部員ゼロからの逆転劇

 違和感がある。だが、周囲の同調圧力に抗えず、間違った選択を続けてしまう。そして、引き返すタイミングを逸するのだ。十代のころ、部活動という場所ではそれがよく起こった。

 私は中学、高校と音楽部にいた。高校の部では、同期は私を除けば女子が二人きりだった。三年生は男女合わせて五人。二年生は、なぜか一人もいなかった。部室の音楽室にはカーペットが敷かれ、私たちはそこでイタリアの歌曲やミュージカルを歌った。中学時代の体育会系とは対照的な、穏やかな時間だった。

 歯車が狂い始めたのは夏のことだ。体育祭のために、太鼓を叩く企画が持ち上がった。

 それは長胴太鼓という、寺社の祭礼で使われる重い和太鼓だった。部にはそんなものはないから、近隣の住民から借りることになった。車などない。二十キロ近い塊を、肩に担いで運ぶしかなかった。それも、歩いて三十分はかかる距離を、だ。

 祭りが終わり、返却の段になった。一年生三人でそれを運んだ。今の若者なら「先輩たちは何をしていたのか」と訊くかもしれない。だが当時は昭和の末期だ。上下関係は絶対だった。

 ようやく太鼓を届け、部室に戻ると、先輩たちは菓子をつつきながら談笑していた。私たちの顔を見るなり、労いの言葉もなしに、彼らは言った。「もう一つある。あれも運んでこい」

 私たちは従った。道すがら、二人の女子は終始、怒りを露わにしていた。その後、彼女たちが部を去ったのは言うまでもない。二年生が不在だった理由も、そのとき知った。彼らもまた、あの三年生たちと衝突して辞めていったのだ。

 私は不幸に対する耐性が強すぎた。おまけに部のエースでもあった。結局、私一人が残った。

 三年生が引退した後、私はたった一人で二ヶ月ほど部活動を続けた。顧問やOBは「新入部員を探せ」と催促してきた。何かがおかしい。そう感じながらも、若さゆえの無知と、根性がないというレッテルを貼られることへの恐怖が、私を繋ぎ止めていた。

 目を覚まさせてくれたのは、クラスメイトの一言だった。「辞めちまえよ」

 私は部長のもとへ行き、辞意を告げた。するとようやく顧問たちが動き出した。私の知らないところで五人の部員が集められ、一年の終わり、私は再入部することになった。今度は私が部長だった。

 そのとき出会った会計担当の女子は、後に公認会計士になった。パンデミックが起こるまで、私たちは毎年、確定申告の相談という名目で書類を広げ、遅い夕食を共にするのが恒例となった。あの時、一度辞める決断をしなければ、この縁もなかっただろう。

 部活動には科学的なメリットがある。運動部であれ文化部であれ、脳機能の向上は疑いようがない。コミュニケーション能力も養われる。何より、教室以外の居場所があることは、学生時代の私を大いに救ってくれた。

 だが、あのような事態に陥ったとき、それらの恩恵はすべて霧散する。それどころか、他で得られたはずの喜びや可能性を、自ら握りつぶすことになる。経営学でいうところの「機会損失」だ。

 私はいつも、ひっそりと辞める。だが、それは時として、周囲への強烈なシグナルとなる。

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