第21話 灰と蛇

雲の隙間から差し込んだ光が、薄汚れた窓ガラスを通して薄く差し込んでいる。

 だがその光は、埃に濁され、床へ届く頃にはくすんだ黄土色に変わっていた。


「……この感覚、既に迷宮内ね」


 エントランスのタイルは剥がれ、ところどころ水を吸ったように黒く変色している。

 誰も歩いていないのに足音がひとつ遅れて反響し、背後からついてくるかのようだった。

 まるで舞台の上にいるのかと錯覚してしまう程に自身に突き刺さる視線に、セナノはゆっくりとギターケースを降ろし開いた。


 そしてレバーを降ろし、中からヒバリを取り出す。

 許可は事前に下りている。しかし報告を義務付けられているため、セナノは早速トランシーバーを取り出し語り掛けた。


「吉葉さん、木場さん、これよりNARROWを使用します。外から異常が確認出来たら教えてください」

『了解。気を■け■■』


 年季が入ったトランシーバーからノイズ混じりに吉葉の声が聞こえる。

 半分しか聞き取れなかったそれを眺めて、セナノは顔を顰めた。


「やっぱり市販は駄目ね」


 ため息をつき、ヒバリを放り投げる。


『認識接続、オース・リンク開示。確認しました』


 機械的な音声と共に、ヒバリは鳥へと変形しセナノの頭の上に着地する。

 文句を言おうとしたセナノだったが、頭の上から感じる重さと熱こそが自分を助ける唯一の存在であると思い出すと黙って歩き出した。


 階段の手すりは錆びつき、触れれば指先に赤茶の粉がまとわりつく。

 昼間であるはずなのに廊下は薄暗く、妙な寒気すら感じた。


(普通、迷宮内に入ったら即座に殺そうとしてくるものだけど。……もしかして機を窺っている……? だとしたら知能が高い厄介な異縁存在ね)


 各部屋の扉はどれも閉ざされている。


 廊下の隅には古びた三輪車がひっくり返り、片輪だけがカラカラと勝手に回っていた。

 昼の太陽の下で見る光景だからこそ、異様に生々しく、誰かがまだここに住んでいるかのような錯覚を覚える。


 しかしセナノはおろかヒバリすら反応を示すことはない。

 ここが普通のさびれたマンションであると言われれば信じてしまいそうになる。


 進めば進む程、背筋が氷のように冷えていく。

 朝日の温かさなどセナノはとうの昔に忘れていた。


(いるのはわかる。……けど、場所の特定が難しいわね。いっそのこと、片っ端から燃やそうかしら)


 住民がいなくなり、がらんとしたマンションは最悪燃やしても良いだろう。

 そう考えて、脳裏に任務前に読んだいくつかのルールがちらつき首を横に振る。

 

「……地道に探しましょうか」


 自分に言い聞かせるようにそう言って、セナノは部屋を一つ一つ開け慎重に探索を続けた。

 こういう時は、優秀な自分の才能が恨めしく感じてしまう。

 まだまだ見習いだった頃は、最低でも五人一組での行動を義務付けられていた。

 しかし、優秀になればなるほど単独行動の機会は増える。

 異縁存在が近年増加傾向にあり、複数人での処理に回せる人的余裕が無いからだ。

 だからこそ、学生の身分であるセナノが才能という言葉だけで単身駆り出される。


 本人もそれは納得していたが、それでも心のどこかに寂しさはあった。


(こういう時、バディでもいてくれたらいいのに)


 S階位になればそんな可能性は0に等しいと知っていながらセナノは思わずそんな想像をしてしまう。

 そしてその虚しさを紛らわす様に再びトランシーバーへと口を開いた。


「こっちはまだ異常は見当たらないです。具体的に何階で見たとか情報はありますか?」

『■■■■』


 酷いノイズだけが返事として部屋に響く。

 セナノは顔を顰めてトランシーバーをポケットにしまい込んだ。


「まったく」


 そうして愚痴を吐き出しながら歩き出そうとしたその時である。

 ふと、目の前の景色に違和感を感じた。

 生活感の残されたなんの変哲もない部屋。

 読みかけの雑誌が放り投げられ、柱には日焼けしたシールが何枚も貼り付けられている。

 煙草で黄ばんだ壁や、既に役目を終え物を置くスペースになっている学習机など、それは何の違和感もない光景でしかない。


 セナノは再びゆっくりと辺りをもう一度見渡して気が付いた。


 ──窓。


 外の街路樹を映しているはずのガラス面が、微かに水面のように揺らいでいた。

 まるで水面のように、ガラスだけが波打つ。


「……来たわね」


 セナノが一歩踏み出すと、ガラスの奥に黄金の眼が現れた。

 人の顔よりも大きく、縦に裂けた蛇の瞳孔がじっとこちらを見据えている。

 

 次の瞬間、ガラスの揺らぎは大きくなり、表面を突き破って黒々とした蛇の群れが這い出してきた。

 太い舌を振るわせ、鱗が擦れ合う音が壁や床に響き渡る。

 先ほどの静寂から一転。辺りは異縁存在で溢れかえった。


 一本、また一本。

 最初は細い影のようだったそれは、次第に実体を帯び、床を這いながらセナノの足元へと殺到する。

 無数の尾が擦れ合い、部屋全体がざわめくように震えた。


 窓の奥では、なおも蛇の眼が瞬きもしないでこちらを凝視している。

 まるでセナノがこれからどう動くのかを観察しているかのように。


 そんな蛇の眼に対し、セナノは強気な笑みを返した。


「はっ、やってやろうじゃない」


 迫る蛇に対し、セナノは一歩、また一歩と後方へと下がる。

 それもただの回避ではない。


 踏み込みは花弁を散らすように軽やかで、旋回は羽ばたきの軌跡のように流麗。

 手首の返し、足裏の送り、それぞれの所作はただの回避ではなく、奉納の舞として形を整えていた。


 足元まで迫っていた蛇が、突然焔を上げて燃える。

 それは連鎖するようにセナノへと近づく個体へと広がっていった。


「悪いけど、この程度の初見殺しは馴れてんのよ」


 彼女の足取りはもはや回避ではなく、鳥が天へ舞い立つ神楽そのもの。

 降り注ぐ攻撃は逆に舞を磨き上げる試練となり、彼女の周囲に神火の環を描き出していく。

 

 死のリスクを背負ってなおも舞う。

 それこそが、このNARROWの出力を最大限に引き出す唯一の方法であった。


「あの時は足を縫われたからできなかったけど――」


 ヒバリは高らかに鳴き、その体を真紅に燃やす。

 彼女の舞はもはや回避ではなく、反撃の祝詞へと転じていた。


 この瞬間よりセナノは、攻撃と回避の境界を失う。

 舞う動作そのものが攻撃であり回避。

 羽ばたくたびに焔の羽が軌跡を残して敵を刻み燃やすのだ。


「さあ、こんな雑魚ばっかじゃなくてアンタが相手しなさいよ」


 舞に飛び込むように、次々と蛇たちが黒焦げになり息絶えていく。

 その中で、セナノは挑発するように窓の眼を睨みつけた。


「どうしたの? 人間一人にビビってんの?」


 セナノは舞を止めない。

 みるみるうちに蛇の数は減っていき、最後の一体をヒバリが燃やし尽くした頃には既に蛇はいなくなっていた。


 辺りには灰が広がり、まだ残った熱が景色をゆがめている。

 それでも部屋が燃えた痕跡はなく、生活感のある部屋に灰が撒かれた奇妙な光景が広がっていた。


「……逃げたか。つまんない」


 既に窓は元に戻り、何の変哲もない外の景色を映し出している。

 セナノはもう用はないと言わんばかりに部屋を後にした。


「片っ端から部屋を開けて見ましょうか。ねえ聞こえるー? 今から部屋を片っ端から燃やしてやるからさぁ!」


 セナノの声は大きく反響し、マンション内に幾重にも木霊する。

 しかし返事はなく、蛇一匹出てくる気配はない。


「……チッ、自分の領域に隠れるタイプは面倒ね」


 セナノがそう言って隣の部屋を蹴破ろうとしたその瞬間だった。


「え、縁者ですか……!?」


 怯えた女性の声と共に、扉に付いた投函口が遠慮がちに開き中から二つの眼が覗く。

 人間の眼だ。


「へえ、そんな眼も出来るのね」


 セナノに躊躇はなかった。

 取り敢えず扉ごと燃やすために舞を始めようとしたその時である。


「よかった! 今開けます!」


 扉は警戒もなしに開かれる。

 中から出てきたのは、一人の女性であった。

 白を基調とした服は、見慣れた縁理学園の制服だ。


 肩口で切り揃えた栗色の髪と周囲を警戒するような怯える表情も相まって、まるで子リスのような印象をセナノは抱いた。


「貴女は?」


 セナノは警戒したまま、目の前の少女に問う。

 その足はいつでも少女の首をへし折れるように構えられていた。


 が、少女はそんな事は気が付いていないのか目に涙を浮かべながらこう答えた。


「縁理学園三年、影森かげもり シオンです。……良かった、救難信号が届いたんだ……!」


 感極まったのだろう、シオンはその場に泣き崩れた。

 それをセナノは警戒したまま見つめる。


「良かった……本当に良かった……!」


 救いを得たかのようなその声は、いつまでも廊下に響いていた。


 

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