一章 2
「お嬢さーん、そろそろ起きない?ねえってばー。おっかしーな、そんなに強く落としてないはずなんだけど……」
ぼんやりとした意識の中、間の抜けた声が聞こえてきた。薄く目を開けると黄色い頭が話しかけている。手を動かそうとしても縛られているのか上手く動かせない。それどころか椅子から立ち上がることも出来ない。
どうやら背もたれの後ろで両の腕を括られているらしい。身動きが取れないことで焦りを感じ、漸く葉は覚醒した。
「え、は?なに、これ」
「お、起きたな。おはようお嬢さん、気分はどう?最悪だろ?いやーすまんね、本当に」
「あれ、シアン……さん?」
目の前に座る金髪の少女。髪の色や雰囲気はだいぶ異なるが、先程まで共に居たシアンとよく似た顔立ちをしている。思わずシアンの名前を出した葉を見て、少女は不思議そうな顔をした。その後すぐに納得し、葉の隣を指さした。指の先をたどって横をむくと自身よりも厳重に拘束され、項垂れているシアンがいた。
「シアンはそこ。あの隈を見るに一週間は大した睡眠とってねーな?それでも尚あれだけ暴れるんだから、体力バカも程々にして欲しいっての」
「そんな……。シアンさん!シアンさん起きてください!!」
必死に呼びかけるがピクリとも動かない。一つに結われていた雪のような白髪はぐしゃぐしゃに荒れ解け、ところどころ血の赤が目立つ。
表情は髪におおわれて窺い知れないが、痛々しい姿に最悪の想像をしてしまう。
「あー、そんなんじゃ起きないと思うぜ」
金髪の少女は不安に押しつぶされる葉を横目にシアンに近づく。少女はシアンの目の前に立ち、彼女が拘束されている椅子を「えいっ」と蹴り倒した。既に意識も自由もない見るからに重症な人間を、小石を蹴るように当たり前のような顔をして。
「いや、ちょっと!なんてことを、怪我人ですよ?!貴女、何なんですか。どうしてこんなこと」
「何と言われると困るんだけど……。呼び名がないと困る?けどこっちも訳ありなもんで!別に困らねーか!あはは!」
金髪の少女は葉の前に戻る。何が面白いのか一人でケラケラ笑っているし、とにかく軽薄そうであることしか分からない。シアンを蹴った時と言い、常に口元だけ笑みを浮かべているのがそわそわと落ち着かない不気味さとなって葉を襲う。恐怖を抱いた顔に愉快な点でもあったのか少女はケラケラと笑いだした。
「あっはは!そんなにビビるなって〜。って言うのも無理な話か。なんてったってアンタ現在進行形で人攫いに捕まってるわけだし。まぁ、そろそろボスが来るからもうちょい待ってな。大丈夫大丈夫、約束したっていい。悪いようにはならないから、本当に!」
なんの安心もできない。ボスというのは首に刃を立てた男が口にしていたのと同一人物であろう。であれば勿論、目の前に立つ少女もその人攫いの一味であるということだ。
死んだと思えば異世界に飛ばされたと言われ、果てには誘拐される。泣きっ面に蜂、蜂どころかもはやミサイルである。普通に命の危機。頼みの綱のシアンは自身よりも時間が無い様子。このまま殺されるのだろうか、それともどこかに売られでもするのだろうか。冷や汗と震えが止まらない。
思い浮かぶいくつもの悲劇に戦いていると、正面に見える重量な扉がゆっくりと開いた。
戸の向こうから、包帯を巻いた何人かの男と明らかに纏うオーラが違う大男が現れる。誰が見てもあれがボスだと分かる威圧感だった。筋骨隆々という言葉はこの男のために生まれたのでは思わせる肉体、それを彩る複雑な刺青。どう見ても堅気では無い。周りの男たちの包帯はシアンにやられたものか、はたまたボスとやらにしばかれたものか。攫った時にはシアン相手に統率の取れていなかった男たちが軍人のようにぴっちりと後に続いている。
「やっほ〜ボス。随分重役出勤じゃねーか。いくらなんでも遅すぎっしょ」
「黙れ新入り。お前の力と技術は確かだが、たかだか入って一週間のやつがいい気になるな」
「あっはは!頭かてーな、そういうなって〜。下っ端は下っ端らしくちゃんと貢献してんだろ?見張りとして」
「もういい、下がれ」
「はいはーい」
圧政を思わせる重苦しい空気をぶち壊す少女。彼女は未だ新入りの立場らしい。それにしては随分と好き勝手言っているが。青筋を立てたボスの言葉にわざとらしく両手を上げて下がって行った。
「さぁ、本題だ。そこの小娘、お前はこの世界の人間じゃないんだろう」
ボスが問いかける。男の一縷の光もない深淵のごとき目に葉が写る。蛇に睨まれた蛙のように動けない。葉は口をはくはくとするだけで精一杯だった。
「答える気がないのか、答えられないのか。どちらでも構わない。悪いが貴様にはオレたちの糧になってもらう。異世界人は高く売れるからな」
やはり目的は人身売買であった。どうやら異世界人であることが攫われた理由らしい。まだ自分自身異世界にいることも信じ難いというのに、それが原因でこんな目にあうなんて。葉はあまりに己の不幸を嘆いた。この状態ではもはや嘆くことしかできなかったのだ。
「てめぇら、異世界人の小娘を檻に詰めろ。傷は付けるな、値が下がる。そっちの白髪は使うなりなんなり好きにしろ。二束三文でも最後には金になる」
ボスの男が手下の男に指示を出す。最低な文言を聞いたせいか背筋に寒気が襲う。
「お嬢ちゃん大人しくしててくれよ、間違って切っちまうかもしれねぇ」
何人かの手下の男が葉に近づこうとする。
しかし突然そのうちの一人が転倒した。慌てた一人が隣をつかみ、ドミノ倒しのように倒れていく。
「何してやがる!!」
ボスの男が怒号を上げた。ざらついたコンクリートにヒビでも入っていたのだろうか。男たちはなぜ転けたのかと足元を見る。するとどうだ、先程まで立っていた場所はスケートリンクのようにツルツルとした氷で覆われているではないか。氷は水溜まり程の大きさから徐々に、じわじわと、意志を持つかのように広がっている。地面だけでは留まらず、氷は転がったままの男に触れるとその身体を這うように凍らせる。
手下の男達は、蜘蛛の子を散らすように大慌てで氷から距離を取った。その様子を見たボスはふと何かを思い出したように顔を上げた。その視線は葉の隣を向いている。
「クソ野郎、人が寝てる間に好き勝手殴ってくれやがってよぉ。あぁ、体痛ぇ」
ボスの視線の先、葉の隣から唐突に不機嫌な声が。椅子ごとひっくり返り、自力で起き上がることはまず無理だったはずのシアンが首を鳴らしながら胡座をかいていた。その後ろにはバキバキに折られた木片が散らばっている。どうやったかは分からないが、恐らく椅子だったものの成れの果てだ。
「シ、シアンさん!良かった、目を覚ましたんですね」
「おう。悪ぃな、寝てた。アンタをこんな危険に晒す予定はなかったんだが…………おいライアぁ!!」
思わず縋るように名を呼ぶと、シアンはあっけらかんとした態度で葉の拘束を解き、その後すぐにブチ切れ『ライア』と誰かの名を呼んだ。
「テメェ人を置き去りにした挙句早々に迷子りやがって、どこほっつき歩いてた。おかげでこちとら寝不足だわ」
「寝不足は関係ねーでしょ。じっこせきにーん。体調管理くらいちゃんとしろってことだろ、幾つだお前」
ボスの後ろからべーっと威嚇する金髪の少女。顔が似てるためもしやとは思ったがやはり関係者のようだ。
倒れる前まで夜叉のように暴れていたシアンを思い出し、男たちがさらに慌てふためく。そんな中ボスの男だけが静かにシアンを睨みつけていた。
「聞いたことはある、凍結の魔人、不殺の誓い、護リ人のシアン…………。そこの氷も貴様の仕業だな」
「はっ、知ってるんなら話は早い。大丈夫大丈夫、身動きは取れなくなるが死にはしない。どれだけ非道な野郎であっても剣に誓って殺し
男の眉間にシワがよった。葉や手下達には分からなかったがうっすらと冷や汗も滲んでいる。
この時、葉に知る術はないが男の脳内では後悔と焦燥が混濁していた。
――人数で勝っていようと、己の方が良い体格であろうと関係ない。決して相手にしてはいけない者というのは存在するのだ。しかし残念ながら自分たちに退路は無い。迷イ人に手を出すことのリスクは把握した上での誘拐だった。まさか護リ人ごと連れてくるとは思わなかったが。今、無事にこの場を切り抜けるにはシアンを倒す他ない。その為ならば目的である葉を殺してでもシアンの気を引く必要がある。――と。
溜息をつきながら男の様子を一瞥したシアンの手にはどこから出したのか氷のような刀身の剣が握られていた。彼女は静かに「危ねぇから端によってろ」と葉を立たせた。
「シアンさんは?逃げないの?貴女頭から血でてるんだよ?!それに……」
あんな大男に勝てるわけない。
葉はそう言おうとしたが、シアンの目を見て思わず口を閉ざしてしまった。シアンの目に迷いは無かった。なんなら自信さえ見える。
「言わないでくれてよかったぜ。いくら迷イ人でもそれを言われちゃあ腹が立つ。安心しろよ、あの程度どうということも無い。強いて不安を言うならあの馬鹿迷子が何をしでかすか分からないことくらいだな」
葉が壁際に離れたのを確認した後、シアンは男に向き直る。
先程の挑発するような言葉と、未だ氷から逃げ戦意喪失しかけている手下達を見て男も苛立ちを顕にしていた。
「随分侮ってくれるな、女。立派な噂は耳にしているがまさかこんなガキだとは思わなんだ。どうやらただの独り歩きだったようだ」
「はっ、その態度だけは褒めてやるよ。ただ次に私を外見で侮ったら潰す」
虚勢か矜恃か男は飽くまで泰然とした態度は崩さない。その後ろで「ボスかっこいい!」という手下の声と「うわー、怖いもの知らず〜」と呆れる声が混ざりあっている。
二人は互いの剣を握り間合いを取り始めた。男は未だ冷や汗を流し続けている。対するシアンは目を離さず、決して油断はせずとも緊張も畏怖も感じていない様子。なんなら欠伸までし始めた。精神的余裕がどちらにあるかは誰の目から見ても明らかだった。
好機とばかりに男が剣を振り下ろす。シアンはそれを一瞥し、軽く避けた。避けたその足を深く踏み込み、その足を軸に男の首目掛けて回し蹴り。寸前のところで防がれたが、防いだ腕に氷がまとわりついた。氷は腕から急速に広がり全身を覆わんとしている。男が慌てて距離をとった。
「何あれ、人が凍って……?!」
思わず声に出た。CGじゃない、手品にも見えない。先程の地を這う氷と同じだ。葉は漸くこの場が異世界なのだと実感した。
「ひとつ聞く。どうやってあの迷イ人の場所を知った。誰かの入れ知恵か?そいつを売ればその氷取ってやるよ。売らねぇってなら腕ごと取る」
「慈悲など要らん。情報は渡さない、信頼が崩れては困るからな」
「あぁ、そうかよ。人攫いに信頼もクソもあるかって話だけどな。でもま、言わねぇならもういいか。ちゃっちゃと終わりにしよう」
この時、シアンの提案を即座に袖にした男に覚悟はできていた。この案に乗ったとて、のこのこ帰れば自分たちに残るのはいずれにしろ破滅だと。ならばせめて迷イ人含めて道ずれにしてやろう、と。
しかし、如何に屈強な筋肉と言えども、さすがに半身も凍らされては身動きが取れない。急激な体温低下によって様々な動きが鈍っているのだろう。男は隠し持っていた液体を足に注射した。すると、突然の筋肉が爆発したように膨張した。何かしらのドーピングなのだろう、一回り大きくなった男はその衝撃で氷を砕いていた。男は剣を構え、静かに言葉を放つ。
「『剣を焚く 地を揺らす 脈を打つ音に隆起せよ』」
それは不思議な響きだった。音も、単語もしっかりと聞こえているのに、意味が理解できない。脳内で再生してみても単語の意味はわかる。だが男から発せられた意味はどこか違うように感じた。身体の内の、懐かしい何かを揺らすような音だった。
男の声が消えると同時に、彼の剣が轟々と燃え、シアンの足元が波打ちだす。男が剣を携え蹴り出すと共に地面が盛り上がり、槍のように次々とシアンへ襲いかかる。
「へぇ、抵抗するか。んじゃまぁ、半殺しは覚悟だな」
一つは避け、一つは凍らせ、一つは叩き切る。一気に形成は逆転し、防戦になっているのが葉の目から見てわかる。手下共のように統率のない動きでは無い。一つ一つが男の腕のように明確に退路を塞いでいる。その最中にも男は炎の剣を振り回し、強烈、凶悪な傷跡を建物や地面に残していく。しかも、一撃ごとに威力が増している。かすっただけでも致命傷。加えて大火傷だろう。
(見てるだけで緊張する……。これが異世界、魔法のある世界)
葉は強ばった身体を解くようにフッと息を吐く。その吐息が白く視認できたことで、空気が冷えていることに気づいた。
(体は暖かいから気づかなかった……。もしかしてここ、すごく寒い?)
何故だか葉は寒さを感じていなかった。むしろ暖かい気さえする。
冷気の発生源はもちろんシアンだ。正確にはシアンの持つ剣。男の燃える剣から出た熱と対抗するように冷気が纏っていく。彼女にとって冷気や氷は魔力そのもの。魔力を氷に出力することができるし、その逆も可能なのだそう。
ふと周りを見渡すと先程まで氷で滑って転がっていた手下たちの姿が見えない。なんだ、胸騒ぎがする。
突如、昼間にも感じた首への冷ややかさを感じる。
「お、女ァ!この迷イ人がど、どうなってもいいのか?!」
「あ?」
(うーん、デジャブ……)
本日二度目の人質である。さすがに二度目ともなるとまたか……という気分だった。
しかも男は冷気のせいで震えが止まらず首の辺りでナイフがブレている。気が気でないからやめて欲しい。
「よそ見をするな護リ人!!」
「してねぇよ、うるせぇなぁ!!」
流石に気がそれたシアンにボスの男が畳み掛ける。助けることは……できなくは無い。遠距離からでも葉を守ることは出来る。しかしシアンは一瞥した後にすぐボスの男に向き直った。もちろん、葉を見捨てたわけではない。自分が手を出す必要が無いと感じたからだ。
「あっははははは!信用されてる?光栄ですねー、気持ちわりー」
突然、葉の後ろから、正しくは葉の背後にいる男の後ろから声が聞こえた。気が抜ける笑い声だった。
「な、新入り?何を……ひっ」
「さーせんさーせん、裏切りました!ごめんなさーい」
全く謝意のない声色で金髪の少女、ライアが男を糸のようなもので縛り上げていた。男が動こうとする度にギチギチと糸がくいこんでいる。
「おっとー、動かない方がいいぜ、切れちまう。あーあ、本当はもう少し信頼勝ち取ってからのつもりだったんだぜ?そっちの方か楽しそうだから。でもさー、流石に迷イ人に手出されたら黙ってる訳にはいかねーんだわ」
「その物騒なもん、離してくれるよな?」と男に詰め寄るライア。後に聞いた話、戦闘中傍目に見ていたシアンが(イキイキしてるぅ)と呆れていたくらいには笑顔だったらしい。
寒さ以外で震えを大きくした男が大人しくナイフを落とすとライアも糸を解いた。今度こそ完全に戦闘意欲が喪失したようだった。
「ほい、お嬢さん。あー、うん、切れてはねーな。大丈夫大丈夫!」
無事を確認するようにライアがまじまじと葉を見回す。
首の辺りにうっすら跡らしきものは付いているけれど血は出ていので心配いらないそうだ。
「えっと、あの。助けてくれて?ありがとうございます?」
「なんで疑問形?」
「イヤだって、ほんとに味方かわかんないし」
「あはは!そりゃそうだ。アレだよ、よく言うだろ?『敵を騙すにはまず味方になってから』!」
「言わないと思う」
葉を気絶させた件といい縛られていたシアンを蹴飛ばした件といい、どう考えても人攫い側の人間だったはずのライア。助けられたとはいえ素直に感謝を述べてもいいものかと、つい疑問形になってしまう。しかし、心底楽しそうに話すライアに思わずツッコミを入れた。
「でもこれは言ったろ?悪いようにはならないって。約束したっていい、あんたは私が必ず護るよ」
しかしヘラヘラと笑っていたライアだったが、約束という言葉が出た途端真面目な顔をした。口は笑っていたが。これは信用してもいいかもしれないと本能で感じた。
「おあぁぁぁぁぁあぁあああああ!!」
安心したのもつかの間。咆哮のような男の叫び声に引き戻された。そうだ、まだシアンが戦っていたのだ、と。
男の呪文によって槍のように襲っていた地面も気づけば殆どが氷に覆われている。しかし、シアンの後ろは壁、横には元々倉庫にあった貨物。逃げ場はない。
我を忘れた男がトドメとばかりに剣を振り下ろす。
(危ない!!)
思わず目をつぶる。葉は見ていなかったが、この時シアンは笑っていた。
「待ってました、ってやつだ」
風を燃やしながら落とされる烈炎。その真正面から激しい音を立てて冷気がぶつかる。受け止めたのだ。それだけでは無い、鍔迫り合いの中次第に男の炎の勢いが失われていく。火が完全に消えた瞬間、目を見開いたシアンがそれを弾き飛ばした。
「そら、いい加減終わりだデカブツ。デカイだけじゃ私には勝てねぇよっと!!」
男の剣を飛ばし、体制の崩れたところを容赦なく蹴り飛ばしたシアン。端の壁まで吹き飛び、力なく項垂れた男を見てあぁ終わった、と伸びをした。
(うっそでしょ、体格の差とか、どうなって……)
文字通り筋肉ダルマになった男の剣を、葉とあまり変わらない歳の女の子が受け止める。普通に考えて意味がわからない。葉が呆然と眺めている間ライアはただただ爆笑していた。
☆
「いきなりこんな現場に巻き込んじまって悪ぃ。怪我はしてないな?」
呆然とする葉にシアンが声をかける。周囲には崩れかけた倉庫の木材やほこりが舞い散り、まだ緊張感が抜けきらない。ようやく意識が戻ってきた彼女は、戸惑いながらも慌てて返事を返した。
「あ、はい、あたしは大丈夫。おかげさまで」
「そりゃあ何よりだ。あんたになんかあったら、私らいる意味ねぇからなぁ」
シアンの手にしていた剣が、まるで霰が溶けて消えるかのように粒となって消えていく。手品のような光景に葉は少し不思議そうに見入った。そんな彼女にシアンがゆっくりと言葉を続けた。
「説明が必要だよな。まぁなんとなく分かってはいるんじゃねぇかと思うんだけど、この世界には魔法が存在する。それもほとんど全員が使える能力だ、あんたも例外じゃない。さっき見た通りの荒事も割とよくある」
葉はその言葉を聞きながら、自分が今いる世界がただの現実ではないと改めて実感していた。想像はしていたことだ。今いる世界はあれが日常的なのだと。
それでも彼女の胸には緊張と期待が入り混じった、説明しがたい感情がわいていた。まるで初めてジェットコースターに乗る前のような、ワクワクと不安が入り混じったあの気持ち――それは決して戦いたいというものではない。ただ、どうしようもない壁もこの世界なら越えられるかもしれない、そんな淡い期待だった。
「うん。よくわかった。魔法なんて…………夢でも見てるみたいだけど、決して夢じゃないんだよね」
「その通り。そんであんたは自分の今後を考えないとならねぇ。こんなとこで言うのもなんだけどさぁ――」
「ねーシアン。その話が重要なのはわかってんだけど、そろそろこの倉庫崩れそう」
ライアの言葉に、シアンと葉の間に一瞬静寂が訪れた。だが、その沈黙は長く続かなかった。天井からボロボロと落ちてくる瓦礫が、その静寂を一瞬でかき消したからだ。
「よし、私は何も知らん。あとのことはこの野郎共に任せよう」
「あはは!ひでーの。まー、元凶はこいつらだし、壊れて犯人にされても面倒だしな」
「その元凶にはお前も含まれてるけどな」
「しりませーん」
軽口を交わしながらも、緊迫した状況に気を引き締めるライアとシアン。だが流石の葉もすぐに状況を察し、小さく背を縮めた。
「よし、逃げよう」
シアンはそう言うと、迷わず葉を抱き上げた。お米様抱っこである。
「えっ、ちょっ、歩けますよ?!」
「いや、こっちのが早い。舌噛むからもう話すな」
「大丈夫大丈夫!ちゃんと迷イ人は保護するぜ、本当に!細かい現状も後で話すから!」
言うが早いかシアンは走り出した。混乱の中、何故かライアが反対方向に逃げようとしたのを無理やり引っ掴んで。
こうして、異世界での暮らしは突然幕を開けた。しかし実の所まだ何も始まっていないのだと、葉が知るのは次の日のことだった。
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