第3話 心裡留保(しんりりゅうほ)

【登場人物】

A:車を売る男

B:車を買う女

C:法律に詳しいAの知人


【参考条文】

(心裡留保)

民法93条

意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。


 後半、Bがややメンヘラっぽくなるかもしれません......。

 それでは物語スタート。



A

「この車を100万円で売ってあげるよ。どう?」


B

「え、本当?それは安いね。じゃあ、買うよ」


A

「本当だよ。契約書にサインしてくれれば、すぐに渡すよ」


B

「ありがとう。じゃあ、サインするね」


 Aの意思表示は心裡留保で、本当は車を売るつもりはなかった......。





C

「おや、Aさん。その車を売ったんですか?」


A

「 いや、冗談だよ。Bにからかってやっただけさ」


C

「えっ、でも契約書にサインしてるじゃないですか」


A

「だから冗談だって。Bも分かってるよ」


C

「でも、民法93条1項によると、心裡留保によってなされた意思表示も有効なんですよ」


A

「えっ、マジ?」


C

「マジです。Bがあなたの真意ではないことを知らなかったり、知ることができなかったりしたら、契約は成立してしまいます」


A

「そんなの不公平だよ。Bは俺の友達だから、冗談だって分かるはずだよ」


C

「友達でも、契約は契約です。あなたは真面目に契約書にサインしたんですから、その責任を取らなければなりません」


A

「うわー、やばいやばい。Bに早く連絡しなきゃ」





 AはBに電話する。


A

「もしもし、B。さっきの車の話さ、冗談だったんだけど」


B

「冗談?でも契約書にサインしたじゃない」


A

「だから冗談だって。お前も分かってるだろ」


B

「分かってる?何が?」


A

「俺が車を売るつもりなんてないってことさ」


B

「そういうのは言わないでよ。私は本気で買おうと思ったんだから」


A

「本気?お前も冗談で言ってたんじゃないの?」


B

「違うよ。私はあなたの真意ではないことなんて知らなかったし(善意)、知ることもできなかったよ(無過失)。


A

「そういうこと言われても困るよ。俺は冗談だと思ってたんだから」


B

「民法93条1項によると、心裡留保によってなされた意思表示も有効だって書いてあるんだけど」


A

「民法?お前は弁護士か何か?」


B

「違うけど、ちょっと調べてみただけ。あなたは私に車を売る義務があるんだから」


A

「義務?そんなの無理だよ。1000万円もする車をたった100万で渡すわけにはいかないよ」


B

「そんなこと言っても、私は100万円払うつもりだったんだから」


A

「でも、俺は売るつもりじゃなかったんだよ。それに、お前に100万円なんてあるのか?」


B

「あるよ。今日中に振り込むから」


A

「えっ、マジで?」


B

「マジで。だから、車を早く渡してよ」


A

「うーん、これは困ったなぁ」



 Aは仕方なく車を渡すことにした。



A

「しょうがないなぁ。じゃあ、車を渡すよ」


B

「やった!ありがとう!」


A

「でも、本当に冗談だったんだからね。悪気はなかったんだからね」


B

「うん、分かってるよ。でも、契約は契約だからね」


A

「そうだね。契約は契約だね。でも、友達は友達だよ」


B

「そうだね。友達は友達だよ。これからも仲良くしようね」


A

「うん、仲良くしようね」



 数日後。

 再びAはBに電話する。



A

「もしもし、B。車の調子はどう?」


B

「あ、A。車はすごくいいよ。ありがとう」


A

「そうか。良かった良かった」


B

「でもね、ちょっと困ったことがあるんだ」


A

「え?何かあったの?」


B

「実はね、車を買ったお金が返ってきちゃったんだ」


A

「えっ、どういうこと?」


B

「あなたに振り込んだ100万円が、銀行から戻ってきたんだよ」


A

「なんで?」


B

「銀行に聞いたら、あなたの口座が凍結されてるって言われたんだ」


A

「凍結?なんでだよ?」


B

「わからないよ。何かやらかしたの?」


A

「やらかしたって...そうだ!」


B

「何?何があったの?」


A

「思い出したよ。先月、Cという奴に車を売ると言って、契約書にサインしたんだ」


B

「え?また冗談で?」


A

「そうそう。冗談でさ」


B

「でも、Cは冗談だと分からなかったの?」


A

「分からなかったみたいだよ。その後、Cから連絡が来てさ、車を渡せと言われたんだ」


B

「民法93条の心裡留保の規定により契約は有効に成立しちゃったんだね。それでどうしたの?」


A

「それで、俺は冗談だと言って断ったんだよ」


B

「そしたら?」


A

「そしたら、Cは怒ってさ、裁判を起こすと言い出したんだ」


B

「裁判!?」


A

「そう。裁判だよ。Cは俺に対して、契約不履行で訴えると言ってきたんだ」


B

「それで、どうなったの?」


A

「それでさ、先日、裁判所から仮処分命令が来てさ、俺の口座が凍結されちゃったんだ」


B

「仮処分命令!?」


A

「そう。仮処分命令だよ。Cは俺に対して、車を渡すまでの間、100万円を差し押さえるように求めてきたんだ」


B

「それで、銀行からお金が返ってきちゃったのね」


A

「そういうことだよ。ごめんね。お金を受け取れなくて」


B

「いやいや、大丈夫だよ。私はお金よりも車が欲しかったから」


A

「本当?ありがとう。優しいね」


B

「でもね、これじゃあ私も困るんだよね」


A

「困る?どうして?」


B

「だってさ、私もあなたに対して心裡留保をしてたんだよ」


A

「え?心裡留保?」


B

「そう。心裡留保だよ。私は本当はあなたの車を買うつもりなかったんだよ」


A

「えっ!?じゃあ、なんで買おうとしたの?」


B

「実はね、私はあなたが好きなんだよ」


A

「好き?俺のこと?」


B

「そう。好きなんだよ。だから、あなたと仲良くなりたくて、車を買うと言ったんだよ」


A

「そうだったのか。でも、それは心裡留保じゃないよ。それは恋心だよ」


B

「でも、私はあなたの真意ではないことを知ってたんだよ。あなたが冗談で言ってることを」


A

「となると、民法93条1項ただし書の規定により契約は無効になるけど......そもそも、なんで買おうとしたの?


B

「だって、あなたが私に車を売ると言ったら、私はそれを断れなかったんだよ。あなたに嫌われたくなかったから」


A

「そういうことだったのか。ごめんね。俺は知らなかったよ」


B

「いいよ。私も悪かったよ。でもね、今は違うんだよ」


A

「違う?どう違うの?」


B

「今はね、私は本当にあなたの車が欲しいんだよ」


A

「本当に?どうして?」


B

「だって、あなたの車に乗ってると、あなたのことを感じるから」


A

「感じる?どう感じるの?」


B

「あなたの匂いとか、あなたの好みとか、あなたの思い出とか。そういうものが車に溢れてるから」


A

「そういうものが?」


B

「そう。そういうものが。だから、私はあなたの車を手放したくないんだよ」


A

「そう言ってくれると嬉しいよ。でも、俺は車を売るつもりじゃなかったんだよ」


B

「わかってるよ。でも、私は車を買うつもりだったんだよ」


A

「どうしよう。これは難しい問題だね」


B

「そうだね。難しい問題だね。でも、私には解決策があるよ」


A

「解決策?何?」


B

「私と結婚してくれればいいんだよ」


A

「結婚!?」


B

「そう。結婚だよ。私と結婚すれば、あなたも私も車も一緒になれるんだよ」


A

「それは......」


B

「どう?考えてみてよ」


A

「考えてみる?本気で?」


B

「本気で。私は本気で言ってるんだから」


A

「そうか。じゃあ、考えてみるよ」


B

「よかった。ありがとう。じゃあ、また連絡するね」


A

「うん。また連絡するね」

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