異世界警察 Navy Dogs

天灯星

序章 こちら異世界警察オスティア支局捜査二課

第0話 道化師は夜に舞う

 異世界間における人および物品の往来を禁止する。

 それがこの次元世界における絶対のルールであった。

 だが、人が人である限り、それを犯す者は必ず現れる。

 犯罪は無くならない。

 だからこそ世界は、彼らをどこまでも追う者たちを用意した。

 〈Navy Dogs〉。

 これは世界の秩序を守るべく、日夜奔走する青き猟犬たちの物語である。

 


☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 


 「はぁはぁはぁ! くそ、どうしてこんなことになったんだ?!」


 獣人の男は追手から逃れるため、人気のない路地裏を必死に走っていた。


 男はディスカウントショップの店員だ。普段はエプロンみたいなユニフォームを着て、お客様に日用品を販売している。それが彼の仕事であった。


 今日もまたその一環で商談に臨んだだけ。そんな彼がどうして追われることになったのか。


 それはここが彼の住んでいた世界ではなく、別の世界すなわち異世界だから。


 男の今日の商談相手は異世界人であったのだ。


 ある世界の物品を無許可で持ち出し、別の世界で売る。それは公に認められていないことだ。


 もちろん、それは男も知っている。知った上で無視して、許可も得ずに販売しているのである。


 理由は単純、金だ。その方が高く売れるからであった。


 つまるところ、男が行っているのは密輸および密売であり、れっきとした犯罪だ。


 そして、それが犯罪であるのなら、当然それを取り締まる組織も存在する。


 「異世界警察が現れるなんて聞いてねぇぞ!」


 男は、ついさっきほど自分たちの商談をご破算にした連中へ文句を叫ぶ。


 異世界警察。この次元世界の治安を守ると豪語するやつらであり、彼や彼のお友達たちにとっての天敵であった。


 やつらに捕まった場合、下される罰は最低でも終身刑。だが、元値の百倍以上で売れるなら、つい欲を出してしまうのが人間というもの。男もまたその一人だった。


 「けど、まだだ。まだ、オレは終わっちゃいねぇ……!」


 この期に及んで、男は希望を捨ててはいなかった。


 確かに、捕まれば彼の人生はそれで終了するだろう。無機質な施設に死ぬまで押し込められ、無聊ぶりょうな生活を強いられることになる。


 だったら、どうするか。


 その答えは簡単だ。捕まらなければいい。そうすれば、手に入れた金で好きに暮らしていけるのだ。


 まずは、この世界を逃れる。そして、どこか静かな場所に身を隠すのだ。次元世界は広大で、一人の人間を見つけ出すなんて至難の業。連中だって暇じゃないだろうから、数年でほとぼりも冷めるだろう。


 「なんだ、そう考えれば全然問題ないじゃねぇか!」


 そう思えば、不安が和らぐ。心に広がった重苦しい黒雲がぱあっと消え去るような気分だった。体に活力がムンムンと湧いてくる。


 ただ、男は見落としていた。物事がそう上手くいかないからこそ、今こうなっていることを。彼の足をすくうものは、すでに彼の近くに忍び寄っていたことに。


 あと少し……! あの角を曲がりさえすれば、この世界へ転移したときと同じ手段が使える!


 距離にして、およそ十数歩。男にとっては一息で駆け抜けられる距離。そのことに安堵していた彼は、路地の物陰からにゅっと伸ばされた足に気がつかなかった。


 「う、うわ?!!」


 あっと思った時にはすべて遅かった。男は前のめりに地面へ倒れ伏す。


 「う、く、痛ぅ……?!」


 擦り傷と打撲の痛みが男をさいなんだ。だが、彼はすぐに立って走らなければならないことに思い出して、顔を上げる。


 すると、その男の額に突きつけられたのは鈍色をしたリボルバー拳銃。


 そして、


 「動かないで下さい」


 という鋭利な言葉であった。

 

 男はゆっくりとその拳銃の持ち主へ視線を向ける。


 濃紺色の制服に身を包んだミディアムショートの女であった。どこか幼さの残る顔立ち。それを見るに、警官になってから日は浅そうに男には思えた。


 「両手をゆっくりと上に挙げ、腹ばいになって下さい」


 しかし、見かけによらずその声は落ち着いていた。いや、落ち着きすぎであるとさえ言えた。


 一体どれだけの修羅場をくぐればこうなるのか。男はその声に気圧されたように、ゆっくりと手を挙げる。


 男が腹ばいになる間も、女性警官はその小柄なせいでひときわ大きく見える拳銃を真っ直ぐ構えたままだ。彼女は犯罪者を絶対に逃がさないという強い意志を秘めた黒い瞳で、男が不審な行動をとらないように監視していた。


 ちょうどそんな時だった。その現場に何とも場違いなテンションの高い声が響き渡る。


 「ちょっと~、カイリちゃ~ん! それはワタクシが見つけた獲物ですよぉ! 横取りは許可できませぇん!」


 その人物が登場するや否や女性警官の表情が変わる。それはまるで、魚の内臓と青汁とニガウリをシェイクしたものを無理やり飲まされたような顔であった。


 「……ジェスター、一体どこで油を売っていたんですか?」


 宮廷道化師ジェスター。そう呼ばれた人物が男の前に姿を現す。


 濃紺と白の菱形や線が交差するアーガイル柄が入れられた全身タイツ。頭にはピエロキャップを被り、顔の半分は笑顔を浮かべる仮面で覆われている。そのため、年齢や性別はわからないが、目の前の人物は確かに道化師というより他になかった。


 獣人の男の目が点になったのは言うまでもない。


 「もちろん、ここで油売ってました~。そのお値段、なんとたったの百メラン。お買い得ですねぇ!」


 「真面目に捜査して下さいっていつも言ってるじゃないですか! あなたは捜査主任なんですよ!」


 全く反省の色が見られない道化師に女性警官は声を荒げる。


 ん、ちょっと待て。いま何か聞き捨てならないことがあったような。


 捜査主任? こいつが?


 男はますます混乱する。捜査主任と言えばチームリーダーと言える立場だ。


 けれども、件の捜査主任とやらはとてもそうは見えない。どこからどう見ても、どこに出しても恥ずかしいちゃらんぽらんなやつにしか見えなかった。


 それを裏付けるように、部下らしき女性警官はその道化師をこき下ろす。


 「さっき現場に突入する時も、何にも言わずふらっといなくなっちゃうんですから! あなた本当に捜査主任としての自覚あるんですか?!」


 「あひゃひゃひゃ、ワタクシはできる上司なんでねぇ! ワタクシがいなくても優秀な部下たちがやってくれると信じて託したんですよぉ!」


 「それは丸投げって言うんです!」


 道化師を批判している内に、フラストレーションが限界を超えたのか。女性警官は普段からたまりにたまった鬱憤うっぷんを吐き出し始める。


 「大体優秀な部下たちって言ったって、みんな不安な人たちばかりじゃないですか! コーネンさんは筋トレの話をしだすと止まらないし、ルクスさんは誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けるし、キャロちゃんはすぐ寝ちゃうし、リーくんは会話にならないし……」


 「カイリちゃんは半人前ですしね☆」


 「むきいいいいいいいい!!」


 余計な一言を付け加えられてキレる女性警官を、道化師はますます面白がる。


 しめた、これはチャンスだぞ。


 二人から注目が外れたことで、男は起死回生の行動に打って出る。手を伸ばし、ポケットに潜ませていたものを取り出した。


 「おい、お前らこっちを見やがれ!」


 獣人の男が大声を出したことで、その存在を思い出したのだろう。


 女性警官は慌てて男へ向けて銃を構え直すが、その表情が凍りつく。


 「へっへっへ、嬢ちゃんはこれが何か知ってるようだな」


 女性警官の視線の先、獣人の男の手に握られているのは、スイッチのついた銀色の球体であった。


 手で軽く握り込める大きさの銀球。それは小型の爆弾だ。


 爆発すれば半径五十メートルは、跡形もなく吹き飛ばせるだろう。その爆弾のスイッチに男の指がかかっていた。


 「おおっと、動くなよ。俺は嬢ちゃんが何かするより早くスイッチを押せるんだぜ?」


 男はにやりと笑いながら、銃のトリガーに指を伸ばす女をけん制する。


 女性警官は額から汗を流しながらも、その銃口を男へと向けていた。


 誰もが息を呑む緊迫した状況。


 そんな中、それをぶち壊しにする気の抜けた声が辺りに響く。


 「ねぇ、カイリちゃ~ん。これなぁに~?」


 いつのまにやら男の傍へ寄ってきていた道化師は、爆弾を指でつんつんしながら女性警官に尋ねる。


 当然それに驚いたのは獣人の男だ。


 「ちょ、おま、お前?! こ、これが目に入ってないのか?!」


 そう叫びながら、男は道化師から飛び退る。


 同時に、無知とはかくも恐ろしいものなのかと戦慄していた。


 それがどれほど危険ものであったとしても、それを危険だと知らない人間はそれを恐れない。平然と火に手を突っ込み、毒を美味しそうに口にする。それは無知ゆえにこそできる蛮行なのだ。


 この道化師もまたそのたぐいだ。だからこそ、この道化師は爆弾を持つ男へ平然と近寄ってこられるのである。


 「ちょっと見せて下さいよぉ」


 「離れ、離れろってんだよ!」


 尚もすがってくる道化師を、男は腕で払いのけた。


 すると、道化師は子供のように頬を膨らませる。


 「ケチな人ですねぇ! これくらい、ちょっと見せてくれてもいいじゃないですかぁ!」


 「え? あ、あれ?!」


 男は動揺する。


 なぜなら、いつの間にか道化師の手に、男が持っていたはずの爆弾が握られていたのだから。


 ブワリ、と男の全身から嫌な汗が吹き出す。


 「か、返せ!」


 「いやん、お触りは厳禁ですよぉ!」


 獣人の男は慌てて道化師に飛び掛かるが、道化師は軽やかに彼を躱す。


 どれだけ男が掴みかかろうとしても、ひらりひらりと彼の腕から逃れ続ける。その様子はまるで風に舞う木の葉のようであった。


 「ヤバイヤバイヤバイ……!」


 男が焦るの無理はない。今の状況を例えるなら、核兵器の起爆ボタンをチンパンジーが握っているようなものであった。いつ暴発してもおかしくない。その事実に彼は恐怖する。


 「うわ~、キラキラして綺麗ですねぇ!」


 そんな彼の気持ちなどお構いなしに、道化師は爆弾をめつすがめつ眺めていた。


 「? これは何のスイッチでしょう?」


 それを見た女性警官は、ここに来て慌てだす。そして、道化師に向かってこの状況で一番言ってはいけない禁句を口にした。


 「ジェスター、それを押すと大変なことになるので押しちゃ駄目ですよ! いいですか、!!」


 それを受けた道化師は、全て理解したかのような満面の笑顔を浮かべる。


 「ポチッとな」


 そうして、道化師は微塵みじんもためらうことなくスイッチを押した。


 「あっ、押しやがったぞこいつ?!」


 「駄目って言ったじゃないですかぁぁぁぁ!! 何で押すんです?!」


 女性警官の嘆きに道化師はあっけらかんと答えた。


 「え、だってそっちの方が面白そうじゃありませんかぁ?」


 「面白いわけないでしょう、ばかぁぁぁぁああ!!」


 女性警官の叫びと同時に、爆弾が白色の光を放ち始める。その後、彼らのいた路地裏が白い閃光で埋め尽くされるのはあっという間であった。


 「ば、化けて出てやるぅぅぅぅ!!」


 ――ドォォォォォン!!!!!


 そして、女性警官の恨み言は轟音にかき消され、夜空に紅蓮の太華が咲いたのであった。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



 ああ、どうしてこうなったのか。


 白みゆく視界の中、女性警官である潮凪海里しおなぎかいりの心中は後悔で一杯であった。


 そう、あの日。あの日、私があんな選択をしなければ。


 そうして、カイリは走馬灯のように思い出すのだ。こんな風に酷い目に遭う遠因となったあの日のことを。

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