第3話
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、午後の授業が始まった。
氷室先生が教卓の前に立つ。
「はい、連絡ここでひとつ〜。来週の金曜日、二年生全体で校外学習な」
ざわ、と教室の空気が少しだけ変わった。
「場所は県内の遊園地。聞いたことあるやつもいるだろ。ジェットコースターとか観覧車とかあるとこ」
「マジかよ」「普通に楽しそうじゃん」
「遠足って言えよ先生」
南雲あたりが小声でつぶやいて、周りがクスクス笑う。
「まあ遠足みたいなもんだな。班ごとに回って、簡単なレポート書いてもらう。アトラクションの混み具合とか、施設の使われ方とか、そのへん適当にな。はい、そこで班を今から決める」
先生の言葉に、教室中が一気にざわつき出す。
「五人一班で。男子だけとか女子だけとかはナシ。ちゃんと混ざれよ。ぼっち出すなよ、南雲」
「なんで俺ピンポイントなんすか!」
「顔がうるさいから。はい、じゃあ適当に動いて」
氷室先生が手をひらひらさせると、机や椅子がガタガタと動き始めた。
「悠、どうする?」
「とりあえずお前とは一緒だろ」
「泣いた。愛感じた」
「うるさい」
俺と海斗は自然に近くの机を寄せる。
すると、すぐに南雲が椅子ごと滑り込んできた。
「俺もそこ入っていい?」
「どうせ来ると思ってた」
「お、信頼されてんな〜」
「悪い意味でな」
男子三人はあっという間に固まった。
あとは女子二人、ってところだろう。
「ねえねえ、その班もう埋まってる?」
顔を上げると、浅海ひよりがプリントを抱えたまま立っていた。
さっきまで前の方の女子グループと話していたはずなのに、いつの間にかこっちに来ていたらしい。
「浅海?」
「五人一組でしょ? 今男子三人だよね。私、混ざってもいい?」
「いいんじゃね?」
南雲が即答する。
「いやお前が決めるなよ」
「ダメ?」
ひよりが首を傾げる。断る理由もない。
「別に。俺は構わないけど」
「よっしゃ、決まり!」
海斗も特に反対しない。
これで四人。あと一人。
「すずもどう?」
ひよりが教室の後ろを振り返る。
そこには、三谷すずがプリントを抱えて立っていた。
「え、私?」
「うん。どうせまだ決めてないでしょ」
「まあ……そうだけど」
「ほら、一緒の班入ろ」
ひよりに手を引かれるようにして、すずが近づいてくる。
落ち着いた雰囲気の、眼鏡の似合う女子だ。
「三谷さんだっけ」
「うん。三谷すず。よろしくね」
「よろしくー!」
男女五人の班が、ほぼ自然な流れでまとまりかけた、そのとき。
「……あの」
少し離れたところから、控えめな声がした。
白雪澪が、プリントを抱えたまま立っていた。
「この班、もういっぱい?」
一瞬、言葉に詰まる。
五人一班、って話だったはずだが——
「先生ー!」
南雲が元気よく手を挙げる。
「六人でもいいっすかー? 人数余りそうなんで!」
氷室先生は出席簿をめくりながら、ちらっとこっちを見る。
「んー……組全体で人数合うならいいよ。誰か余って困ってる人とかいない?」
「まだ決まってない人ー?」
氷室先生が声を上げると、ちらほらと手が挙がった。
「じゃあ六人班できてもいいか。バランス崩れるほどじゃないし。そこ六人でいいよ」
「やった。先生ありがとー!」
南雲が勝手に喜び、海斗が苦笑する。
「……いい?」
澪が、改めてこちらを見た。
「私も、この班で」
「いいと思うけど」
俺が答えるより先に、ひよりが笑顔で頷く。
「白雪さん頭いいし、レポート心強いじゃん」
「そんな、大したことは……」
澪はわずかに頬を染めて首を振った。
「でも、ありがとう。よろしくね」
その視線が、少しの間だけ、俺の方で止まる。
たまたま、だと思う。
たぶん。
「じゃあ班決まったら、そのメンバーで連絡取りやすいようにしとけよー。グループ作るなりなんなり、好きにしろ」
氷室先生の適当な指示で、今度はスマホがあちこちで取り出され始めた。
机の上に置かれる画面の光が、一斉に灯る。
「じゃあさ」
ひよりがスマホを取り出して、にこっと笑う。
「この班でLINEグループ作っちゃうね」
「仕事早」
「こういうのは勢いでいくんだよ」
ひよりはテキパキとQRコードを出して、海斗、南雲へと順番に回していく。
「黒川くんも」
「ああ」
画面をかざして読み取ると、「二年A組・遊園地遠足班」というグループが作られていた。
名前のセンスは普通だ。
「白雪さんも、よかったら」
「うん。ありがとう」
澪も静かにスマホを取り出し、グループに参加する。
その流れで、各自のアイコンと名前が一斉に表示された。
「せっかくだし、個別でも交換しとく?」
南雲が軽いノリで言う。
「まあ、連絡いることあるかもしれないしな」
海斗もうなずく。
俺も特に断る理由はなく、自分のQRコードを出した。
「黒川くん、いい?」
先に声をかけてきたのは、ひよりだった。
「うん」
ひより、すず、南雲、海斗。
順番に読み取りが済んでいく。
最後に、少しだけ間を置いて——
「……黒川くん」
澪が、俺の前に立った。
「私も、交換していい?」
「もちろん。班一緒だし」
「うん。……ありがとう」
澪はゆっくりとスマホをかざす。
読み取り音が小さく鳴り、画面に新しい名前が追加された。
『白雪澪』
淡い水色のアイコンに、シンプルな白い文字。
「これで、連絡しやすくなったね」
澪はそう言って、小さく笑った。
ただそれだけのことなのに、
その笑顔は、一瞬だけ他の誰に向けるものより柔らかく見えた。
放課後。
教室を出ようとスマホを確認すると、グループにひよりからメッセージが入っていた。
『来週の遊園地、どこ回るか考えよー!』
『ジェットコースター乗りたい』『お化け屋敷も行こうぜ』
南雲とすずがすぐに返事をしている。
「賑やかだな」
横から覗き込んだ海斗が笑う。
「こういうの、ちゃんと返すタイプ?」
「最低限は。既読スルーして空気悪くなるの面倒だし」
俺は適当に短い返事を打って、スマホをポケットにしまった。
その少し後。
昇降口で靴を履き替えていると、背後から足音が近づいてきた。
「黒川くん」
振り返ると、澪が鞄を抱えて立っていた。
「一緒に帰っても、いい?」
「方向、こっち?」
「途中まで同じだから」
「じゃあ、まあ」
断る理由もないので、そのまま並んで歩き出す。
校門を抜ける頃には、夕方の光が少し赤みを帯びていた。
「さっきのグループ、楽しそうだね」
「まあ、うるさいメンバー多いしな」
「海斗くんと南雲くん、仲良さそう」
「あいつらとは長いから」
「……浅海さんも」
「ひよりも普通にノリいいし。班としては楽だろ」
「うん。私も、嬉しい」
澪は、少しだけ歩幅を合わせるようにして俺の横に並んだ。
「黒川くんと、同じ班で」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないよ」
澪は首を振る。
「中学の時から、ずっと遠くで見るだけだったから。
こうやって、同じグループの一員になれるの、ちょっと不思議」
「……そんなに、見てた?」
なんとなく聞いてみると、澪は一瞬だけ目を丸くした。
「うん。見てたよ」
あまりにも素直に言うものだから、逆にそれ以上突っ込みづらい。
「でも、嫌だったら言ってね」
「え?」
「私が、こうやって話しかけたり、一緒に班になったり……黒川くんの負担になってたら、ちゃんと言ってほしいなって」
澪は、少し不安そうに笑う。
「迷惑なら、やめるから」
「迷惑じゃないよ」
気づけば、自然にそう答えていた。
「普通に話せるやつ増えるの、楽しいし」
「……そっか」
澪の表情が、ふっと和らぐ。
「じゃあ、これからも、少しだけ……隣で見ててもいい?」
「昨日も聞いたやつ、もう一回言う?」
「大事なことだから、何回でも」
冗談めかして言う澪に、苦笑する。
「勝手にどうぞ」
「うん。じゃあ、勝手に見るね」
夕焼けに溶けるような声で、澪はそう言った。
家に着き、自分の部屋でゲーム機の電源を入れる前に、なんとなくスマホを開く。
個別のトーク欄に、見慣れない名前が増えていた。
『白雪澪』
そこには、ひとつだけメッセージが届いていた。
『今日はありがとう。
一緒の班、嬉しかったです。』
それだけの、丁寧な文面。
スタンプも顔文字もないのに、妙に彼女らしい。
「律儀だな」
そう呟きながら、簡単に返事を打つ。
『こちらこそ。よろしく』
送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。
けれど、返事は来ない。
必要なときだけ、ちゃんと一歩だけ近づいてくる。
それ以上は詰めすぎない——そんな印象。
俺はスマホを伏せて、コントローラーを手に取った。
その頃。
自分の部屋のベッドに腰掛けて、澪はスマホの画面を静かに見つめていた。
『こちらこそ。よろしく』
短い文を、何度も指でなぞる。
「……うん。よろしくね」
思わず口の中で繰り返してから、画面を閉じた。
机の上には、一冊のノートが置かれている。
高一のときに使っていた「観察ノート」の隣に、新しい表紙のノート。
まだ、開いていない。
「……今日は、書かなくてもいいかな」
澪はそう呟いて、ノートにそっと手を置く。
(だって——)
教室の隅から。
廊下から。
そして、同じ班の輪の中から。
今日一日、たくさん見えたから。
(……今日もよく見えた)
誰にも聞こえないほどの小さな声で、澪は呟く。
(黒川くんの、全部)
それは独り言のようで、祈りのようで。
そして——
ほんの少しだけ、静かな独占欲に似ていた。
——気づいていないのは、黒川悠だけ。
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