なくなくなくなくなくない

後藤 蒼乃

第1話 一度目

 万智子は、はあーっと手に息を吹きかけた。

 ここは、故郷の北国とは違うけれど、それでも12月は寒い。


 (寒いのが嫌で、田舎を出てきたのに、これはなくない?)


 万智子は、思った。


 駅の構内。時計台の下。待ち合わせスポットとして多くの人がこの場所を利用する。今日も、時計台を囲むように人々が誰かを待っていた。


 夜の7時を過ぎた。日はとっぷりと暮れ、師走の慌ただしい人波の隙間から、ロータリーに並ぶタクシーのライトが明るく見えた。


 先月、29歳になった万智子は、(なんか思ってたのより違うな)と思っていた。

 自分が、まだまだ子供に感じられたからだ。


 毎年入って来る新入社員は、どんどん自分とは年が離れていくのに、どうも同い年のような感覚で接してしまう。如何せん、大人だなと感じる年下もいるくらいだ。

 情けない話だ。



 待ち合わせの時間は、とうに過ぎていた。

「遅い…」万智子は、小声で呟いた。


 スマートウォッチが、ぶるっと振動した。何か連絡があったのかも。

 左腕を上げて、コートの袖をまくり、画面を見る。

 よく知らないアイドルの結婚と妊娠を知らせるニュースの通知だった。


「ああ。もう!」


 万智子は、袖を素早く元に戻し、コートのポケットに手を突っ込んだ。

 カサカサとしたものが、指に触れる。


 朝、出がけに、喉がおかしい感じがして、テーブルの上にあった個包装の桃味の飴を放り込んだのを思い出した。

 今日は、慌ただしくて、結局、飴を舐めなかった。


 ポケットから取り出してみると、ピンク色の飴を包む半透明の小さな袋が、シワシワのよれよれになっていて、哀れで愛おしくなった。


 小袋を破り、無傷のまん丸い飴玉を、口に放り込む。

 乾いた口の中で、唾液が誘引され、舌の上でゆっくりと溶け出す。

 疲れた体に、甘さが沁み、鼻を抜ける人工的な香りでさえも、脳を癒す。


(落合くん、元気かな?)


 不意に頭をよぎって、万智子は自分に驚いた。

 そうだ。昔、落合くんから飴をもらったな。

 万智子は、ふふっと笑った。


 初めて男子からもらったプレゼント。10歳だった。あの時、落合くんは、万智子よりまだ背が低かった。

 おませだった同級生の落合くんは、歩いていた私の前に立ちふさがり、真っ赤な顔をして、飴の入った紙袋を差し出し、押し付け、逃げるように走り去った。


 その日はホワイトデーだった。

 だが、万智子はチョコを渡した覚えはなかったので、なぜの嵐に襲われたのだった。

 その後、無反応で数日過ごした万智子に、業を煮やした落合くんは、春のにおいがする風が吹き抜ける体育館裏に呼び出して、思いのたけを告白した。


「付き合う? いいよ」


 子供子供していた万智子は、付き合うという言葉の意味を友達になるくらいの感じで受け取り、あっさりOKした。

 だが、クラス中にいつの間にか噂が広まり、気まずい関係になった。耐えられなくなった落合くんは、1か月も待たずに、万智子を簡単に振ったのだった。


「ああ、そう」(落合くんって、気まぐれなんだ)

 万智子も、素っ気なく受け入れた。


 幸い、無傷だった。恋愛感情が無かったから。


 ———ふふふ。喉の奥で笑った。小さくなった桃の飴は、口の中を転がり、右頬と歯茎の間に挟まった。顎を動かし救出すると、奥歯でガリっと噛んだ。粉々になったそれは、溶けて消えていった。甘ったるさだけが、口の中に残った。


(またか……)


 記憶の糸の影を見る。

 退屈しのぎに、糸を手繰り寄せた。


 万智子と落合くんは、同じ中学に進学した。

 落合くんは、バスケ部に入り、急に身長が伸びた。すると、女子たちが周りで騒ぎ始めた。遠巻きに眺めていた万智子も、胸がざわざわするのを覚えた。


(なにこれ?)


 初めての感覚に戸惑い、気が付けば大好きな漫画も集中して読めなくなっていた。

 

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