第6話 最深層の門

魂の回廊の扉を押し開くと、

 光がすっと引き、世界が現実へ戻った。


 足元には硬い岩床。

 湿気のある空気。

 微かな生臭さ。


(……戻ったか)


 だが、戻った先は先ほどの通路ではない。

 回廊を経たことで、ダンジョンが俺を“次の階層”へ送ったらしい。


 新しい空間は広く、

 天井には黒い水晶体が浮いていた。


 そこから落ちる冷たい光が、通路全体を青く染めている。


 静寂。

 異様な静けさ。

 番人も魔物もいない。


(……本当に何もいないのか?)


 歩き出すと、足音が妙に響く。


 その響きが壁に反射して

 “誰かが後ろに立っている錯覚”へ変わる。


 冷や汗が背を伝う。


(単なる錯覚じゃない……)


 魂の回廊での記憶が脳裏をよぎる。


 ――お前の魂は、異界の残響を持っている。


 影がそう言った。


(つまり、この感覚は……俺自身の魂が世界に“拒絶”されている反応か)


 異界値を持つ魂は、世界の器と嚙み合わない。

 その不協和が“干渉音”として感じられるのだ。


(やれやれ……世界そのものが敵ってわけかよ)


 苦笑しながら歩いていた、その時――


 視界の端で“影”が動いた。


(……来たか)


 反射的に振り返る。


 だが、そこには誰もいない。


 風もない閉鎖空間で、影が揺れるわけがないのに。


 ふと、背後で声が響いた。


「――どうした、足が止まっているぞ」


 低く、静かで、どこか古い声。


(っ……!)


 心臓が跳ねる。


 振り返る。


 そこに“人影”が立っていた。


 フードのような黒い布を纏い、

 顔は完全に隠れている。

 ただ、その輪郭だけで理解できた。


(この気配……まさか……)


「……“影位”か」


 人影は首を横に振った。


「違う。影位は魂の内部から現れる“側面”だ。

 私は――外部の存在だ」


「じゃあ……誰だ?」


 フードの奥で、微笑む気配がした。


「名乗るのはあとだ。

 今は“試験”の途中だからな」


(試験……?)


 影位の男が言っていた。

 ――次の階で会う。

 ――そこで本名を名乗る。


 それとは“別の存在”ということか。


(このダンジョン、どんだけ層があるんだ……)


 人影はゆっくりと手をかざした。


 すると通路の壁が波紋のように揺れ、

 空間が“書き換え”られる。


「っ……!」


 闇が広がった。


 通路が消え、

 無限に続く“黒い平原”が現れる。


 空はなく、地平線もない。

 ただ虚無だけが広がる異空間。


「試験を始める」


 フードの人物が静かに言った。


「まずは――“孤独”だ」


 その瞬間、

 世界から音が消えた。


(っ……!)


 足元の感覚が薄れる。

 自分の呼吸すら曖昧になる。


(これ……魂の空間か?)


 声は返ってこない。

 呼吸音も聞こえない。


 “完全なる孤独”。


(……これは……)


 理解した。


(精神耐性のテストだ)


 影位が言っていた。

 ――お前は壊れた魂だ。

 ――再構築された魂は干渉に強い。


 今試されているのは、まさにそれ。


(六十年の人生で、孤独なんて腐るほど経験した)


 地球での時間が脳裏に蘇る。


 真夜中、残業後のビルを出るときの虚無。

 誰とも話さない数週間。

 布団の中で息だけしていた歳月。


(あれに比べたら……こんな虚無、怖くない)


 そう思った瞬間――

 虚無が揺れた。


「……ほう」


 フードの人物が声を漏らす。


「たしかに、壊れた魂は強い」


 虚無が収束し、

 通路が戻ってくる。


 フードの人物がこちらへ歩み寄る。


「試験はまだだ。

 次は――“怒り”だ」


 その言葉と同時に、

 通路の左右に光が生まれた。


 光が形を成し、

 “四人の人影”になる。


(……!)


 勇者、聖女、剣聖、賢者。

 あの四人だ。


 彼らは俺を見て、冷たい目を向ける。


 そして――


『お前のせいで落とされたんだ』


『役立たず』


『無価値』


『いらない』


 淡々と、無感情に、

 俺の過去を抉る言葉が降り注ぐ。


(これは……違う。

 あいつらはこんなこと言わなかった。

 これは――俺自身の罪悪感を映した幻だ)


 フードの人物が囁く。


「魂が壊れた者には、必ず“沈殿物”がある。

 後悔や怒りや、罪悪感だ。

 それらを直視できるかどうか――」


(……直視、ね)


 俺は四人の幻を見据えた。


「悪いな。

 俺はもう“謝罪の人生”をやめにしたんだ」


 幻影が揺れ――

 砕け散った。


 通路に静寂が戻る。


 フードの人物が腕を下ろした。


「……驚いた。

 壊れた魂は脆いか強いかのどちらかだが――

 お前は後者らしい。」


「わざわざ試すまでもなかっただろ」


「いいや。

 試さねば“あれ”に会わせることはできない」


(あれ……?)


 フードの人物が通路の奥を指した。


「行け。

 “最深層の門”がお前を待っている」


 言われるまま進む。


 そして――

 通路が開けた。


 広間に出た。


(……これが……)


 そこには巨大な“石の扉”があった。


 高さは十メートル。

 幅も十メートル。

 中央には複雑な紋様。

 そして、扉全体が呼吸するように脈動している。


 まるで生き物の“心臓”だ。


(これが……最深層……)


 背後でフードの人物の声が響く。


「その門の向こうで――

 お前の“魂の根”と出会う」


(魂の……根……)


 扉が僅かに軋む。


(いよいよ、か……)


 俺は拳を握り、

 扉へ手を伸ばした。


「――行くぞ」


 石の門が、ゆっくりと開いた。

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