レトロペトロール!

吉野緑青

第1話

 鮮やかな三原色が眩しい町並みの道を、好奇心溢れる眼で見つめながら、ぐわんぐわん酩酊しているバスに揺られている。

 昭和の日本のような懐かしい風景に似ている。道の両側は服屋や料理屋などでごった返していて、どこかぼんやりした空気感があり、異国のような気がした。ここは異国だった。

 わたしたちは聞き慣れない言語を耳に入れながら、一番後ろの席で窓外を見ている。珍しい景色ばかりで、ずっとスマホで動画を撮っている。眼に焼き付けた方がよいとも思ったが、この眼で見たこの瞬間を記録としても残しておきたかった。

 眼からの情報も漢字ばかりが入ってくる。日本の漢字の使い方と違うところもあるが、なんとなく意味は分かる。同じアジアの漢字の国なので、少し安心する。漢字は踊るように眼に飛び込んでくる。

 バスの運転が荒く、運転手が酒でも呑んでるんじゃないかと疑いたくなるくらいバスは酩酊し、窓外の景色はべったり絵の具で塗られた抽象画のようにぼんやりしてくる。

 わたしたちの眼がおかしくなったんじゃないかと思えてくるくらい町の景色は絵画になった。さながら天然の美術館であった。ゴッホの絵を数多見ることができた。

 少し中心地を離れると、ゴッホの他にもブリューゲルのバベルの塔もあった。廃墟のような巨きなマンションが何棟も屹立していた。あんなところに人が住んでいるのか、と思った。この国はお店ばかりで人はどこに住んでいるのだろうと思っていたが、中心地から離れたところにあるバベルの塔に皆住んでいるのであろう。

 バスが停まると、頭が恐竜の女性が一人乗り込んできて、わたしたちの席の左前に座った。わたしたちは驚いたが、周りは誰も見えていないように無反応だった。この国には当たり前のように頭が恐竜の女性がいるんだなあと、余りにもの溶け込み具合に塗り潰されるように受け入れた。頭が恐竜の女性は物凄く目立つはずなのに、なぜだか魂が希薄なように、存在感が余りなかった。

 次のバス停で停まると、今度は頭が恐竜の男性が一人乗り込み頭が恐竜の女性の隣に無言で座った。すみません隣いいですかの一言もなかったし、なんならバスの乗客は少なく他の席も空いているのに。そしてやはりわたしたち以外の、運転手も含めて乗客はまるでここは恐竜頭人間と共生している世界のように日常的光景になっているみたいだった。

 わたしたちは途轍もなく驚いていて驚き過ぎて無反応になっていた。余りにも周りが無反応なのもわたしたちは驚いてはいけないような気がして固まってしまった。

 恐竜頭女性と恐竜頭男性はよく見ると違う種類の恐竜の頭をしている。恐竜頭女性はトリケラトプスで恐竜頭男性はティラノサウルスだ。

 恐竜頭女性と恐竜頭男性は姿勢良く前を向いて綺麗に陳列されている商品のように並んで座っている。二人とも大人しく静かだ。物凄い存在感のはずなのに、どことなくこの世のものでない静けさがある。

 バスは運転が荒く振動音が煩いのに、恐竜頭人間が座っている空間だけが現在ではなく恐竜時代にタイムスリップしたかのようにその時代の空気が流れているのか、穏やかである。

 わたしたちは恐竜頭人間をずっと見てしまっていて、恐竜頭人間は微動だにしないし穏やかな空気を纏っているので、なんだか眠くなってきてしまった。わたしたちの意識が飛びかけたとき、

「レトロペトロール!」と奇声が聞こえてきた。奇声の方を見ると恐竜頭女性が立ち上がりマイクを持って踊りながら「レトロペトロール!」と歌っている。恐竜頭男性も立ち上がり踊りながら見たことのない楽器を演奏している。メロディはどことなく懐かしいレトロでポップな音楽である。

 親しみやすいメロディだが歌詞は異国語でありなにをいっているのか分からないけれど、「レトロペトロール!」のところだけはっきりと聴き取れる。やけに耳に残るフレーズだった。わたしたちはどのような意味なのだろうとスマホで検索すると〈化石燃料で現代の世界を駆け抜けろ!〉と表示された。

 わたしたちは「どういうこと?」「分からない」といい合っていると、

「レトロペトロール!」と他の席からも聞こえてきて、乗客の一人がハモり始めた。するとまた他の乗客もハモり出し、終いには酔っ払い運転手まで歌い出した。運転手は上手くハモれてなくズレていたけれど。次第に皆気持ちよくなり、巨きな声を出しハーモニーは巨きくなり(運転手は一番巨きな声だけどかなりズレている)、バスの中は熱狂したライブハウスのように大合唱となった。

 わたしたちは困惑の中にいたけれど、周りの雰囲気に呑み込まれ、恥ずかしさを通り越して、わたしたちも「レトロペトロール!」と巨きな声で綺麗にハモって大合唱に加わった。バス内は狂騒的な絶大なるグルーヴが発生し独自の一体感が生まれ最高潮へと達した。

 瑞芳駅に停まるとわたしたち以外の歌っていた乗客はすべて降り、わたしたちだけをバスに残し、九份へと向かう観光客でバスは満員になった。先程までのライブでの大盛り上がりが嘘のようであった。ライブ後のライブハウスのがらんどうのようにさみしかった。恐竜頭人間の方を見ると本当に恐竜頭人間なんていたのかと疑いたくなるくらい跡形もなかった。ただ恐竜時代の空気が僅かに残っているだけだった。

 さみしさを埋めるように信じられない数の観光客が乗り込み、立ってる人もおりぎゅうぎゅう詰めのバスからは日本語も聞こえてきた。

「一昨日の夜、台北市内を走る275号バスが終点に帰ってこなかったらしいよ」

「知ってる。昨日どっかの貯水池でバスが見つかったらしいじゃん」

「そうそう、なぜか死後数日後の運転手と乗客の遺体があったらしいね」

「テレビニュースでは、通常ではありえない方向に進む軌跡が記録されていて、行き先表示が真っ黒で、途中で乗ってきた乗客の姿が記録になかったらしいって報道してたよ」

「怖ー、幽霊に乗っ取られて冥界へ向かったんじゃないの」

 夢のようなライブから一転して、厭なざわざわがバス内を満たし始めた。

 わたしたちもストレスを感じ始めていた。九份に着くまでは、分かってしまう日本語が聞きたくもないのに耳に入ってしまい、異国語だったからこそ異国を感じられたところもあり、日本語が安心を生むというより、聞きたくなかった。

 わたしたちはこのバス自体が冥界へ向かう幽霊バスなのではないかと怖くなってしまった。どことなく周りの乗客がうっすら透けているような気がした。


 相変わらず運転の荒い酩酊バスはぐねぐねの山奥に入っても揺れは酷く、立っている人は倒れないよう踏ん張っているかと思ったらふわふわと衝撃を吸収しているかのように揺れをいなしている。

 山奥に入り道は鬱蒼とひっそりとしてきて、青墨色のような色合いとなり、冷んやりした空気が流れている。

 本当に冥界へ向かっているのかと思い始め、この揺れも運転手が酔ってるんじゃないかと疑っていたけれど、実は幽霊に乗っ取られているのではないかと感じられてきた。道はちゃんと合っているのかと不安になってきたので、グーグルマップで目的地に九份老街と入れ、現在地から経路を見てみるとちゃんと九份老街までのルートを進んでいたので、少し安心した。

 記憶が途切れたように九份老街にバスが着いて、ずっとざわざわいいながら観光客たちはバスをぞろぞろと降りてゆく。日本語がよく聞こえていたけどそれ以上に韓国語がよく聞こえてきて、九份は韓国人にも人気なんだと思った。前にいた韓国の若い女性アイドルグループのような四人組がたのしそうに喋っていると思ったら急に険悪な雰囲気になり一言も喋らなくなり四人ともスマホを見始めた。

 わたしたちは最後尾だったので一番最後にバスを降りた。バスの運転手に「謝謝」と中国語でありがとうと感謝の気持ちを伝えた。するとバス運転手は、

「レトロペトロール!」と調子外れな巨きな声で歌って返した。

 わたしたちは最後の乗客であり、誰も聞いていなかったので、わたしたちだけに聞こえた幻聴だったのかは分からない。

 日本に帰ってから聞いた噂ではあるが、台北市内を走る275号バスの貯水池で死後数日後の遺体で見つかった運転手は、この運転手だったらしい。

「レトロペトロール!」とは〈化石燃料で現代の世界を駆け抜けろ!〉という意味だと思い出したが、頭の中ははてなが駆け巡るだけだった。


 九份老街に入ってゆくとさみしさと活気の両方を感じる独特な雰囲気があった。くねくねと長いお土産屋や食べ物屋が両端にずっと続いている観光街の道が伸びている。入り口付近に有名な水出し珈琲とタピオカミルクティーが売っていて、わたしたちはそれぞれ買って呑んだ。「レトロペトロール!」の大合唱を歌ったために喉はからからだったのでごくごくと呑み、すこぶる旨かった。

 観光客はごった返していて様々な言語が飛び交い坩堝のような道を歩いていると、なぜか人がいない空間が生まれ、少し休憩して、先程買った飲み物を台北で買った布のドリンクホルダーから取り出し喉を潤す。

 根底にさみしさがあって無理矢理活気付いているような観光街を歩いていると、どこからともなくオカリナの音色が聞こえてきた。聞き覚えがあるメロディが流れてきて耳を澄ますと千と千尋の神隠しの「いつも何度でも」だった。音色の方へ歩いてゆき眼をやると、焼けた肌の白髪ミディアムボブのおじさんが超絶技巧で「いつも何度でも」をオカリナで軽快に奏でている。

 オカリナを売っているお店の実演販売であるが、オカリナの演奏が凄まじい。わたしたちはオカリナの音色につられ、お店に入った。所狭しとオリジナリティ溢れる色の鮮やかな生き物の形をしたオカリナが数多置いてあった。生き物の形をしたオカリナはどれも命が吹き込まれているように今にも動き出しそうな躍動感を感じる。

 わたしたちは一気に惹き込まれ、実演販売の凄まじい演奏と陳列されている生き生きとしたオカリナの誘いで、お土産に買ってゆこうと店内を物色し始めた。

 犬、猫、熊、兎、梟などの定番の生き物たちに紛れて、恐竜のオカリナが置いてあった。

 この国では恐竜は身近な存在なのかなと、なにか恐竜のいい伝えとかあって、崇めてたりするのかなと思った。

 バスでの出来事もあり、色々欲しい生き物のオカリナはあったけれど、やはり恐竜のオカリナを買うしかないというこころに決まり、こんがり白髪ミディアムボブ超絶技巧おじさんに、オカリナを落として割らないように丁寧に渡した。

 おじさんはなにか秘密のメッセージでも受け取って返してきたかのように自身の恐竜のオカリナで「レトロペトロール!」を超絶技巧で奏でた後、わたしたちに恐竜のオカリナをそれぞれトリケラトプスとティラノサウルスを首にかけてくれた。

「謝謝」と中国語で感謝を伝えると駄目押しのように「レトロペトロール!」を奏で見送ってくれた。

 店を出て少し小道に入ると味のある革製品の店を見つけ、店内を見るとわたしたちの日本で飼っているミロという犬似の革製のキーホルダーが売っていた。焼けた肌の白髪ミディアムボブのおじさんが店番をしており、ミロ似の革製のキーホルダーを渡すと「名前入れれますよ?」と提案してきたので、革製のキーホルダーに超絶技巧で「ミロ」と名前を刻印して貰った。「謝謝」というと「レトロペトロール!」と静かだが力強く返ってきた。

 店を出て本通りに戻ろうとするも道が消えてしまったように戻ることができなくなってしまった。出鱈目に小道を進んでゆくと急に霧深くなり見知らぬ荒野で薄に囲まれている。さらに進むと小さな池が現れ鳥獣戯画に出てくる蛙や兎のような石像が数多並んでいる。わたしたちはアートギャラリーのようなところだと考え、写真や動画を沢山撮った。日本に帰って写真と動画を見返そうと思ってもここの場所はなぜだかどこかへいってしまったかのように写真や動画が見つからなかった。

「ある日本人男性が九份を訪れたとき、突然姿を消し、地元の警察や消防が総勢二百人で捜索するも手がかりが見つからなかったらしいよ」

「三日後、男性は九份から約十キロ離れた海岸線の道路を一人で歩いているところを発見されたんだってね」

「男性は失踪中の記憶がほとんどなく、『気がついたときには見知らぬ荒野で薄に囲まれて彷徨っていた』といっていたらしいよ」

「九份周辺にはそんなところないのに、冥界にでも迷い込んじゃったのかな」

 バスに乗っているときの厭なざわざわを思い出した。

 わたしたちはもしや冥界に迷い込んでしまったのかと焦り始めグーグルマップを開き現在地を見たが、確かに九份老街の小道にいた。グーグルマップを頼りに道を進んでゆくとなんとか本通りに戻ることができた。スマホというテクノロジーの発展に感謝した。昔はスマホなどなかったから道に迷い込んでしまい二度と戻れなくなり行方不明となる人がいたのだろう。わたしたちはスマホというテクノロジーに頼ることで海外旅行ができたのである。現代人のわたしたちは昔の人のようにスマホがなかったらもしかしたら冥界へ迷い込み戻ってくることができなかったのかもしれない。

 本通りに戻ると、辺りは群青色に包まれており見上げると数多の赤く灯る提灯がぞろぞろ連なって、観光客でごった返した坂道の石の階段は一歩間違えるとドミノ倒しで危険であるが、千と千尋の神隠しの油屋のモデルとなった阿妹茶樓という茶屋の建物が聳え現れ、広がる景色は雨上がりの街のように煌めき、圧巻の夜の九份を幻想的に映し出した。

 夜も遅くなりバスがなくなる前に帰ることにした。バス停にゆくと近くに懐かしいようなプリクラの機械があり、わたしたちは記念にプリクラで写真を撮った。わたしたちは恥ずかしいような気持ちを持ちながらたのしく撮った。すぐに印刷されたプリクラの写真には、花嫁花婿の格好をした恐竜頭のトリケラトプスとティラノサウルスになったわたしたちが写っていた。

 帰りのバスの運転手もどことなくゆきの酩酊バスの運転手に似ていた。


 九份のノスタルジックな水墨画のような景色を思い出しながら、蒸し暑いホテルまでの道を歩いていると、蘆雪の犬がいた。日本画から飛び出したような蘆雪の犬はすこぶるかわいかった。わたしたちはかわいいねといい合いながら写真を撮った。

 ホテルに着きわたしたちは「今日のバスでの出来事って本当だったのかな?」といい合った。

「恐竜頭人間いたよね?」

「いたよ。この国には恐竜頭人間がいるのは当たり前なんだよ」

「『レトロペトロール!』の大合唱凄かったよね!」

「あんな体験はなかなかできないよ! そうだ! 実は動画撮ってたんだよね」

 わたしたちはスマホを取り出し「レトロペトロール!」のライブ映像を見ようと写真アプリを開き動画を探したのだが、まるで「レトロペトロール!」のライブなど存在していなかったかのように動画がすこんと消えていた。わたしたちは記録が残っていないことにがっかりし、本当にあったことなのか自信がなくなってきたが、確かに体感として記憶としてわたしたちの体と頭が覚えていた。記録として残っていなくても得難い凄まじい体験の記憶がわたしたち自身にこびりついていた。もうそれでよかった。

 夢のような一日だったが、わたしたちは余りにも疲れており、恐竜時代に遡るくらい深く眠った。

 夢の中で、恐竜頭人間たちが「レトロペトロール!」と歌い踊っていた。

 眼を覚ますと〈化石燃料で現代の世界を駆け抜けろ!〉の意味が少し分かったような気がした。

 わたしたちは幽霊バスに乗って冥界へいっていたかもしれない。しかしすんでのところで助かった。異様に死者の気配を感じていた。化石燃料とは死者のエネルギーということなのかもしれない。死者があるからこそ生者がある。死者のエネルギーを使い生者は現世を生きているのだ。

 恐竜頭人間たちは既に死者であって恐竜たちのエネルギーというつまり化石燃料を糧に生きろということだったのかもしれない。

 午前四時に起き、身支度と荷造りをし、ホテルをチェックアウトした。MRTの駅までの道で赤と緑の傾いた二つのポストを見つけた。赤と緑の傾いた二つのポストは恐竜頭人間のトリケラトプスとティラノサウルスでありわたしたちであった。

 台北から桃園空港までのMRTではなんとか椅子に座ることができたが、向かい合わせの席で前の席と斜め前の席からは騒がしい程の韓国語のお喋りが聞こえ、やはり韓国人が多いなあと思っていると、突然険悪な雰囲気となり韓国の若い女性アイドルグループのような四人組は一言も喋らなくなり四人ともスマホを見始めた。

 桃園空港に着くと、後はもうお土産を買って帰るだけとなり、一抹のさみしさを覚えた。

 旅行というのはいつも幻のようなものだなと思うのだった。

 国際線の飛行機に乗るのに慣れておらず、手続き等に手こずり、搭乗時間ぎりぎりになり迷惑をかけてしまった。

 飛行機に乗り込み、一時間経っても発進しない。

 ピコン、ピコンとアナウンスが流れ、

「大変申し訳ございません。燃料切れのため出発が遅れております」

 ピコン、ピコン、

「大変お待たせいたしました。化石燃料の方を補給いたしましたので、出発いたします」

「化石燃料!」思わず声を出し、わたしたちは顔を見合わせた。

 わたしたちは大丈夫かと心配になり、日本にいるミロの革製のキーホルダーを無事日本に帰るためのお守りのように握り締め、こころの中で「レトロペトロール!」と叫んだ。

 化石燃料で現代の世界を駆け抜けたわたしたちは、冥界へ向かうような奇妙な旅を共有し、無事に日本へ還ってきた。

 そして、静かに、確かに、共に生きることを誓い合うのであった。

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レトロペトロール! 吉野緑青 @yoshinorokushou

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