第6話 用心棒、鉄夜
カクリヨの大通りは、まるで縁日のようだった。
至るところに吊るされている赤い提灯がそう感じさせるのかもしれない。
敷地面積がせいぜい六畳ほどの小さな店がぎゅうぎゅうと肩を寄せ合い、時折、大きな店が看板を掲げている。ほとんどが木造家屋。
たまに石造りの立派な建物があるが、かなり敷居の高い店のようだ。
まるで百年前の世界に迷い込んだよう。
あやめは圧倒されながら歩く。燃えるような夕焼け空を見上げると、見慣れた、しかし、異質なものが目を引いた。
「あっ! 電車……」
「ああ、天翔線モノレールだね」
ひしめき合うように建つビルや家屋の間を縫うように、モノレールが走っている。
窓からヒョイッと列車に飛び乗る人もいて、あやめの知っている列車とは別物のようだ。
「あれがカクリヨの列車だよ。ここの列車は空を飛ぶ」
「すごい……」
「ほらほら、上ばかり見ていると転ぶよ」
「は、はい」
「君、とても人目を引くから気をつけて」
舗装されていない道を歩くのは子供の時以来で、あやめは何度かつまずいて転びそうになった。
そのたびに龍彦が「おっと!」と腕を伸ばして支えてくれる。お茶も淹れられないわりには、とてもまめまめしい性格の人のようだ。
行き交う人々も商売をしている人も、色々な姿形をしている。
耳の生えたもの、ツノの生えたもの、まるっきり二足歩行の爬虫類っぽいもの……カクリヨの住民、あやかしの姿をちらちらと見ながらあやめは興奮していた。
(すごい、私……本当に異界にきちゃったんだ……)
物語の中に入ってしまったような錯覚に、胸をときめかせた。
帝都駅では不気味な影法師だった人影も、実体を見れば異形ながらに愛嬌がある。
「ふふ、あまりキョロキョロするとまた転ぶよ」
「ごめんなさい、珍しくて」
「怖くはない? 慣れないと気味悪く感じるものだけど」
「はい、あの……そうですね。怖くないです」
自分でも、不思議だった。
奇異にうつるカクリヨの風景に、あやめは恐怖を感じていない。
「そりゃよかった。めくらましの符も万能じゃないからね。効果は……カクリヨにいる間くらいは持ってくれるはずだよ」
もうすこし、カクリヨを楽しみたい気分だ。
非日常なんてあやめの生活にはなかったものだから。
この思いがけない冒険を、満喫したい。
なんだか、浮ついた気分だった。
ふと空を見上げて、違和感を覚える。
「あの、龍彦さん」
「なんだい?」
「空が……ずっと夕焼けです」
モノレールが悠々と茜色の空を縫う。
あやめがカクリヨに迷い込んでから、少なくとも一時間ほどは経っているはずだ。それなのに、最初に見上げたのと同じ夕焼け空が続いている。いくらなんでも、そろそろ夜が訪れてもおかしくない。
龍彦が「ああ、よく気づいたね」と微笑みを深くする。
「カクリヨの時間はね、ずっと夕暮れなんだよ」
「ずっと……?」
「そう。この世界は時が止まっている。基本的には、ずっと夕焼け空なんだ。昼と夜のあわいがずっと続く。夜になることも稀にあるけど、それはカクリヨにとってはちょっとしたイベントだね。夕焼け空こそが日常なんだよね……ほら、ウツシヨでは逢魔が刻っていうでしょ」
たしかに、夕方五時ごろを「逢魔が刻」と呼ぶ。
この世ならざる、魔と出会う時。
「夕暮れ時にはウツシヨとカクリヨの境目が曖昧になるんだろうね。空は、繋がっているんだ」
「へえ。なんだかロマンチックですね」
「そりゃどうも……僕はこの空が好きなんだ。曖昧で、美しくて、優しい空だろう」
空、か。
あやめは改めて、カクリヨの空を見上げる。こうして空を見上げるのは久しぶりだ。ずっと下を見て過ごしていた気がする。脇役は空なんて見上げてはいけないのだと、そう思いながら。
「さて、この辺りが現場って聞いたけど」
龍彦が立ち止まったのは、帝都駅にほど近い路地だった。
狭い路地にひしめき合うように小さな店が並んでいる。頭上に揺れているのと似た赤提灯に書かれている文字を見るに、居酒屋のようだった。
不思議なことに、カクリヨの文字はウツシヨのものとよく似ていた。ところどころ異なるところはあるが、脳内で補完して読める程度には。
路地には香ばしい煙が白く立ち込めている。脂の焼ける、あの独特の甘い匂い。焼き鳥だろうか。店からは楽しそうな笑い声が聞こえる。
「ここに、妖魔が……?」
「そうらしいね」
あやかしだってそれなりに見た目は怖い。妖魔ともなればかなり恐ろしい見た目をしているに違いない。
こんな狭い場所で遭遇したらと思うと、背筋がぞわっとする。逃げ場がない。
「妖魔の目撃は、この周囲が多い。ついでにウツシヨに帰る裂け目もあるかもしれない」
と、龍彦が言った。
どうやら二つの世界を繋ぐ裂け目というのは、いつも同じ場所にあるわけではないらしい。
あちこちに綻びのように出現しては、しばらく経つと消えてしまう。カクリヨからウツシヨへの帰り道は、その裂け目を探すのが一番手っ取り早いそうだ。
「妖魔のいるところ裂け目あり。裂け目のあるところに妖魔ありってね」
「そういう格言みたいなのがあるんですか?」
「いや、今僕が考えた」
「……それって、結局運任せってことじゃないですか」
「まあね。妖魔が出るときには、世界が不安定になって裂け目の出現も増える……なんて言われているけど、あくまで俗説かな」
「やっぱり、運が頼りですね」
これはまったく、どうしたものか。
あやめが小さく溜息をついていると。
「君は不思議な子だね」
「はい?」
「全然、帰りたいって言わないでしょ」
龍彦にじっと見つめられて、あやめは思わず俯いた。
失業したこと、ずっと脇役の人生なこと、実家とも疎遠で親しい人も身近にいない生活なこと……初対面の龍彦にそんな話をしていいのかどうか、わからない。
「あの、えっと」
「あ、ごめん。別に理由とかは言わなくても――」
「おーい、龍彦!」
あやめが口ごもっていると、急に威勢のいい声が響いた。
どこから聞こえてくるのか。ちょっと不思議な聞こえ方。あやめはキョロキョロと周囲を見回した。
「え?」
「龍彦ぉ! 遅いじゃねぇか、待ちくたびれたぜ」
「おっと、この声は」
「こっちだこっち、上だよ!」
少し掠れた男の声が龍彦を読んでいる。
「上?」とあやめが空を見上げると、飲み屋の二階から男が手を振っていた。
龍彦と同年代の男だ。オールバックになでつけた黒髪を後ろでまとめて結っている。少し筋張った頬には、無精髭が散っている。小綺麗な龍彦とは違うタイプの人間に見える。
「こっちこっち! ったくよぉ、待ちくたびれちまったから、先に聞き込み調査してたぜ!」
「ははは、待たせてごめん。でも、本当に聞き込みか? 飲んだくれてるだけじゃないだろうね、鉄夜くん」
「おいおい。人聞きが悪いじゃねぇか……よっと!」
「きゃっ!」
鉄夜と呼ばれた男は、手にしていたお猪口と徳利を片手でまとめ、そのままひょいっと二階から飛び降りてきた。一切躊躇のない動きに、あやめは面食らってしまう。もしかして、軽業師ですか?
すと、と軽い音を立てて、鉄夜があやめと龍彦の間に着地する。
まるで、しなやかな獣のような身のこなしだ。
「えっと、は、はじめまして」
「ん? なんだ、この女」
鉄夜が、じとーっとあやめを見る。
頭のてっぺんから爪先まで、観察するような目つきだ。
少し垂れ目ぎみの鉄夜だが、ものすごく目つきが悪い。側から見たら、チンピラに絡まれているようにしか見えないだろう。
「と、東條あやめです」
「……その耳としっぽ、偽モンだろ」
鉄夜は龍彦と同じくらいの年齢に見える。背格好もだいたい同じで、極めて人間に近い見た目をしている。少し変わったところといえば、髪の色だろう。鉄夜の癖の強い黒髪は、前髪の一部が太くハイライトを入れたように真っ白くなっている。ちょっとビジュアル系のバンドマンみたいだ。
服装も少し個性的でたっぷりしたデザインの袴のようなズボンにガラシャツ、その上から膝丈の黒羽織をダボっと羽織っている──はっきり言って、ものすごく胡散臭い。なんだか酒臭いし。
鉄夜があやめに鼻を近づけて、くんくんと鼻をひくつかせる。
「ふーん……めくらましの符、使ってんのか」
「えっ、わかるんですか」
「匂いが違うからな」
得意げに胸を張る鉄夜。
匂いに違いがあるのだろうか。こっそり自分の匂いを嗅いでみたけれど、あやめにはその違いはわからなかった。
龍彦が、鉄夜とあやめの間に割り込んだ。
「あやめさん、彼は鉄夜くん。うちの頼れる用心棒だよ」
「用心棒……」
「おい、お前のとこ専属みたいな言い方すんな。俺はフリーの凄腕用心棒だ」
自分で凄腕と言うタイプなんだ……というのは、黙っておこう。
龍彦が鉄夜に向き直り、あやめを紹介してくれる。
「で、鉄夜くん。こちらはあやめさん。色々あって、同行してもらってる」
「おい、俺の主張は無視かよ。あと、色々の内訳を教えろ。カクリヨの奴じゃねーとか、信用ならねーだろ」
「……妖魔騒ぎに乗じて、裂け目を使わせてあげたくてね」
「へぇ、なるほどな。あんたマレビトってことか」
「マレビト?」
また知らない言葉だ。
あやめは混乱しそうになる頭を必死に整理した。
カクリヨというのは、この不思議な世界のこと。裂け目というのは、あやめのいた世界とこのカクリヨを繋ぐトンネルのようなもの。
「意図せずにこっちの世界に迷い込んでしまった、
「こんなとこに迷い込むたぁ、災難だな」
鉄夜が労うように言って、とっとっとっ、と酒をつぐ。
鉄夜はあやめにむかって乾杯の仕草をして、ニカッとわらった。
「ま、よろしく」
「よろしくお願いします……」
酒を煽る鉄夜。
それをニコニコと見ている龍彦。
まったく正反対の二人だ。どういう関係なんだろう……とあやめは二人を見比べた。
というか、鉄夜は普通に飲酒をしているけれど、この人は仕事中ではないのか。もしかしてカクリヨでは、飲酒しながら仕事をするのが普通とか?
「立ち話もなんだから、飲み直そうぜ」
鉄夜がバシバシと龍彦の肩を叩く。
されるがままの龍彦が、にこりと微笑む。
「うん、それはいいけど……鉄夜くん、この店の支払いは?」
「……」
「この店の、支払いは?」
「あー……まあ、な」
「未払いだね」
「ぐっ」
「まさか、このままトンズラしようとか思っていないよね?」
「ぐぐっ……」
「鉄夜くん」
笑顔を崩さないまま、龍彦が鉄夜を追い詰める。
「食い逃げはダメだよ。うちの事務所にも何通か請求書が来ているから、それは自分で払ってね」
「……ちっ、わかったよ。次の店は経費で落としてくれよな」
「考えておくよ。聞き込みの成果次第だね」
龍彦が肩をすくめる。
待ってましたとばかりに鉄夜がニヤッとわらう。
「おっと。だったら今回は経費飲みいただきだな!」
「あはは。さすがは鉄夜くん。もう情報は掴んでくれてるんだね」
では、この店ではちゃんと聞き込みをしていたようだ。
見た目によらず真面目なのかもしれない。と、あやめは少しだけ鉄夜を見直した――のだが。
「いや? 今の店では飲んだくれてただけだ」
「……」
がはは、と豪快に笑う鉄夜に、あやめは思った。
龍彦はいい人のようだけれど、龍彦の友達が同じくいい人かどうかは疑問である。
(ええ……この人、本当に大丈夫なのかな……?)
あやめは、鉄夜と距離をとって歩くことにした。
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