資料13:平成25年6月19日掲載記事(コラム) - ██新聞

「呪いの絵」と呼ばれ……デマと闘い続ける68歳の風刺画家



 インターネットが生活の隅々に入り込み、誰もが情報の送り手となった時代。便利さの裏で、虚偽や憶測が人の人生を瞬く間に変えてしまうこともある。68歳の風刺画家・田邊弦之介さんは、その理不尽を身をもって味わった一人だ。


 「最初は、悪い冗談かと思ったんですよ」3年前のある午後、旧友からの一本の電話が、長い悪夢の幕を開けた。「お前の絵が都市伝説になっているぞ」――耳を疑った。問題の絵は、20年以上前、社会の欺瞞を鋭くえぐることを信条としていた田邊さんが描いた風刺画だ。


 曲がったスプーンを掲げる2頭身の少女。背中に隠した手には札束。超能力ブームに群がった似非権力者や詐欺師たちを皮肉った、軽妙な一枚である。「どこをどう見ても、恐ろしいなんてことはないでしょうに」と田邊さんは苦笑するが、ネットの世界はこの絵に事実と異なる物語を勝手に紡ぎ始めた。


 「この絵を見た人が次々に亡くなっている」「この絵を見たら火事になった」「作者は呪いの力を隠している」最初は数件の書き込みだった噂話が、炎が枯れ草を走るように広がり、人々の空想は形を変えて増殖していった。作品の意図とは正反対の、不気味なオカルトと化してしまったのだ。


 田邊さんは、制作当時の背景をブログで丁寧に説明した。掲示板でも粘り強く否定を続けた。だが、「作者が否定するのは呪いを隠すため」という、さらに奇怪な憶測まで飛び交った。「まるでモグラ叩きですよ。どれだけ説明しても、別の場所ですぐ同じ話が芽を出す。虚しさを覚える時もあります」


 それでも田邊さんが筆を置くことはない。「風刺画とは、社会のゆがみを映す鏡。ならば、作品がデマに汚されたままでは、鏡も曇ったままです」田邊さんは3年前に交通事故で大怪我を負い現在は半身に麻痺が残っている。それでも身体に鞭を打ち、日々作品制作に打ち込んでいる。さらに若者向けに体験を語る講演も始めた。「私のような被害者を増やしたくない」その一心だ。


 取材の最後、田邊さんの仕事部屋に案内された。机の脇、日焼けした額縁に収まる「曲がったスプーンの少女」が静かにこちらを見ている。「呪いだなんて、大げさなものじゃありませんよ。本来は、人の真実を曲げようとする者への警鐘なんです」年季の入った画家の手が、そっと額縁をなでる。作品に宿るメッセージは、デマの奔流にさらされても消えはしない。

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