第8話 目盛りのない時間と、燃える幻肢 - 前編
『人類は常に時計という無意味な道具で、神の時間を測ろうとする。それはスプーンで大海を掬い取ろうとするようなものだ。
時計を見るな。それはお前を騙す。心臓の鼓動を聞け。それがまだ動いているなら、お前は運がいい』
——『
もし「絶望」という感情に物理的な単位を与えるとしたら、それは間違いなく「摂氏」で計算されるべきだ。
現在の絶望は、およそ氷点下十度。
この濃霧に飛び込んだ瞬間、
だが、すぐに悟る。ここは冷凍庫よりも百倍たちが悪い。
この寒さは皮膚を刺すのではない。骨髄を犯し、心臓へと直接侵入してくる。
陰湿な冷気は、まるで自意識を持った
背後から迫っていた、あの死を告げる金属の足音は消えた。
取って代わったのは、発狂しそうなほどの「静寂」だ。
風の音も、虫の音もない。枯れ葉を踏みしめる靴音さえも、見えない吸音材に貪り食われたかのように響かない。
――体中から悲鳴を上げる「痛み」を除いては。
痛覚だけが、ここでは唯一無修正(ノーモザイク)の、鮮明かつ高解像度な体験として増幅され続けている。
「……おい、
背中の少女に声をかける。自分がこの世界に残された最後の生物ではないことを確認したかった。
期待した返事はない。
ただ、首筋にかかる微弱で途切れがちな熱い吐息だけが、彼女がまだ死体になっていないことを証明していた。
二人は今、あの「
あるいは、あの巨大な黒い影へと這いずっていると言うべきか。
濃密な牛乳のスープのような霧の中で、あの塔だけが唯一の道標だ。触れられそうなほど近くに見える時もあれば、世界の果てにあるようにも見える。
この視覚的なバグは、
どれくらい歩いた? 十分? 二時間? それとも三日?
思わず腕時計に目を落とす。
秒針は2時14分で凍りつき、死んだ虫の死骸のようにピクリとも動かない。
ここでは、時間はその目盛りを失っている。
不意に、脳内のあの忌々しい「
脳深部を焼く激痛は、もはや単なる警告信号ではない。耳鳴りと共に
鼻腔の奥で、プラスチックが焦げる臭いが強烈に立ち込める。あまりの濃さに、鼻から煙が出ているのではないかと錯覚するほどだ。
視界を覆う霧の「質感」が変わった。
それは水蒸気ではない。灰だ。無数の燃え尽きた残骸が、雪のように空中に浮遊している。
彼は、この道を「記憶」していた。
かつて、この道は白亜の玉石で舗装され、両脇には歌う金属の花が咲き乱れていた。
長いローブを纏った学者たちが書物を抱えて行き交い、その顔には傲慢な笑みが張り付いている。
『
その奢った宣言が空気中に残響する中、蒼穹が耐えきれずに悲鳴を上げた。
雷鳴ではない。世界の外殻が暴力的に引き裂かれる音だ。
灰色の空が前触れもなく崩落し、醜悪で不揃いな亀裂が天を走る。それは癒着していない傷口を、乱暴にこじ開けたかのような光景。
裂け目からは黒い流動体が溢れ出す。空が腹を割かれ、腐敗した内臓を地上にぶちまけているかのように。
「ぐっ……うぇ……」
現実と幻覚の多重露光(オーバーラップ)が、強烈なめまいを引き起こす。
一瞬、足元の泥濘が白亜の石畳に見え、瞬きするとまた粘液にまみれた黒土に戻る。
「幻覚じゃねえ……こいつはクソったれの
乾いた嘔吐を繰り返し、手の甲で乱暴に目をこする。
この肉体――あるいはこの世界そのものが、彼のものではない記憶を脳に強制インストールしようとしている。
まるで廃棄寸前の旧式パソコンに、膨大なデータベースを暴力的に書き込んでいるかのように。
これがあの「ナニカ」の副作用か?
強制的な「
「……とま、って……」
背中の少女が、唐突に声を絞り出した。
「どうした? また怪物か?」
今の彼には、どんな些細な音も
「……おかしいの……」
少女の声は、夢と現の境界を彷徨っているように頼りない。「……ここの『
乱流?
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