憤怒の呼び子笛
長月瓦礫
憤怒の呼び子笛
それはいつも通りの朝だった。
スケジュールをスマホで確認しながら、霧崎はスーツに着替える。
『芸術に触れる機会がめっきり減ってしまった患者のために演奏会をやってほしい』
そんな連絡をもらってから、何度か八雲総合病院に赴いて演奏会をやっていた。
来られる人だけに来てもらう、そんな簡単な演奏会だ。演奏して終わるだけだから、お互いに気楽にやれていると思う。
その帰り道だった。
腹を殴られたと思った瞬間、ワゴン車に引きずり込まれた後、霧崎は人気のない廊下で目が覚めた。
体のあちこちが痛む。
汚れのない広い廊下、天井は点々と蛍光灯が並んでいる。
あたりは静まり返り、人の気配がない。
カバンはない。スマホも取り上げられている。
しかし、ポケットに笛はあった。呼び子笛だ。
今朝、たまたま目についたから持ってきたんだった。
笛としてはシンプルな作りだが、象牙と木が複雑に組み合わされており、細かい模様が彫られている。
留学先の誕生日祝いでもらって、その場で試しに吹いただけで終わったんだったか。
向こうでは常に持ち歩いていたが、こちらに戻って来てからクローゼットにしまい込んでしまった。
とりあえず、何の気はなしに笛を吹いた。
甲高く澄んだ音が廊下に響く。それだけだった。
「……さてと、ここは一体、どこなんだ?」
ところどころ痛むところはある。
しかし、頭は冷えてきた。笛があって本当に良かった。
笛を鳴らしながら、ゆっくり歩く。
なんだか鳥のさえずりのようにも思えてくるから、不思議なものだ。
しかし、返答はない。
正直、病院にあまりいい思い出がない。
どこか陰気臭いというか、絶対に逃げられないような印象を抱く。
ホラーゲームのやりすぎだろうか。
「……そうだ。八坂さんとゲーム実況やるんだった。断らないと」
つい先日、新しく発売されたホラーゲームを遊ぶ約束があったのをすっかり忘れていた。だが、断るためのスマホと時間を確認するための時計がない。
「こうなると本当に不便だよな」
廊下にいくつもカメラがあり、部屋はすべて固く閉ざされている。
関係者以外、立ち入ることができないらしい。
そうだとしたら、あそこに倒れていた俺はなんだったんだ?
まず、侵入者ではないだろう。誰かに連れてこられた記憶があるし、荷物が取り上げられている。
そのくせ、この笛には気づかなかったのか。ずいぶんと仕事が雑だ。
関係者でもないはずだ。廊下のど真ん中に置いておくわけがない。
ただ、被害者ではある。
こんな場所に無理やり連れてこられた上に、荷物まで盗られている。
あそこに倒れていなかったら、俺はどうなっていたのか。今の所、何も分からない。
そういえば、あの演奏会で値踏みするような目で見ている看護師がいたのを思い出した。思えば、初回からあんな顔をしていた気がする。
音楽が嫌いというわけではなさそうだ。
そうだったら、参加しなければいいだけだ。
熱狂的なアンチがいるならそもそも、あの条件を引き受けないはずだ。
何かをずっと探っているような顔だった。
そうだとしたら、何を考えていたんだろう。
音楽をやっているようには見えなかった。
他の仕事があるにもかかわらず押し付けられたとか、そんなところだろうか。
『そうか、こちらも姿は見えない……』
笛の音に続くように、会話がかすかに聞こえた。
扉を慎重に開けると、男がパソコンに向かって話している。
ヘッドセットをつけており、誰かと通話しているようだ。
ディスプレイがいくつも並び、テーブルにはキーボードやスイッチ、ケーブルなどが散乱していた。
金属製の棚は書類で埋まっており、ラベルだけでは中身も判別はできない。
『それでは、ご武運を……その豪運がいつまで続くかな?』
男はヘッドセットを外し、乱暴に立ち上がりって扉を開けた。
不機嫌そうに霧崎を見ている。
「……アンタ、あの病院の看護師さん?
よかった、他に人がいたんだ。
すみません、ここどこですか?」
「システムが落ちた理由はそれか」
息をつく霧崎とは対照的に、看護師は眉をひそめて笛を指差す。
「とりあえず、中にどうぞ。
このままだと監視が飛んでくるでしょうから」
「監視?」
彼は静かに霧崎を中に通した。
監視カメラの映像だろうか、ディスプレイには廊下や外の様子が映し出されていた。
「どうやら、その笛の音でシステムが強制的にシャットダウンされたようです。
もうしばらくすれば、復旧するでしょう」
「え、マジで? そんなことになってるの?」
「マジです。とりあえず、お茶でもいかがですか」
彼は紙コップにペットボトルのお茶を二人分、注ぐ。
一つは自分の手元に、もう一つは霧崎に渡した。
「ずいぶんと余裕だな。
なんかとんでもないことになってるのに」
「このくらいのトラブルはいつものことです。
ただ、こんな形で対話できたのは、あなたが初めてでしょうが……」
「対話ねえ、人をずっと観察するような目で見てたのにね」
ああ、だからすぐに思い出せたんだ。
この人だけだ。ずっと冷めたような目で、俺のことを観察していたのは。
彼は否定せず、たまにディスプレイに目をやるだけだった。
「あなたこそ、対話をしないという条件下で今日も演奏していたじゃないですか。
ただでさえ、患者さんはネットに疎い人が多いんですから。
少しは自分を語ってもいいんじゃないですか?」
「それは違うね、オンとオフの切り替えはしないといけないでしょ。
私情を持ち込みたくないだけ。あと、病院があんま好きりじゃないんだ」
病院での課外活動に関して、霧崎は下記の条件を割と強めに出した。
割とすぐに返信があったから、よほど切羽詰まっていたのが伝わってきた。
『・付き添いの看護師は自分の名前を知らない人
・芸術に対し、理解のある者
・講演会のようなトークは一切しないし、サインなどにも応じない』
この冷めた対応が病院側の需要とかみ合ったらしい。
時間調整などの面倒なことをしなくていいし、気楽に楽しめているとのことだ。
「そもそも、音楽が嫌いだったら参加しないでしょうよ。
俺が嫌いだったら、尚更そうでしょ?」
「……君のことを好きか嫌いかで言えば、まあ、普通だろうな。
俺と君では、熱と力場の方向性が違う。だから、言うことは特にない」
「でしょうね。アンタ、自分のやってること以外に興味なさそうだもん」
さて、コイツの裏側を知ったところで得られるものはなさそうなんだよな。
心霊系や陰謀論なんかは徹底的に避けているし、知りたいとも思わない。
軽口には乗ってくれるし、冗談も理解できるタイプだ。
ノリは悪くないけど、本性が全然見えない。
「アンタはいつもそんな顔をしてるんだよね、言わないだけでみんな気づいてるんじゃない?」
「悲しいことに、そういう奴を連れてくるのが私の仕事のひとつではあるんですよ」
「へえ、改善する気は一切ないと? 社会人としてどうなのよ、それは」
「あんな面倒な条件を出しておいて、何を言ってるんだか。
総務の人間が頭を抱えてたのを知らないんでしょう」
「知るわけないじゃないですか、そっちのことなんて」
お互いに肩をすくめる。
スイッチのランプが緑に光り、外でがさがさと物音が扉越しに聞こえる。
ディスプレイには、四つ足の無機質なロボットが何台も徘徊していた。
霧崎は思わず立ち上がる。
「なにこれすっげえ! めっちゃハイテクじゃないですか!
警備員なんて仕事、なくなるかもしれませんね」
「いや、アレはアレで必要なんですよ。
人の目とロボットの目では、意識が変わりますから」
彼はディスプレイを見ながら、淡々とキーボードを叩く。
何か指示を出しているのだろうか。
「検査に引っかからなかったのは、その笛自体にそういった仕組みが施されているから、か。どこに行ったらそんな道具を手に入れることができるんだか、お話を聞きたいくらいです」
「だから、言ったでしょ。トークはやらないってさ。
趣旨から外れるし、別に説教を誰かに垂れるほど偉くもないしね。
この後、一緒にご飯でも食べに行くってんなら話は別ですけど」
彼はあきれた様にパソコンを閉じた。
ロボットが一斉に動き出し、廊下から姿を消した。
「……分からないな。
こんな状況で、味方かも分からない人間にここまで会話を試み、食事に誘うとは」
「味方かも分からないから、こうやって会話してるんでしょうが。
アンタ、友達いないの?
職場の人ともちゃんと話したら、どうにかなるかもしれないのに」
「どうにかなる、か」
彼は少しだけ黙りこみ、棚を開けて金庫を開けた。
取り上げられた荷物を足元に置いた。
「とりあえず、今日はもう帰ってくれませんかね。
これ以上、君の長話に付き合うわけにはいかない」
「長話するために散々誘ってるんですよ、こっちは」
彼は話を無視し、部屋を出て行った。
霧崎もそれについて行く。
「そうだ、看護師さんの名前を教えてくれません?」
「……名乗るほどの名前もない。と言いたいところだが、顔を覚えている以上、それは無意味でしょう。名刺だけ渡しておきます」
「いいね、そうこなくっちゃ」
お互いに名刺を交換する。
彼はため息をついて、壁のボタンを操作する。
「ここのことは黙ってるんで、今度飲みに行きませんか。
病院の前のラーメン屋、この前行ったんですけどなかなか良かったんですよ」
「残念ながら、それは無理な相談です。
仕事柄、そういったものは控えているんです」
「体に悪いものを多少食べても、罰は当たらないと思うんですけどね」
扉が開き、エレベーターが下りてきた。
「これに乗れば、病院の最寄駅前に出ます。
ここのことは、もう好きにしてください。
あなたほどの人間が話せば、世間は盛り上がるでしょうし」
「俺はそういうのはやらないんで、黙っておきますよ。
それよりもさ、今度、ゆっくり話しましょうよ。なんか飽きなさそうだし」
「もうこの際ですから、あなたの口をどうやったら閉じることができるか。
本気で考えておきます。次はないと思ってくださいね」
霧崎の背を押して、エレベーターに無理やり乗せた。
扉は閉ざされ、そのまま上昇する。
スマホを起動すると、時間は数時間くらいしか経っていない。
今から電車に乗って、約束にギリギリ間に合うかどうかと言ったところか。
とりあえず、遅れることは伝えておくか。
夕飯も食べたいし。
再びエレベーターのドアが開くと、病院近くの駅の通りにがあった。
あの施設とここは直通なのか。
ドアは壁と同化してどこにあるかも分からない。
「……飯よりゲームに誘えばよかったかな」
延々とオセロをやるだけでも楽しそうだ。
軽めの足取りで家路についた。
憤怒の呼び子笛 長月瓦礫 @debrisbottle00
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