第8話 廃れ神

 鉄夜が苦々しい表情で呟く。

 あやめは、またも飛び出した謎の用語に首を傾げた。

 

「スタレガミ……?」

「廃れ神。お祀りしてくれる人間がウツシヨにいなくなってしまった神様、だね。さっきうちに来たヤマモトさんなんかも、元は廃れ神だよ」


 あの鬼の人か。

 もともとは神様だったと言われると納得してしまう。どこか温かい人だった。


「廃れ神の行く末はふたつ。カクリヨの住人になるか、妖魔になって……やがて消えるか」

「ほとんどのやつは、妖魔になんかならねぇ。こっちに住み着くやつがほとんどだ」


 鉄夜は黒羽織から取り出したボロボロのメモ帳を乱暴に捲りながら、そこに書き付けてあるらしい情報を読み上げる。

 ちょっと覗いた紙面には、びっしりと字が書き込まれていた。あやめが思っていたよりも真面目に聞き込みをしていたらしい。あと、意外にも字が綺麗だ。

 

「今回のヤツは、おそらくは元・屋敷神……いわゆる、家の片隅で祀られてたお稲荷さんだったモノだろうってことだ。神使の狐の姿で流れ着いてきたのを見たってやつもいる」

「ああ。庭先に小さな社があるお家、ありますよね」

「カクリヨに来たばかりの屋敷神か。それが、短期間で妖魔に……?」


 龍彦が唸る。苦しげで暗い声だ。

 

「よっぽど廃れ神になったことを……自分が人間どもに忘れ去られたのを、受け入れたくなかったんだろうさ。何件かの酒場が、まだ狐の姿をしていたヤツに接触したらしいが、ちっとも話が通じなかったらしいぜ」

「へえ、接触! 親切な人もいたものだね」

「白くて綺麗な毛並みだってんで、酒場の給仕として雇おうとしたらしいぜ」

「雇うって……エキセントリックだね」

「ま、酒場は話好きの店主どもが多いからな……面白そうなコトには目がないんだ」


 鉄夜がおおげさに肩をすくめて見せる。でも、その表情はなんだか楽しげだ。

 雑然としたあの町のことを、鉄夜はかなり大切にしているようだ。

 それをわかっているであろうに、龍彦が軽口を叩く。

 

「それにしたって、向こう見ずだな。さっきの店、何度か鉄夜くんに連れてってもらったけど、たしかに威勢のいいご店主だったよねぇ」

「ま、それがいいんだって! 酒もツマミも注文すりゃパッと出てくるしな」

「でも串焼きが生焼けだったことがある……」

「少しぐらいなら死にゃしねぇよ!」


 鉄夜がぐいっと麦酒を煽る。

 龍彦が困ったように溜息をつく。

  

「もう、鉄夜くん。僕らは本当のあやかしとは違うんだから気をつけないと」

「……ふん、元ウツシヨ人だってんでナメられたら仕事にならねぇよ」

「え?」


 思わぬ情報に、あやめが声を上げる。

 鉄夜が鼻を鳴らして、また一口、麦酒を煽って言った。


「あー。俺たちもあんたと同じ、マレビトだよ……今じゃこっちの生活のが長いがな!」

 

 本当に、旨そうに飲む人だ。淡々とジョッキを空にする龍彦とは正反対。あやめは二人のビールを見つめる。


「……あの、お二人はカクリヨの食べ物、食べられるんですね」

「んあ? この通り、がぶ飲みしてるだろ」

「龍彦さんも……? 元はウツシヨの人なんですよね」


 ピリッと、空気が緊張した。

 特に鉄夜の顔が険しいことに気がついて、「よくない質問だっただろうか」とあやめは自分の発言を後悔する。鉄夜の眉間の皺がグランドキャニオンみたいになっている。


「……まぁまぁ。とにかく妖魔になりかけているのはカクリヨにやってきてすぐの廃れ神ってことがわかった。収穫だよ」


 龍彦がはぐらかして、鉄夜の表情はすこしだけマシになった。

 どうやら、事情がありそうな二人だ。

 思わぬ冒険に舞い上がっていたけれど、今更ながらにこの状況への不安が首をもたげてきた。


「それにしても、その廃れ神が暴れている原因はなんだろうね」

「原因、ねぇ」


 鉄夜が腕組みをして首を捻る。

 ゆったりとした黒羽織の袖に両腕を突っ込んでいるのは、精悍な体つきも相まってなかなか絵になっている。


「そりゃ、アレだろ。自分をクビにしたウツシヨへの恨みつらみが溜まってたんだろうよ」

「ふむ」

「クビになるってのは、不安でたまらねぇぜ? もとは屋敷で大事にされてても、近頃は身近な神仏に手を合わすウツシヨ人も減ったからな。見捨てられた心持ちだったんだろうさ」

「それで、妖魔化しているか……ありえなくはなさそうだ」


 あやめは二人のやりとりを聞いて、俯いてしまう。

 仕事を失ったことの不安。居場所がなくなってしまうことへの悲しさ。──他人事とは思えないほどに、よく知っている気持ちだった。

 あやかしは、負の感情に心を呑まれれば妖魔になるという。

 その廃れ神は、よほど悲しくて辛い気持ちだったのだろう。

 あやめはテーブルの上に置かれたロケットをそっと手に取ってみる。

 どうして、神様がこんなものを持っていたんだろう。


「……え?」


 その瞬間だった。

 あやめの耳に、幾重にも重なった声が聞こえてきた。


 ──キエタイ。

 キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。キエタイ。


「い……いやっ!」

 

 思わず耳を塞いで、大声を出す。自分の声でかき消さないと、頭が割れそうだった。

 悲壮な声に頭の中を支配されそうな感覚に、あやめは茫然とした、心臓がドクドクと脈打っている。

 

「おい、どうした!」

「落ち着いて、あやめさん。息はできるかい?」

「あ……あぁ……声が……声が、聞こえる」


 そう伝えるのが精一杯だった。

 声が、聞こえるのだ。

 突然のことだった。まるで百人、いや、千人以上の人の声が、たった一人の声帯から絞り出されているような。耐え難い声が、頭の中でぐわんぐわんと響きわたる。

 あやめはもう一度、ロケットに指先でそっと触れる。


 どうして。

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 消えたい。消えてしまいたい。

 消えたい、消えたい、消えてしまいたい。

 消えて、消えて、消えさせて。消えたい、消えたい、消えたい!


「きゃああ!?」

「大丈夫かい、あやめさん!」


 必死に耳を塞ぐ。

 深呼吸をして、気を落ち着けようとした。

 鉄夜が強張ったあやめの手からロケットをもぎ取る。


「おい、それから手を離せ!」

「う、うぁ……」

「龍彦、それお前が預かっとけ」

「ああ。ありがとう、鉄夜くん。あやめさん、大丈夫?」

「あり、がと……ございます……」


 ロケットが手から離れた瞬間に、割れるような音量の声が消えた。

 今のが、廃れ神の声なのだろうか。なんて悲しくて、なんて恐ろしい声なのだろう。


「……っ、ぅ」

「おいおい、こいつ……ロケットに残った負の感情に共鳴したのか?」

「きょう、めい……?」

 

「ふむ……こちらに迷い込むくらいだから、君は霊力が高い子なのかも。いずれにしても、あまり悠長に構えていられないね。妖魔になりかけている廃れ神を探し出そう。ウツシヨへの抜け道も、僕たちが必ず探し出す。抜け道が見つかり次第、あやめさんとはそこでお別れだね」

「は、はい……」


 徐々に脈拍が落ち着いてくる。

 

「その変装も、カクリヨから出れば解けるから安心していい。そしたら、ここで見聞きしたことは夢でも見たと思ってくれ」

「それは、その……ちょっと残念です」

「ふん。こんな場所からオサラバできるなら、いいじゃねぇか」


 鉄夜がジョッキに残っていた麦酒をぐいっと飲み干す。

 追加の注文はしないようだ。龍彦もジョッキを空にして立ち上がる。自分の前にあるロンググラスには、まだアマレットのソーダ割りがたっぷり残っている。あやめは焦ってグラスに口をつける。

 一気に飲み干すとさすがに酔っ払ってしまうだろうし、と悪戦苦闘していると龍彦がおかしそうに肩を揺らす。


「ふふ、無理して呑まなくていいよ」

「でも、もったいないです」

「じゃあ、こうしよう」


 あやめの手からロンググラスをひょいっと取り上げた龍彦が、アマレットのソーダ割りをぐぐっと一気に飲み干した。優しげな見た目からは考えられない、いい飲みっぷり。


「わぁ……」


 ごくごく、と上下する龍彦の喉仏に思わず見惚れてしまう。


「ふぅ、ごちそうさま。……では、さっさとユキメさんと帰り道を見つけようか。ちゃんと送り届けるから安心してね、あやめさん」

「は、はい……」


 こくこくと何度も頷く。

 龍彦は今までの人生で交流がなかったタイプの男性だ。というか、男性との交流自体があやめの人生では極端に少なかった。頬がぽーっとするのは気のせいだろうか、それともアマレットのソーダ割りのせいだろうか。

 そんなことを考えていると、鉄夜が面白くなさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「……けっ。お前と飲みに行くと、おねーちゃん総取りするから嫌なんだよ」

「え? 嫌だな、鉄夜君だってモテるじゃない。それに、あやめさんはそういうんじゃないでしょ」

「……はいはい。行くぞ、へっぽこ所長」

「あ、待ってよ鉄夜君!」


 ごく自然にあやめの手を引いて龍彦が走り出す。

 走ると視界がふわふわ揺れて、なんだか妙な気分だった。

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