誰がための謙虚
小狸
掌編
*
「ご自身の小説を『拙作』と表現するのを、
「『
「拙いと分かっている物語を我々に見せるくらいだったら、初めから何も見せないでください。」
「あと、自分の作品に自信の持てないあなたは、小説家に向いていません。」
「今すぐ創作を辞めなさい。」
*
その日仕事が休みだったので、一人で近くの映画館で映画を観ていた。
原作は、漫画である。
その漫画家さんは、数年前のデビュー作が大ヒットして、アニメ化、劇場映画化などが決定している超人気作の作者である。
私が観に行ったのは、その超人気作ではなく、その方が読み切りとして掲載した全く別の短編を、映画にしたものであった。
良い映画体験であった。
超人気作はバトル漫画だけれど、その短編は全く
素直に、感動してしまった。
そんな帰り道のことである。
下り電車の到着を待つ間、スマホで、さる小説投稿サイトを開いた。
私は、趣味で小説を執筆している。
いや、執筆している、なんて言い方は
そして私は、
最近は色々と便利になったもので、サイトの方で小説投稿が完了すると、Xの画面に飛び、「新しく公開しました」という定型文とURLまで用意されているのである。
まあ要するに、Xと小説投稿サイトの両方で、自作の宣伝をしている――ということである。
宣伝とは言ったものの。
閲覧数も評価数も「いいね」の数も感想の数も、伸びること、来ることはほとんどない。
そこは前述の通り、承知の上である。ちょっとズレた小説、変な小説を書いているという自覚はある。万人受けしない、スカッとしない、異世界転生しない、裏での努力が報われない――そして、それでも良い。そんな小説を、主に掌編小説を中心に書いて、書き続けている。
書き始めたのはおよそ4年前になり、総作品数は380――くらいだっただろうか。これも大したことはない。もっと長く書いている人はもっと多く作品数があるし、何より数で競っているわけではないのだ。
なぜ書き続けているのかと問われると自分でも疑問だが、辞め時を見失ってしまったから、というのが一番にあると思う。
で――である。
そんな中で、私が一人で動かしているXの
ここで冒頭に戻るわけである。
「…………」
このメッセージを見た時の、私の感情はというと。
何だこいつめんどくせぇ。
である。
確かに私は、「おすすめレビュー」などを頂戴した際、「拙作」という表現を用いている。ただ、それは決して作品の価値を自ら下げているというわけではなく、へりくだった言い方をしているだけなのである。
きっとこのDMを送ってきた人は、それが分からなかったのだろう。
単純にそうだと、私は思っている。
私は創作において自信を持っていないと判断され、そんな作品が、作者が、あってはいけないと、この人は思っていて、その考え方を、まあ言い方は悪いが、私に強要しているのだろう。
自信、ねえ。
難しい言葉である。
逆に、全ての自作に「自信作です」「傑作です」と言って
それに実際、読者を期待させる効果はあるのかもしれないけれど、必ずしもそのご期待に沿えるとは限らない。
かといって。
今までの弁明を180度ひっくり返してしまって申し訳ないのだが、「拙作」という表現をあまり積極的に使用したくないと思っている私も、実はいるのである。
なぜなら今回のように、あらぬ誤解を受けるからである。
自信を持てと言う人と、謙虚になれと言う人がいる。
前者は拙作という表現を嫌い、後者は傑作という表現を嫌う。
何が言いたいかというと、人それぞれだということだ。
どちらに合わせるかは、自分で決めることであって、誰かにどうこう言われる筋合いはないのである。
ちなみに。
私は今日も、予約しておいた小説を投稿する。
(「誰がための謙虚」――了)
誰がための謙虚 小狸 @segen_gen
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