすぐ東京の大学を目指すことにしたんです。

 でも、思い通りに行くはずもなく、模試は毎回合格点ギリギリ、自分より成績が低い生徒に追い抜かれたり、同じ時期を過ごす友人達がのほほんと過ごしたり遊んでいるのを見て、心が折れかけていた頃でした。

 このまま受験勉強を続けるか、それとも実家の豆腐屋を継ぐか。常時、頭の中で天秤が揺れ動くんで勉強も身に入らないどころか、寝ても悪夢を見て飛び起きる日が続いてたんです。

 ある日の深夜。ダラダラと勉強をしていると、急に寒気に襲われましてね。これは風邪かもしれないと。すぐに布団に潜り込んだのですが、一足遅かったようで。

 朝になったらひどいものでした。体は寒いのに頭だけものすごく熱いんです。そんな状態で学校に行けるわけもなく、家で寝ているんですが、頭の中では今後どうするか考えてしまうんです。

 模試の成績をこれ以上落としたくなかったんで、布団の中で参考書を開いて最初の一行見た途端、目の奥を殴られたような衝撃に襲われて、これはまずいと瞼を閉じたんですが、どんどん全身から力が抜けていくようでした。

 悪化させて何日も休みたくないので、親に頼んで病院に連れて行ってもらおうとしたのですが、二人とも共働きで不在。

 仕方なく一人で病院に向かいました。


 そこは、一言で表すと戦場でしたね。

 風邪の大流行だったのでしょう、狭い待合室は鮨詰め状態。体調の悪い人たちは数少ない椅子に座ろうと、開いた途端に病人とは思えない勢いで向かう様子は、まるで椅子取りゲーム。

 大人も子供もゲホゲホ席をして、お互いの咳がうるさいと終わることのない口論が、延々と続いていました。

 僕は受付で症状を伝えたところで、ほぼ力尽きてしまい、椅子に目もくれずに壁に寄りかかっていました。暖房と人熱れでサウナのようになった待合室で咳き込みながら待っていると、周りの席と口論で三半規管をやられたのか、目の前がグルグル回転して……、


 その人が現れたんです。


 大丈夫ですか、と声をかけてくれたのは女性の看護師さんでした。僕は体力も限界で受け答えする力もなく、首を縦に振るだけでも億劫に感じるほどだったんです。

 看護師さんに体を支えられて、空いている椅子に座らせてもらうと、彼女も隣の椅子に座り、僕の背中をさすりながら症状を聞いてきたので、熱と咳が酷いことを話しました。

 すると急にこんな事を聞いてきました。

「狐がなぜコンコンと鳴くか知ってますか」

 熱で頭が朦朧としていたのですが、何故か理由が知りたくなって看護師さんの方を見たんです。それが合図だったかのように話し始めました。

「昔、村の近くで子狐が泣いていました。母狐とはぐれてしまい、人里に降りて来てしまったのです。鳴き疲れ動けなくなった子狐は、近づいてくる大きな足音に気が付きました。正体は人間の男の子。家の近くで鳴き声を聞いて様子を観に来たようでした。『コンコン言ってたのは狐だったのか。お母さんキツネはいないの?』人間に話しかけられても子狐に返事する術はありません。不意に男の子は家の中に引っ込むと、手に黄金色の包みを持って出てきます『これお店の油揚げ、食べなよ』子狐はその包みを恐る恐る一口。すると今まで食べたことのないサクサクとした食感の虜となり瞬く間に完食し元気を取り戻し、鳴き声を聞きつけた母狐と出会える事ができました。とさ」

 何故そんな話をしたのか尋ねると、看護師さんは何も言わず、僕の首筋に伸ばした指を当ててきたんです。

 人差し指はひんやりとしていて、咳で熱を放つ喉に心地よくて、次第に瞼が重くなってきて、気づいたら受付の人に名前を呼ばれていました。

 診察した先生が驚くほど、風邪の症状は何処かへ行ってしまい、体力も回復した僕は無事希望の大学に合格できたんです。


 その出来事があってから、看護師さんに会っていません。名前も知らないし、僕も上京したので。

 でも喉風邪をひいた時だけは病院に足を運ぶようにしているんです。

 もしかしたら、また会える、かもしれないから。

 ……じゃあ、お大事に。


 

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