第32話 海より海鮮丼ですよ

 バスのブレーキ音が静かに響き、二人は揺れる車体から降り立った。


「ありがとうございました!」

「ありがとう」


 二人の礼を聞き届け、バスは再び走り出す。

 その姿は、陽炎の奥へと溶ける様に消えていった。


「さて、取り敢えずは無事に到着したわね。まずは第一段階クリア」

「無事に到着出来ない事があるんですか?」

「それは……」


 貴女がいるからよ、とは言えずにセナノは実際にあった過去の事例を口にする。


「観測に優れた異縁存在が、移動中の縁者を襲った事があるわ。その時は、トラックを操作して縁者の車を真正面から破壊しようとしたの」

「えぇっ、そ、それって大丈夫だったんですか?」

「死んではないわ。まあ、大けが負ったのは事実だから、すぐに別の縁者が派遣されて処理したけど」


 自分達だけが一方的に異縁存在を認識し観測している。

 その思い上がりは、まだ現場に立った回数が少ない縁者が陥りがちな思考である。

 異縁存在に対抗できる縁者という肩書が、自身を絶対的な狩人の立ち位置を維持した特別な人間だと錯覚させるのであろう。


「ま、取り敢えず今は無事についたんだからいいじゃない。それにほら、貴女の望んだ海よ」

「……わぁ」


 セナノの指さす方向を見て、エイは笑みを浮かべ目を見開く。


 目の前に広がるのは、穏やかな潮風の香りに包まれた港町。

 海はすぐそこにあり、陽光を反射してゆるやかにきらめいている。

 小さな漁船が波に揺られ、桟橋に繋がれたロープは長い時間に晒されたのか、色が褪せてほつれていた。


「寂れているけれど、まあこれも風情って事で」


 バス停の脇には錆びた看板が立ち、文字の一部は剥がれ落ちて読めなくなっている。

 舗道には割れたタイルがところどころ残り、古びた商店のシャッターには「休業中」の貼り紙が貼られていた。

 それでも軒先には鉢植えの花が咲き、潮風に揺れているのが目に映る。


 セナノはその景色を見て、悪くないと一人で評価し内心頷いた。

 こういう人の生活が根付いた景色は決して嫌いではない。

 守るべきものがあると改めて認識できるからだ。


「さ、移動しましょうか」


 目の前の景色に佇むエイの肩を叩く。

 すると、ハッとした様子でエイは頷いた。


「はいっ! 美味しいご飯ですね!」

「もう……別に観光に来たわけじゃないのよ。でも、そうね。待ち合わせまではまだ時間もあるし、約束通りお腹を満たしていきましょうか」

「やった」


 エイは胸の前で小さく拳を握る。

 相当嬉しいのか、今にも小躍りしそうな雰囲気すらあった。


「海なら、海鮮が美味しいですよね。村のお姉さんがそう言っていたのを覚えています!」

「海鮮ね。ま、その辺少し歩いて探してみましょうか」


 坂道を少し登れば、斜面に寄り添うように建てられた家々の瓦屋根が並び、その向こうにはどこまでも続く青い海が広がっていた。

 静けさの中に、カモメの鳴き声と、港で作業をしている人々のかすかな声が混じる。


 とても穏やかだ。

 まるで異縁存在など、存在していないかのように。


(昔からこの土地での信仰があったという記述が報告書にはあったけれど……)


 異縁存在にもいくつかのパターンが存在する。

 中でもこれは、人々の暮らしの中に根付き、神として崇め奉られている典型例だ。

 

(こういう時、自分たちの神様が異常な行動を起こせば慌てるものだけれどそれがない。って事は、この地に生きる人にとってはこれは日常的なもの……あるいは、異常こそが望んでいたものか)


 この地に降り立った瞬間から任務は始まっている。

 古びた看板から、朽ちかけたベンチに至るまで全てが異縁存在へと繋がるヒントになるかもしれない。


 セナノは、エイとの雑談の間にも周囲に目を向け情報を収集していた。


「セナノさん、見てください。海で何かが跳ねましたよっ。おっきな魚ですかね?」


 エイはそう言ってセナノに目を合わせると少しだけ微笑んだ。

 寂れながらも、どこか懐かしい温もりを感じさせるこの港町に、彼女たちの足音が新しく刻まれていく。







 田舎から抜け出したと思ったら、また田舎に来ちゃった。

 しかも今回は海タイプの田舎である。


 考えてみると十数年ぶりの海であるので、感動するかと思ったらそんな事はなかった。

 へぇ、って感じである。

 

『……エイ、海に心を奪われてはいけませんよ?』

『意外と感動しなかったから大丈夫。磯臭いね』

『うんうん^^ それなら良いです。海よりも空ですね!』

『? まあ、そっすね』


 取り敢えずごま擦りは基本だ。

 だって、逆らったら怖いし。


 俺は今、セナノちゃんの後ろをついて歩き海鮮丼を探しているわけだが、真横を歩いている上位存在ロリの機嫌を損ねたら姿を消す可能性だってある。

 セナノちゃんが振り返った時俺がいなかったらさぞかしビビるだろうなぁ……。


『お刺身楽しみです!』

『そっすか』

『エイは楽しみじゃないんですか?』

『数回だけ、食べた事あるからね』

『いいなぁ。どうでした?』

『うーん、よくわかんなかった。少なくとも甘くはないね』

『そうですか。俄然、興味が湧いてきました』


 ソラは嬉しそうに防波堤の上にふわりと飛び乗る。

 そして俺を見下ろしながら、それはそれは良い笑みでほほ笑んだ。


『縁者って良い仕事ですね。美味しいご飯を食べられて』

『この後、死ぬかもしれないけどね』

『大丈夫ですよ。貴女に死はありません^^』


 それはそれで怖いんだよなぁ。


『というか、バスにいたときに視てきたとか言ってたけど、知っているなら詳細を教えてくれない?』

『嫌ですよ。何度も言っているでしょう? 私はエイを愛していますが、それと同時にエイが恐怖に怯える姿も愛しているのです』

『ひぇ』

『ふふ、可愛いですね。自身の理解が及ばぬ事に立ち向かうその勇気と未知への恐怖に怯える姿。人間はこうも矛盾した感情を抱えながら行動できる。不完全故の美しさと言えるでしょう』


 人類全体への批評が歪みすぎている……。

 まあ、いざとなったらソラにみっともなく泣きつけばいいか!


『ちなみに今回もエイはヒロインですから。その役割に恥じないように動いて下さいね^^』

『ウィッス』

『そして今回は花嫁です』

『ウィッス?』

『こうして第一巻分の内容をおさらいしつつ、エイの扱う力の一端を見せることで守られるだけの無垢なヒロインではなく、その内側に化け物を飼っているという事を改めて認識させましょう!』

『ウィッス!』

『よいお返事ですね! 3天移ポイント!』

『わ、わぁい(後悔)』


 イエスマンに徹していたらまた絶望が近づいた。

 くそ。日本人としての気質が人生終了カウントダウンを早めやがる!

 

『さ、まずは美味しい海鮮に舌鼓を打ちましょう。それから、合流するであろう――おっと、これはまだエイは視てないですね。ネタバレは厳禁です。反省反省^^』

『わざとやってない? 俺に情報小出しにしてモヤモヤさせたりビクビクさせたりしてない?』

『はい。何か問題が?』

『無いっす』

『うんうん^^それで良いので…………』


 ソラは唐突に足を止め、話すのをやめる。

 彼女は今、海の方を数秒見ていた。


『ソラ?』

『……』


 何故だか周囲の森が揺れ、一層蝉の声が聞こえ始めた気がする。

 それにセナノちゃんも気が付いたのか、ハッとした様子で俺の方を見ていた。


「……エイ、どうかしたの?」

「?」


 知らん知らん、俺知らんよぉ!


『ソラ、マズイって。なんか俺が怪しまれてるから! このミンミン部隊さっさとどかして! っていうか、何やってんの!?』

『……ああ、大丈夫ですよ』


 今までのはしゃいだ声から一転。

 平坦な声でソラは言葉を返してきた。


 俺はすぐに直感する。 

 今俺の視線の先にいるのは、無邪気な子供という皮をはがされた、正真正銘の空澱大人だ。

 

『少し牽制しただけなので』


 ソラはゆっくりと振り返る。

 潮風に揺れる青い髪は、空に溶けていくかのようだ。


 彼女は今まで通りに明るい笑顔で、そして無邪気に言った。


『今回のコンテンツには関係のない事です! さ、行きましょうか^^』


 辺りを支配していた蝉の声が静まり、何事もなかったかのように平穏が訪れる。

 しかし、何かがあった事は明白だった。

 少なくともソラが、流れを無視してまで自身の力を行使する何かがいる事は。


 それを理解して俺は――。


『ウィッス!』


 触らぬ神に祟りなしを全うしていた。

 

 


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