Assassin's File

「推し活」で人生が暗転する人、豊かになる人

 人間には推し活をする側と、される側の二種類がいる。どちらが良いというわけではない。だが、昨今の熱狂的な風潮を見るにつけ、自分の人生の手綱を握りつづけるためには、一度立ち止まって「リソースの管理」について考えるべきだと私は思っている。

 私自身について言えば、推しは三人ほどいるが、熱量はあえて低く抑えている。月の費用も四千円に満たない。世間では二極化が進み、月五千円未満の「ライト層」が五割を占める一方で、二万円以上を投じる「ガチ層」も三割近く存在する。私は意識的に、前者の場所にとどまるようにしている。

 そこには、これまでの経験から導き出した、自分を守るための哲学があるのだ。

 1. 推し活は「サードプレイス」か、それとも「依存」か

 精神医学の視点に立てば、推し活は自宅や職場に次ぐ「サードプレイス」として、人生に彩りを添え、ストレスを和らげてくれる。それは素晴らしい側面だ。

 だが、一線を越えればリスクに変わる。推しからの反応を渇望し、生活費を削ってまで投げ銭やイベントに注ぎ込む。それは脳の報酬系が暴走した、ギャンブル依存と何ら変わらない状態だ。アーティスト側の巧みな宣伝や、周囲の熱気に当てられて、「自分も返さなくては」と罪悪感を抱く必要はない。

 われわれのリソース――経済、心理、時間――には限界がある。自分を守るためには、「ここまでは出すが、これ以上は出さない」という明確な境界線が不可欠なのだ。

 2. 「能動的」な人生と、推し活というスパイス

 脳機能を向上させるという観点からは、休日の過ごし方は「受け身」であるより「能動的」である方が有効だと聞く。

 受け身: 動画を観る、SNSを眺める(消費)。

 能動的: 楽器を弾く、スポーツ、ゲーム、あるいは学習(創造と攻略)。

 推し活というものは、構造的に「受け身」の側面に偏りがちだ。だからこそ、私は自らの「能動的な活動」を生活の軸に据え、推し活はその動機づけのための「スパイス」として、適量に、つまり月四千円未満に抑えるようにしている。

 3. 「返報性の法則」の誤用と、義理という名のジレンマ

 社会で生きていく上で、この境界線を揺さぶってくるのが、知人からの勧誘だ。

 かつて私は、同調圧力や「返報性の法則」を信じ、義理を果たすために数十回ものライブや舞台に足を運んだ。しかし、そこにあったのは苦い経験だけだった。

 好みでもない音楽に加え、大半が恋愛相談のようなMC、そしてプロ並みに高額なチケット。

 一度顔を出せば、相手は自分が正当に評価されたと思い込み、職場まで売り物のCDを持って催促に現れる。

 結局、私が彼らのために投じたリソースに対して、彼らが私の作品や活動を支持してくれることは、ただの一度もなかった。

 4. 「好きなことで生きていく」という言葉の裏側

 芸術家が「好きなことを仕事にしたい」と口にするとき、その背後には、嫌な仕事に耐えて金を稼いでいる誰かが必ずいる。経済というものは、誰かの赤字が誰かの黒字になることで帳尻が合っている。そう考えたとき、やりたくない仕事で必死に貯めた金を、なぜ「好きなことだけをして楽しんでいる人間」のために供出しなければならないのか。それはもはや、自分に対する罰ゲームに等しい。

 結論:リソースを、本当に愛する場所へ

 私は今、以下のルールを厳格に守っている。

 経済・心理・時間の三つのリソースを死守すること。

 推し活は、心の底から尊敬できる相手だけに絞ること。

 決して、自ら定めた相場を超えないこと。

 人生を豊かにするための活動が、人生そのものを削り取ってしまっては本末転倒だ。自分を主語にした「能動的な人生」を歩むための燃料として、賢く、静かな距離を保って楽しむ。それが、大人の推し活というものだろう。

 この記事が、推し活や人間関係の距離感に悩む誰かにとって、何らかの助けになれば幸いだ。

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