第4話 タコの絆とタコの未来について
カルネラのトラウマが解けた数日後、王宮の中央ホールに三人で集まった。
巨大なドーム状の空間は、紫と深紅の粘膜で覆われ、壁がゆっくりと呼吸するように脈打っている。
昨日までの殺気は完全に消え、代わりに穏やかな水の流れのような音が響いていた。空気はまだしょっぱいが、緊張感が抜けて心地よい温かさだけが残っている。
カルネラは新しい触手を優雅に動かしながら、俺に微笑みかけた。再生した触手は昨日より輝きが増し、吸盤の一つ一つが宝石のように完璧に整列している。
「里根、見て。この触手……完全に再生したわ。あなたの言った通り、新しい記憶で上書きされて、以前より強く、柔軟になった気がする」
ぱす絵は俺の隣に立ち、紫のドレス姿で目を輝かせた。
「姉様、本当に綺麗! 人間にすごく近くなったね! ねえ里根くん、再生した触手って、どんな感じになるの? もっと教えて♡」
俺はカルネラの触手を観察しながら答えた。
「タコの再生力はマジでヤバいんだ。触手が切れても、二、三カ月で神経も筋肉も全部元通りになる。再生した触手は失う前の経験を反映して環境に適応した形になることもある。例えば、危険な場所で切られたら、次はもっと頑丈になったり、隠れやすい色になったりする。あんたはその再生をたった数日で完璧にらやってのけたんだ! すごいよ! これで今までより人間界に近づけるようになったんじゃねえか?」
カルネラが興味深そうに触手を撓らせた。
「へえ……適応するのね。じゃあ、私の新しい触手は人間を恐れない記憶でできてるってこと?」
「まあ、そういうことだな。人間に対する恐れがあんたの擬態を不完全なものにしていたんなら、もしかしたら今ならミミックオクトパスみたいに擬態の達人になれるかもしれないぞ。ミミックオクオパスは皮膚の色素胞を自由にコントロールして、周囲に溶け込んだり、他の生き物に化けたりする。あんたも今なら完璧に人間に擬態できるじゃないか?」
カルネラは少し照れくさそうに触手を収め、俺に尋ねた。
「それで、あなたたちはどうするの? パシュラを連れて、人間界に帰るつもり?」
ぱす絵が即座に反応した。
「わからない。でも、できるなら里根くんとずっと一緒にいたい! ねえ、里根くん、タコって家族とか作るの? 私たち姉妹みたいにずっと一緒にいることってあるの?」
俺は二人を見て、少し考えてから答えた。
「タコは基本的に孤独な生き物だ。メスは卵を守る時だけ一時的に定住するけど、家族とか群れとか作らない。オスに至っては交尾したらすぐ衰弱して死ぬか食われるか。でも最近の研究で面白いことがわかってきてる。短期間なら協力行動を取る個体もいるんだ。餌を分け合ったり、情報を共有したり、時には他のタコと一緒に狩りしたりするんだ」
カルネラが静かに頷いた。
「……私はずっと孤独だった。そして、人間に近づけないコンプレックスで、パシュラの自由を妬んでいた。パシュラも孤独と恐怖から里根を無理やり連れてきたのでしょう?」
ぱす絵の触手が、少し恥ずかしそうに縮こまった。
「うん……私、怖かったの。姉様たちに殺されて里根くんと会えなくなるのが。だからここに閉じ込めて永遠に一緒にいようと思った。でも今は違う。里根くんがいてくれるだけで強くなれるってわかった」
ぱす絵が俺を上目遣いで見てきた。
「ねえ里根くん、タコでも絆みたいなものって作れるの?」
「ああ、作れる。状況次第でな。密集した環境だと、社会的なやり取りが見られるケースもある。お前らも、トラウマを乗り越えた今なら、姉妹で協力できるんじゃないか?」
カルネラの瞳に希望の光が灯った。
「協力……ね。じゃあ、私が女王を継いで、パシュラを副官にすればいい? 人間界とヴァレリアの橋渡しはあなたたちに任せるわ。里根の知識があればこの王国はもっとよくなる」
ぱす絵が俺の手を握り、少し不安げに言った。
「でも、私は里根くんと人間界で普通に暮らしたい。学校行ったり、デートしたり……タコの絆って、人間界でも続くの?」
俺は笑って答えた。
「続くさ。タコは学習能力が高いから、一度作った関係はしっかり覚えてる。お前が俺のそばにいたいなら俺もそれでいいよ。こんな不思議な体験ができたのはお前のお陰だし!」
カルネラは優しく、姉らしい笑みを浮かべた。
「私はここに残って王国を守る。あなたたちは自由に生きて、時々帰ってきてくれれば十分。里根とパシュラがいる限り、ヴァレリアはいくらでも変われるわ」
ホールに紫と深紅の触手が絡み合い、穏やかな大きな渦が巻き起こった。触手同士が優しく吸盤を合わせ、まるで本当の抱擁のようだった。
ぱす絵が俺にぎゅっと抱きついてきた。
「タコの絆、ちゃんと教えてもらっちゃった。里根くん、ありがとう♡」
俺は照れながら言った。
「ああ。でも、毎日触手でぎゅうぎゅう締め上げるのは勘弁してくれよ。人間界じゃ変態扱いだぞ」
三人で笑い合った。深海の底で、珍しい平和な時間が長く流れた。
◆
気がつくと、俺たちは再び体育館裏に立っていた。夕暮れの空は美しいオレンジ色に染まり、遠くで部活動をしている生徒たちの声が聞こえる。地面は普通のコンクリートに戻り、もう濡れていない。風が少し冷たく、ぱす絵の髪が揺れる。
ぱす絵は人間の姿。
制服に眼鏡、長い前髪を掻き上げながら、少し寂しそうに俺を見た。腰のあたりに、ほんのわずか紫の光が残っているのが見えた。
「里根くん……帰ってきちゃったね」
俺は彼女の隣に腰を下ろし、夕陽を見ながら答えた。
「ああ。カルネラ大丈夫かな? 新しい触手で女王としてやっていけるかな?」
ぱす絵が微笑んで頷いた。
「うん。カルネラ姉様のことだから、完璧に女王としてやっていけてるはずだよ。もう争いはない。でも……里根くん、タコの未来ってどんな感じなの? 私たちヴァレリアのタコはこれからどうなるんだろう?」
俺は空を見上げて、いつもの調子で答えた。
「タコの未来って、実はすごく面白いんだぜ。知能は高いし、適応力は抜群。地球上で数億年生き延びてきた。お前らヴァレリアのタコはもっとすごい。人間界と異世界の深海を行き来できるんだから進化の最先端だろ。トラウマを乗り越えて姉妹で協力するなんて人間界のタコじゃ珍しいけど……それがお前らの強みだ!」
ぱす絵が目を輝かせて、俺に寄りかかってきた。
「進化の最先端? もっと詳しく教えて♡ タコって、環境が変わっても生き延びられるの?」
「ああ。深海から浅瀬に移っても、温度や圧力が変わっても適応する種がいる。皮膚の色素胞をコントロールして擬態したり、知能で問題を解決したり。カルネラみたいにトラウマを再生で克服するのも、広い意味で適応だ。お前も人間界で暮らしながらヴァレリアを守るんだから最高の進化形だよ」
ぱす絵がくすっと笑って、眼鏡を直しながら言った。
「里根くんは本当にタコのこと大好きだね。私も、タコのことも里根くんのことも……大好き」
彼女の頬が少し赤くなり、瞳に紫の光が一瞬揺れた。触手は出てないのに、ヌルリとした温かい感触がまだ俺の頬に残っていた。
ヤンデレかと思ったらただのパープル・オクトパス・ハリケーンだった件 佐松奈琴 @samatumakoto
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