第4話
遠足当日の朝。
学校の門の前は、制服じゃない色が混ざったせいか、いつもよりずっと明るかった。
「悠ー! お前ほんとそれで来たの?」
海斗が半笑いで俺の服を指さしてくる。
「動きやすけりゃなんでもいいだろ」
「遊園地だぞ? デートスポットだぞ? もうちょい気合い入れろよ」
「誰とデートすんだよ」
「知らんけどさ……お前は可能性を自分で潰してくタイプなのか?」
「うるせー」
そんな会話をしていると——
「……黒川くん」
静かで柔らかい声が、背中から届いた。
振り返った瞬間、空気が少しだけ変わる。
白雪澪。
淡い水色のワンピースに、薄手の白いカーディガン。
髪はゆるく巻かれていて、いつもの制服姿よりも少し年上に見えた。
「おはよう」
「ん、おはよ」
澪は一瞬、俺を上から下まで眺めてから、ふっと微笑む。
「似合ってる……そういうのも、いいね」
「そうか?」
「うん。いつもより、ちょっとだけ……近く感じる」
何がどう近いのかは分からないけど、
澪にじっと見られていると、なんとなく落ち着かない。
「おー! 白雪さん来たー!」
南雲が手をぶんぶん振る。
「ひよりー! すずー! 集合ー!」
女子二人が小走りでやってきた。
「黒川くん、その服いいじゃん! シンプルなの似合うね」
浅海ひよりが、いつも通りの距離感でぐいっと近づいてくる。
「写真撮ろうよ、写真! 朝のこういうの、あとで見返すとエモいから!」
「いや別に撮らなくても——」
「ほら、並んで並んで!」
ひよりが当然のように、俺の手首を軽く掴んだ。
(近いな……)
引き剝がすほどじゃないが、
慣れてない距離だ。
その瞬間。
「……浅海さん」
落ち着いた、けれど芯のある声が横から落ちた。
澪だ。
「黒川くん、朝はちょっとぼーっとしてるから……あんまり急に引っ張ると、驚かせちゃうよ?」
「え、あ、ごめん!」
ひよりが慌てて手を離す。
澪は優しく笑った。
言っていることは完全に正論で、責めるニュアンスはない。
けれど——
その笑みの奥に、ほんの少しだけ違う温度が見えた気がした。
「気にしなくていいよ。……黒川くん、写真は?」
「別にどっちでも」
「じゃあ、みんなで撮ろっか。はい、南雲くん、撮影係ね」
「俺いるやつ!?」
南雲が反対側からスマホを構え、俺とひよりと澪、すず、海斗が横一列に並ぶ。
「はい、もっと寄れ寄れ〜、カップルみたいになれ〜」
「誰がだよ」
海斗が適当なことを言う。
そのとき、澪がそっと動いた。
気づけば、俺のすぐ隣に澪が立っていた。
ひよりはその隣、そのまた隣にすず。
「……こっちの方が、バランスいいよね」
何がどうバランスいいのかは分からないが、
澪は自然な顔をしていた。
シャッター音が鳴る。
「もっかい! 今度縦!」
ひよりが楽しそうに言うたびに、
澪は当たり前みたいな顔で、俺の隣の位置をキープし続けた。
写真を撮り終えて、班ごとに移動を始める。
「よーし、じゃあ出発〜! まずどこ行く?」
南雲が勝手に仕切る。
「ジェットコースターでしょ! 遊園地といえばジェットコースター!」
ひよりがはしゃぎながら言う。
「最初っから一番キツいやつ行くのかよ……」
「眠気ぶっ飛んでいいじゃん!」
入口のゲートに向かって歩き出すと、
ひよりが当然の顔で、俺の左隣に並んできた。
「ねえねえ、絶叫って平気? 苦手?」
「まあ、別に」
「じゃあ一番前乗ろ! 一番前! 絶対楽しいから!」
ひよりは腕を軽くぶつけてきたり、
前に回り込んで歩いたり、
とにかく距離が近い。
その少し後ろ。
澪は半歩分離れたところを、静かに歩いていた。
俺とひよりの会話を聞いているのか、いないのか。
表情は穏やかで、何も言わない。
ゲートを抜け、チケットを渡し、園内へ入る。
カラフルな風船、ポップコーンの匂い、遠くから聞こえる悲鳴と笑い声。
いかにも遊園地です、という空気に包まれる。
「うわー、テンション上がってきた!」
ひよりはさらに近づく。
「黒川くん、ジェットコースター苦手だったらさ——」
ひよりが俺の腕に指を伸ばそうとした、そのとき。
「ねえ、浅海さん」
今度は、はっきりと前へ出た。
澪が、俺とひよりの間に“するり”と入り込む。
さっきまで一歩後ろにいたはずなのに、
自然な流れみたいな顔をして、気づけば正面に立っている。
「さっき、ずっと黒川くんの隣だったよね?」
「え?」
ひよりが瞬きをする。
「門からここまで。ずっと話してて、楽しそうだったから」
「そ、そっか? まあ……うん?」
「だから——」
澪は、ひよりをまっすぐ見て、穏やかに笑った。
「今度は、私が隣でもいい?」
言い方はやわらかくて、
でも断れないくらい、きっちり筋が通っていた。
「……あ、うん。そうだね。順番、大事だよね」
ひよりは苦笑しながら、一歩だけ横にずれる。
すぐに、澪がそこに入る。
「黒川くん、行こ?」
袖を、そっとつままれた。
掴むんじゃない。
引っ張るんじゃない。
ほんの少しだけ、布を摘む感覚。
けれどそれだけで、
ひよりと俺の間には、目に見えない線が引かれた。
「黒川、分かるか?」
後ろから海斗が小声でぼそっと言う。
「何が」
「今の、お前の隣は交代制じゃなくて実質固定席だからなって宣言」
「そんなタイムテーブルねえよ」
「いや、ある。白雪さんの中には確実にある」
ジェットコースター乗り場に向かう列に並ぶ。
レールの金属音と、時々上がる悲鳴。
列の前の方からは、笑い声と「もう一回乗ろうぜ!」みたいな声が聞こえてくる。
その横で、澪は相変わらず袖をつまんだままだった。
「ねえ、黒川くん」
「ん」
「浅海さんさ……」
言いかけて、少しだけ言葉を選ぶように沈黙する。
「すごく、楽しそうだったね。さっき」
「まあ、あいつは元気だからな」
「……うん。そうだね」
澪は視線を前に向けたまま、小さく続ける。
「門から、ここまでずっと隣で……いっぱい話してて」
「そうか?」
「そうだよ」
淡々とした口調なのに、
その中に、わずかな棘のような感情が混ざる。
「……ちょっと、だけ」
「?」
「嫌だった」
ぽつりと落とされた言葉は、思ったよりも重かった。
「嫌だと思うのは、ダメ?」
澪は顔を上げる。
視線が、まっすぐ俺を刺す。
「別に……ダメじゃないけど」
そう答えるしかなかった。
「そっか」
澪の表情が、ふっと緩む。
「じゃあ、今日くらいは……私が隣でもいいよね」
「まあ、別に」
「やった」
小さく呟いたその声が、ちょっとだけ弾んでいた。
袖をつまむ指先に、少しだけ力がこもる。
列に並んでいる間、
澪は一度もひよりの方を見なかった。
ただ、俺の隣で静かに立っている。
人混みのざわめきの中で、
俺と澪の距離だけが、少しずつ縮まっていく。
まるで——
(ここは、私の場所だから)
そんな言葉が、何も言われていないのに聞こえてくるようだった。
少し後ろで、ひよりがため息をつく。
「……白雪さんって、優しいけどさ」
「うん?」
すずが小声で聞き返す。
「なんか……触れちゃいけないところまで、全部ちゃんと見てそうだよね」
その呟きは、レールを走るジェットコースターの音に紛れて、
俺の耳には届かなかった。
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