最終話 聖夜の奇妙な献立と鮭武将の予感
「さあ、食べるんだホッ!」
トリさんに口元へ突きつけられた塩焼き鮭の切り身を前に、月影は抵抗の気力を失った。この奇妙な生物に、歴史上の武将を語るような真面目な反論は通じない。
「……くそっ」
月影は諦めたように、鮭の切り身にかぶりついた。
ガブリ、そして目を見開いた。
「……えっ?」
スーパーの割引品とは思えない、いや、むしろ昨夜のうちにしっかりと焼き上げられたような香ばしさ。
皮はパリッとしており、身はふっくらと柔らかい。 塩加減が絶妙で、疲れた体に染みわたるような滋味深さがある。
「……美味い」
月影は思わず正直な感想を漏らした。
この騒動と混乱の中で、あまりに質の高い鮭の味が、月影の口内を占領した。
トリさんは得意げにニ本足で立つ。
「そうなんだホッ! シャケなんだホッ!
君も分かったんだホッ!」
月影は、トリさんの言う通り、無言で鮭の切り身を一枚平らげた。
そして、次に鮭フレークが浮いたままの徳利に手を伸ばし、猪口へ注ぐ。
「……悪態はつくが、食い物は粗末にできん」
熱燗はぬるくなっていたが、鮭フレークの塩気と旨味が溶け込み、妙に濃厚な味わいになっている。
「……うむ。これも……悪くない。いや、待て!
俺は鮭を食うためにチキンを捨てたわけではないぞ!」
月影は、半分肯定しきれない複雑な感情を露わにする。
しかし、身体は正直でテーブルの上に残された塩焼き鮭のパックを無言で引き寄せた。
トリさんは月影の反応に満足した様子だ。
「これで分かったんだホッ!
クリスマスにチキンを求めるのは、月影の『惰性』なんだホッ! シャケこそが、月影の『創作意欲』に火をつける『真実』なんだホッ!」
そして、トリさんは突然、真剣な眼差しで月影を見つめた。
「月影の新作は、戦国時代なんだホッ。
だから、来年の新作は、鮭を愛し、戦場で鮭を食らった武将の話にするんだホッ! 約束なんだホッ!」
「馬鹿なことを言うな!そんな武将など歴史上に存在せん!」
「いるんだホッ! ボクがそう決めたんだホッ!
シャケを食らう武将を創造するんだホッ!
それが、カクヨム作者の使命なんだホッ!」
月影が反論する間もなく、トリさんは騒動に満足したのか、「さぁ、ボクは次のユーザーのところへ行くんだホッ!」と宣言した。
トリさんは奪ったチキンを月影に返すことなく、窓へと向き直る。
月影は慌てて木刀を振り上げるが、トリさんの動きはあまりにも速い。
トリさんは窓に「ズボッ」と頭から突っ込む。
窓ガラスは何事もなかったかのように元のままだが、トリさんの体は空間を滑るように消えていく。
そして完全に姿を消す直前、トリさんの声がアパート中に響き渡った。
「メリー・シャケマスなんだホッ!
クリスマスにはシャケを食え!!」
窓は何事もなかったかのように静寂を取り戻した。
月影の部屋に残されたのは、シャケの匂いと、塩焼き鮭の切り身の山、そして鮭フレークが浮いたままの熱燗だけだ。
月影は、呆然としながら電気ストーブの前に座り直した。
奪われたチキンがない喪失感……だが、目の前の塩焼き鮭の切り身は、驚くほど美味い。
チキンは肉の暴力のような美味さだが、シャケは静かに身体に染みわたるような滋味深さがある。
「……くそ。負けたのか、俺は」
チキンがなくても、妙な充足感がある。
月影にはPC
案の定、スレは爆発的に伸びていた。
スレッド名:【緊急】トリさん来た奴いる?部屋が鮭臭い【クリスマス】
とある作者:ウチにも来たぞ!ケーキの代わりに焼き鮭押し付けてきたんだが!?
とある作者:マジかよ!俺んとこはチキン奪われた! 代わりに塩鮭の切り身パックが山積み!食ったら美味いのが悔しい!
とある作者:トリさん「来年の新作はシャケ主人公にしろ!」とか言って帰って行ったんだが、どういうこと!?
月影は、自分一人ではなかったことに安堵すると同時に、思わず笑みをこぼした。
「なんだ、みんなやられているのか……。しかも、鮭を愛した主人公だと?」
月影は残された塩焼き鮭を全て平らげる。
そして、改めてスマホに向き直った。チキンは失ったが、妙に創作意欲が湧いてくる。脳がDHAで満たされたのか、トリさんの無茶な要求が、逆に時代小説家の血を騒がせたのか。
月影は、指でゆっくりと画面をタップし、新作のタイトルを打ち込んだ。
タイトル:『鮭武将伝:北海の荒くれ者』
聖夜にシャケを食べた時代小説家は、トリさんが残した新しい王道を噛みしめながら、フリック入力を続けるのだった。
「……ふむ。クリスマスには、シャケか。悪くない……かも……」
── 完 ──
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