ちょっとここまで、宇宙(そら)散歩

小惑星もお菓子

ちょっとここまで、宇宙(そら)散歩


〈西暦2080年、都内〉

「いいなあ、ヒロくん、また当たってるじゃん……」


 昼休みのカフェのモニターに、最近話題の〈宇宙そら散歩〉のCMが流れている。

 青い惑星を背景に、銀色の文字が踊る。


 ──太陽系を、宇宙ドローンのリアルタイム映像で散策

   地球にいながら、今すぐ土星のリングへ!

   さぁ、あなたも一緒に〈宇宙そら散歩〉!!



 向かいの席で同僚のヒロくんが、当選メールの端末画面を見せびらかしてくる。

「今夜、オリンポス火山の登山ツアーだってさ。抽選倍率三十五倍か……相変わらず激戦だな」


「いいなぁ。この前、土星リングのやつも行ってたよね?」

「おう、行った行った。薄い輪の上をドローンで散歩して、最後に輪くぐりして土星本体に近づくやつ! いやー、あの迫力はヤバかった。

 しかも毎回、コース取りが変わるっていうじゃん。あれはきっと何回見ても飽きないわ」


 彼の笑顔と、後ろのCMの映像が重なる。


 金星の雲の渦を俯瞰して、白い小型ドローンがゆっくり飛んでいる。

 この雲や雷光は、実際にドローンが見た映像だ。


「で、お前は? まだ見たことないの?」

「……うーん。毎晩応募はしてるんだけど、倍率がねぇ……」


 ヒロくんの問いに、僕は苦笑いで返す。


------------


 「この世に光速を超えるものはない」という物理の常識が、今世紀半ばにひっくり返った。


 どんな「物質」も、光速の壁を越えられない。

 これは今でも変わらない。


 でも、「信号」だけなら特殊な量子状態とやらで、光速の壁を超えられることが実験で証明されたのだ。


 これが超光速通信〈FTLリンク〉の始まりだった。


 長い間、宇宙軍がこの技術を独占していたけれど、数年前から民間にも降りてきた。

 そして今年、大手通信企業と衛星ベンチャーが組んで、こんなサービスを始めた。



 ──太陽系のあちこちに、FTLドローンを飛ばしました。

   ドローンが見た映像は、光速を無視して瞬時に地球へ送られてきます。

   あなたはVRシェルに座るだけで、今この瞬間の宇宙を散歩できます。


 それが、宇宙そら散歩だった。


 もちろんドローンを現地まで運ぶのは、今まで通り亜光速の無人船だ。

 地球から出発して、何ヶ月も何年もかけて、惑星、準惑星、そのほか主要な天体に何千機ものドローンをばら撒き、太陽系の主要部をカバーしたそうだ。


 そして、各天体に配置されたドローンの映像が、遅延なしに地球へ送られてくる。

 僕らは、それをクレジットを払って観るだけだ。


------------


 仕事帰り、ITビルの最上階にある「宇宙そら散歩ラウンジ」の看板が、いつものように目に入った。


 手元の端末で検索すると、今日のライブ映像一覧がランクごとに表示されていた。


<本日のおすすめ>

 ---◆本日は、全ツアーとも満席です(抽選制)◆---


〇ノーマルクラス

 金星:表層硫酸雲のサーフィンツアー

 火星:オリンポス火山の登山ツアー

 木星:大赤斑の散策ツアー

 土星:リングの周遊ツアー

〇プレミアムクラス

 火星:マリネリス大峡谷とタルシス3山縦走ツアー

 木星:極域オーロラとガリレオ4大衛星観望ツアー

 土星:衛星タイタンとエンケラドスの軌道周遊ツアー

   ・

   ・


 いくつかは動画の切り抜きサイトで数秒間の映像を見たことがある。

 でも、抽選制のライブ枠は相変わらず激戦だ。


 キャンセル待ちも入れているが、めったに空きは出ない。


「今夜も、無理か…」


 そう呟いたところで、端末が震えた。


 差出人:〈宇宙そら散歩〉事務局

 件名:【当選のお知らせ】木星:大赤斑の散策コース30分


「え?」


 思わず、その場で立ち止まる。

 画面を開くと、昼にヒロくんに見せられたのと似た文面が並んでいた。


『〈宇宙そら散歩〉キャンセル待ちへのご応募、ありがとうございます。

 今夜20時開始の「木星:大赤斑の散策ツアー」に当選いたしました。

 今回の倍率は————』


「……マジか」 声が漏れた。


------------


 ビル最上階の受付で、個人IDと当選コードを伝えると、スタッフがにこやかに頷いた。


「当選おめでとうございます。ご利用は初めてになりますか?」

「はい。動画でしか見たことなくて」

「承知しました。開始前に、注意事項を説明させていただきます。あと散策中は、座席から立ち上がらないようにご注意くださいね」


 案内されたポッドブースは直径三メートルほどの球殻状で、内側全面が高精細モニターになった宇宙そら散歩専用のVRシェルだった。


 中央の椅子に座り、腰をベルトで固定する。肘掛けに腕を置いて、握りこぶし大の操作ボールに手を添える。

 このボールで、視る方向を変えたり、映像をズームしたりできる。



「では、FTLドローンに接続する前に、操作と注意事項のご説明を……」


 スタッフは慣れた口調で、説明事項を読み上げる。


 現地のドローンとの接続は、すべて一方向。

 こちらからドローンの挙動をコントロールすることはできない。


 できるのは、全周映像の視点の向きを動かすことと、一部をズームで拡大することだけだ。

 また、惑星での稲妻の直撃など、予測不能な事態が起きた場合は、急に接続が切れる可能性があること。

 気分が悪くなったら、肘置きのブザーボタンを押すこと。


「はい、大丈夫です」


 僕が答えると、VRシェル内部が淡く光りだした。

 視界の端に、カウントダウンが現れる。


 ──接続まで、10、9、8……。

 その数字を眺めながら、ふと考える。


 今この瞬間、木星の大赤斑の上空で、ドローンが浮かんでいる。

 僕のいる東京から、木星までは、ざっくり数億キロ。光速で何十分もかかる距離だ。

 なのに、ドローンの見た映像は、遅延なしでこのVRシェルに届くらしい。


「……理屈を考えたら負けだな、これ」


 半分呆れながら呟いた瞬間、カウントがゼロになった。

 視界が、急に変わった。


 最初に飛び込んできたのは、色の洪水だった。


 オレンジ、赤、茶色、そして白。ぐるぐると渦を巻きながら、どこまでも続く巨大な模様だ。

 右側からゆっくりと、膨らんだ巨大な楕円形——大赤斑が、こちらをギョロリと見返すように視野に入ってきた。


 思わず息を飲む。


『木星:大赤斑の散策ツアーへようこそ』

 穏やかなガイドの声が、耳元で響いた。


『現在、あなたの視点はドローン5012号機に接続されています。いま、木星の大赤斑の西端上空約三百キロメートルをゆっくり周回しています』


 身体は、VRシェルの椅子に固定されている。

 でも、目と耳が、完全に別の場所に連れ去られていた。


 低く、地の底からわき上がるようなうなりが聞こえる。

 椅子からも微細な振動が伝わってくる。雷鳴と気流のうねりすら感じる。


 巨大すぎて、感覚がおかしくなる。

 ドローンのゆっくりとした移動が、まるで雲の上を散歩しているような錯覚を生む。


「……これはもう、ホントに宇宙を散歩しているみたいだ」

 思わず、声が漏れた。


『このあと、雷雲の近くまで寄ります。稲妻が苦手な方は、目を閉じても構いません』


 数秒後、視界の右側が、まぶしい光で弾けた。

 思わず目を細めるほどの閃光。そのあと、腹の底に響くような重低音。

 椅子が、ズン、と強く震えた。


------------


 ツアーの三十分間はあっという間だった。

 視界がふっと暗くなり、目の前に「おつかれさまでした」の文字が浮かぶ。


 言葉にしようとして、うまく出てこない。

 数億キロ先で今起きていた景色が、あまりにも近すぎた。


 木星ツアーの余韻が消えないまま、僕は次のツアーにも応募した。

 どうせまた落ちるだろうと思っていたのに、今度は拍子抜けするほど簡単に当選した。


 ——火星・マリネリス大峡谷の夕暮れ散歩。


 受付で手続きをすませ、VRシェルに入る。

 接続のカウントがゼロになると、視界はまた一瞬で切り替わった。


 目の前には、赤い谷が広がっていた。


 火星特有の薄い大気の風──というより、ほとんど無音に近い乾いた振動が、椅子を通して伝わってくる。

 谷の向こうでは、薄い大気が夕陽の光を散らし、青い霞を作っていた。


『現在、あなたの視点はドローン4052号機に接続されています。いま、火星のマリネリス大峡谷の上空十五キロメートルをゆっくり西に進んでいます。夕方のため、火星名物の「青い夕暮れ」が前方に見えています』


 深さ数キロもある、巨大な谷をゆっくり進む。

 ただそれだけなのに、胸が高鳴った。


 赤い地面に走る細い模様や、風で削られた地形が、無言の存在感を持って目の前に迫ってくる。


「……静かすぎる」

 思わず声が漏れた。


 しばらくすると、上空に二つの点がゆっくりと動いているのが見えた。

 火星の衛星、フォボスとダイモスだ。

 地平線すれすれから見え始め、ゆっくりと上空を横切っていく。


 木星は迫力が圧倒的で、火星は孤独感が美しいと感じた。


------------


 次に当選したのは、木星の衛星、エウロパの氷原だ。


 接続した瞬間、茶色と青色の縞状の地表と無数の亀裂が目に入った。


『エウロパの氷原は、現在最も人気の高い宇宙パズルの地域です。氷原の亀裂模様だけで、どの地域か当てるゲームが流行っています』


 ガイド音声に誘われ、僕は周りを見回した。


 白。青。紺。茶。

 光の角度で色が変わる。

 同じように見える割れ目も、幅や走り方が違う。


『……上級者は、割れ目の枝分かれの形や角度で場所を当てるそうです』


「異常だな……」

 笑いつつも、僕は心のどこかで僅かに焦っていた。


 「当てたい。亀裂の違いを見極めたい」

 宇宙をもっと近く感じたいと思った。


------------


 そうして、僕はこの散歩に完全にハマった。


 金星の硫酸雲の嵐。

 水星の灼熱と極寒の地表。

 タイタンのオレンジの空。

 冥王星の独特なまだら模様の地表。


 どれもが、自分の人生に突然追加された異世界の散歩道だった。


 けれど、ある日の帰り道だった。

 ふと思った。


(……生命感の無い世界ばかりで、つまらないな)


 その瞬間、胸の奥に「生命の星」という言葉が浮かんだ。

 僕は特別プランを申し込んだ。


 ——地球版ドローン散歩「南の島パック」。


 少し前までは、なぜわざわざ地球の景色を見たいのか、と不思議に思っていたやつだ。


------------


 接続した瞬間、視界がまぶしい光に満たされた。


 青い空。

 エメラルドグリーンの海。

 遠くまで広がる白い砂浜。

 そして、椰子の木の影。


 ふくらはぎに風があたり、まるで波に触れているような演出までされている。


『地球・南太平洋のドローン3075号機に接続されています。波打ち際をゆっくりと散歩します』


 規則的な波の音が、静かで優しい。


 火星の無音とは真逆だった。

 木星の轟音とも違った。


 ただの波音。

 けれどその音が、胸に刺さった。


「……ここが、一番だな」


 宇宙全部を旅したような気分になっていたけど、

 僕が本当に惹かれていたのは、このシンプルな海の景色だった。


 ここに来ればよかったんだ。

 地球の景色なんて、と思ったけれど、こんなにも綺麗だったじゃないか。


 おとぎ話の「青い鳥」だったか——

 旅の果てに、もう知っているはずの日常が一番だったと気づくやつだ。


 僕は、VRシェルの中で、海辺にいる自分を感じながら、もう何も考えたくなくなった。


 どれほど見ても飽きない海だった。


------------


『……時間です。セッションを終了しますか?』


 突然、人工的な声がした。

 あまりに世界観が美しすぎて、解除案内が唐突に感じた。


「……いや、まだ」


 そう答えたとたん、視界に一瞬ノイズが走った。

 砂浜の色が揺れる。空の青がざらつく。


 そして、映像が距離を取り始めた。


 砂浜が、どんどん遠ざかる。

 ドローンの視点が後ろに浮き上がっていく。


(え……?)


 いつもと違う終わり方に、違和感が広がっていく。

 その瞬間、映像が切れた。


------------


 白い壁。乾いた空気。

 低重力特有の、足に残らない体重感。


 気づけば、僕はVRゴーグルをした状態で、狭い部屋の椅子に座っていた。

 無機質な備品が配置されている殺風景な部屋だ。


 部屋の窓から見える光は、青白く鋭い。

 ——地球の太陽ではなかった。


 視界の端で、AIの通知が点滅していた。


【FTL通信:地球・南太平洋ドローン映像 接続終了】

【ローカル環境:ケンタウルス座α星A軌道 居住区101】


 思わず、苦笑いする。

 地球で過ごしているつもりだった。


 南の島の砂浜を本当に味わっているつもりだった。

 「ここが一番幸せだ」と胸を打たれた。


 なのに僕は——

 こんな遠い星で、地球の海を眺めていたのか。


 窓の外には、暗い宇宙と、青白く瞬くケンタウルス座α星A。

 太陽から約四・三光年ほど離れている。


 FTL通信網を銀河系内に拡げるためのプロジェクトで、ここに来るのに地球年で四十年ほどかかった。


 FTLのネット通信があれば宇宙のどこにいても同じさ——そう思って、現地メンテナンス要員に立候補したのだ。


 しかし、ここは居住可能惑星などもなく、さほど広くない宇宙船で暮らす日々だ。

 潮風は吹かず、樹々の匂いもなく、生き物の音もない。


 だけど、さっきとは違った。

 胸の奥が、温かくなった。


 僕は再生停止したばかりのVRゴーグルに手を触れ、


「……帰れない。それだけだ」

 と呟いた。


 鮮やかな諦め。

 手の届かないものを、ただ美しいと認めるだけの虚しさ。


 窓の外には、感情の起伏を持たない恒星が、変わらない光を放っていた。


 また今度、あの海を再生しよう。

 それだけで、僕はまだここで生きていける気がした。




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