表面社会

蔵樹紗和

あやつり人形

 そのとき、私は絶望のどん底に突き落とされた。目の前は火の海。家も、学校も、愛した家族も、仲良しだった友達も、全てが崩れていく。


 一体私たちが何をしたというのか。ただただ普通に生きていただけだ。優しい父と母のもとで普通に学校に通い、普通に遊んでいただけだ。神の逆鱗に触れるようなことなど、何一つしていない。

 それなのに、なぜ私の家は燃えているのだろうか。なぜ私は、丘の上から火の海を目の当たりにし、頬に伝う涙をぬぐわなければならないのだろうか。


 すべてはあの神官たちのせいだ。勝手に村に立ち入って、勝手に私たちが作った作物を荒らしていった。生活が困窮しているからと、村長が神官たちに頭を下げただけでこの有様だ。私たちはただ生き延びようとしただけなのに。


「あんな奴ら……許さない」


 赤く染まった土地をにらみつけ、私は決意した。私だけでもと逃がしてくれた両親と、大好きだった村の生活に報いるために。絶対、復讐を果たして見せる。

 その決意が、私に残る記憶の最後だった——。










 ヴァルローズ王国。ここは、王国建国時から代々続く王家によって統治されており、臣民たちも貴族から平民まで穏やかな暮らしを得ている国であった。

 というのは表向きで、実際はこの国で強く信仰されている宗教・ロイター教の上層部の者たちの傀儡と化してしまった王家によって統治され、貴族たちは豪遊し、臣民たちは血眼になって働いても報われない、もはや崩壊寸前の国であった。


 当然、今の状況を良しとする者ばかりなはずもなく、ロイター教には内にも外にも反抗勢力が存在している。

 そんなロイター教内にある反抗勢力として秘密裏に活動している神殿に匿われたことでどうにかこうにか生き延びている、というのが私の今の現状だ。


「おーい! エーデ!!」


 あ、私呼ばれてる。


「もう、勝手にどこかに行くなって親父にも言われてただろ! お前、声も出せないのに、何かあっても助けを呼べないじゃないか」


 心配のしすぎである。少し外の空気が吸いたかっただけなのに。まぁ、滅ぼされたはずの村の住人がここに匿われていると知れ渡ったら色々大変なんだろうけど。


 彼はここの神殿長の息子のリアム。どうやら年が同じくらいなようで、ここでの生活は彼と行動を共にしていることが多い。正義感がやたらと強く、何だか憎めない存在だ。


 そして、私はというと、彼の言う通り言葉が発せなくなっている。原因不明のこの事象はとりあえず様子見で置いておこうということになり、現在は筆談やジェスチャーで会話を行っている。


『ありがとう』


 口パクでこの一言を発し、おまけに笑顔も付け加える。何かあったのか、リアムは口元に手の甲をやってそっぽを向いてしまった。


「ま、まぁ、気をつけろよな」


 心なしかリアムが赤面している気がするが、そんなことはどうでもいい。私は、早くここで皆さんと一緒に戦えるようにならなければならないのだ。そうでなければ、復讐など実行できない。


「お前……、時々とんでもなく遠くにいるような目をするよな」


 何が言いたいのだろうか。私は今も昔の生活を思って後ろ向きに歩いているというのに。


「過去に何があったか知らないけどさ、あんまり遠くにいってくれるなよ。戻って来れなくなるぞ」


 やっぱり何だか分からない。戻って来れなくなるって、どこへ?


『うん』


 分からないながらも、とりあえず頷いておく。そんな私の頭を、リアムは優しく撫でてくれる。


「さぁ、神殿に戻るぞ」

『うん』


 私を気遣ってくれてるのか、いつもよりゆっくり歩いてくれてるリアム。私は、その優しさをうれしいと思う気持ちと、リアムに言われたことが気になる気持ちとが混ざってぐちゃぐちゃになるのをどうにか抑えようとするので精いっぱいだった。





 神殿での生活は、朝の祈りをささげるところから始まる。神殿にいる人間全員で礼拝堂に集まり、新たな一日を得たことへの感謝を述べるのだ。その後、みんなで朝食を食べ、私のような新参者はいろいろな人のお手伝いをして回る。


「あらあらまぁまぁ。二人とも、仲がいいのねぇ」

「本当に、うらやましいわ」


 リアムと並んで歩いていると、神殿の働き手の人々にこんな声をかけられる。ここにきてしばらく経ってからはずっとこの調子だ。

 その理由は、こうやって私についている必要がないのになぜかずっと一緒にいてくれるリアムのせいなのだが、本人は気にしていない様子。それどころか、そう言ってもらう度に笑顔が増していくのである。


『リアムは、なぜ私と一緒に行動してくれるの?』


 リアムにメモ帳を見せつける。急に目の前に出してしまったからリアムはびっくりしたのだろう。一瞬、目を大きく見開いた。


「何でって……お前、俺が一緒にいるのいやか?」


 眉を下げつつ、半歩ほど私の方へ近づいてくるリアム。なんだか悪いことでも聞いてしまったかな、と思いつつ私は新たにメモ帳に書き込んだ。


『だって、リアムは神殿長の跡継ぎになりたいんでしょ? 私なんかといるより、神殿長と一緒にいた方が勉強になるのに』


 しばらく私の手元を見つめていたリアムは、読み終えたと思った瞬間大笑いしながらこっちに目線を戻してきた。


「そんなこと気にしてたのか? 大丈夫、俺は自分の意志でここにいるから」

『でも……』

「でももだってもない。お前は気にせずここにいたらいいんだ。それに、普段はやらない農作業とかやるのも楽しいからな」


 またもやリアムに頭を撫でられる。やっぱり、私はこの手が好きなようだ。リアムがいいって言ってくれてるなら、この優しさに甘えておこう。


「お前はここにずっといる気はないのかもしれないけどさ、俺は、ずっといてくれたらいいなって思ってるよ」

『ん?』


 リアムがなんか言っていた。今後起こるはずの革命の話だろうか。もちろん、私は参加するつもりだ。これは立派な復讐につながるのだから。そんな思いで、とりあえず頷いておく。


「そっか。ありがとな」


 ニカッと笑うリアム。その笑顔がまぶしくて、私もついついつられて笑ってしまった。


「仲良しねぇ」


 再び仲間が通りかかる。あのやり取りの後に言われたからなのだろう、なぜか気恥ずかしい思いでいっぱいになる。


「早く、農場に行こう」

『うん』


 私たちは、早足で現場へ向かう。二人で、隣に並びながら。

 農場に着いた後も、この気恥ずかしさはなかなか消えなくて、思い出しては赤面してを繰り返していたのであった。





 この日、私は神殿長に誘われてリアムと一緒に神殿の中を探検していた。


「2人とも、ここが神殿の屋上ですよ」

「うわぁ! すっげー!!」


 岩石で作られたアーチ型の屋根で囲まれた、小さな屋上。私たちがそこで目にしたのは、どこまでも広がる青空と人々の生活する姿。美しくて、そして醜い、私たちの国。


「この長閑な風景は、神が与えてくださった私たちの宝です。ですが、今は一部の人間が私欲のためだけにこの宝を壊そうとしている」


 神殿長は、空をじっと見つめてる。以前、神殿長は上層部の横暴のせいで奥さんを失ったと言っていたから、きっと思うところがあるのだろう。なんとなく、分かる気がする。


「この現状に、いつかは神からの天罰が下るでしょう。ですが、それを待っているだけでは我々人類に託してくださった神を失望させてしまいます」


 隣を見ると、さっきまではしゃいでたリアムも引き込まれるような真剣な眼差しで話を聞いていた。やっぱり、リアムは立派に神殿長の後を継ごうとしているんだ。


「私は、この国をもっと繁栄させたい。住民が住み心地がいいと感じる国に変化してほしい。そのためには、私は手段を選びません」


 空に向けられていた視線は私たちに注がれる。それはそれは、力強い澄んだ瞳で。


「あなたたちは、自分で考えて行動する権利があります。これから起こることをよく見極め、あなたたちがこうしたいと思ったことをしなさい。周りに流されるのではなく、自分の意思で行動するのです。そうしてくれるのなら、私のこの生に悔いはない」


 私は、自分で考えてここにいるよ。村のみんなの無念を晴らしたい。これは、他でもない私が考えて選んだこと。それなのに、なぜだか神殿長の思いに背くような気がして、私は思わず目線を逸らした。


「親父、俺も戦うよ。子供だからとかは関係ない。俺も社会の一員として、少しでも貢献できるようにしたい。……お袋のこともあるし」


 隣のリアムの方がずっと立派で、決意が固いんだ。気圧された私は再び神殿長に向き直り、今度は大きく首を縦に振る。


「……」


 一方で、神殿長はすぐには承諾しない。一時悩んでいるような素振りを見せた後、小さく首を縦に振った。


「分かりました。そこまで言うなら、共に戦いましょう」

「はい!」


 リアムは気づいていない。私の感じた神殿長の目に映った決意の揺らぎは、気のせいだったのだろうか。


「それでは、戻りましょうか。これから市民のための行事も目白押しですからね。ますます忙しくなりますよ」

「はーい!」


 神殿長とリアムはさっさとその場を去っていく。あの二人のように、いや、リアムのように何も考えず神殿長についていけばいいのかもしれない。それでも私は、あの神殿長の表情と未来への意味のない不安に引っかかりを覚えている。

 そんな後ろ髪をひかれる思いをこの景色に封印して、私はこの場を去ったのだった。





「ふぅ。ちょっと休憩ー」


 リアムの幼馴染・エマが机に身を投げ出す。それまで手元に集中していたリアムも、横で大きく頷いている。


「そろそろ休憩にしよう。エーデも、作業をやめていいぞ。お茶を用意してもらおう」


 席を立つリアム。院長を呼びに行ったのだろう、部屋のドアノブに手をかけ、どこかへと出て行ってしまった。


 今日は孤児院の院長から頼まれた、繕い物の作業を手伝っている。リアムとエマは幼い頃から縫物をやっていたからかものすごい勢いで作業が進んでいくのだが、私はあまりやってこなかったために全然進まない。二人との間には二倍くらいの差がつけられてしまっている。


『リアムもエマも、すごいね。縫物、得意で』


 エマにメモ帳を渡す。しかし、読み終わった途端にエマは首を振った。


「そんなことはないよ。何度もやってるから慣れてるってだけ。それに、エーデも縫うのが早くなってきてるじゃない。きっとすぐに私たちに追いつくよ」


 そうだろうか。そうだったらうれしいが。


『ありがとう』


 お互いに満面の笑みを浮かべてみる。こんなささやかな幸せが、エマのもとにたくさん降り注ぐといいな。それから、革命が終わった後のリアムにも。

 私は村の皆に悪い気がするし、そんな幸せはいらないと思ってるけど、二人の幸せを願うくらいは罰は当たらないよね。


 そう、思った時だった。


「エーデ! エマ! 急いで準備しろ! 敵襲だ!!」

「!!」

『!』


 勢いよく椅子が倒れたのも気にせず、私たち二人は部屋を飛び出した。周囲を見渡すと、既に背中に赤くゆらめく光が迫ってきている。

 ―—そう、私の村が焼かれた時と、全く同じ光景だった。


 あぁ、きっと私たちの計画が神官たちにばれたんだ。だから、こうして私たちは建物から一斉に飛び出してるんだ。そうでなければこの現状に説明がつかない。また、神官たちに生活を奪われようとしている。


「エマ! お前は村人たちの避難誘導をしてくれ! エーデは一緒に神殿へ行くぞ!」

「了解!」

『うん』


 次にやってきた道を右と左にそれぞれ分かれ、私たちは全力疾走を続ける。ここで神官たちに捕まるわけにはいかなかった。


「親父! 現状はどうなってるんだ!?」


 神殿の敷地の中で最も入り組んだところにある建物、臨時の避難所として使われている場所へリアムと共に乗り込む。ここには対神官計画の中核にいる人間が勢揃いしていた。


「今はかなりの劣勢です。油断していたところにいきなりの敵襲ですからね。こちらで用意していた兵もそんなすぐには出せませんし……」

「勝てるのか?」

「勝ちますよ。いや、勝たなければならないのです。これは、私たちの命運をかけた戦いなのですから」


 硬く握られた拳を胸の前に掲げてみせる神殿長。死をも恐れないキリッとした瞳が頼もしさを感じさせる。それに呼応するようにリアムもグッと拳を握った。


「加勢するよ。俺にできることがあったら、いくらでも言ってくれ」


 リアムの意見に賛同しようと、私も強く頷く。自分でも、強く拳を握りしめながら。


「ありがとうございます。それでは、戦線を維持しつつ一旦ここから引きましょう。手伝ってもらえますか?」


 返事では意外にも冷静な対処が告げられていた。拍子抜けした私が少々広義の文を渡そうとメモ帳に文章をつづり始めたころ、私以上に怒った様子のリアムが神殿長を問い詰め始めた。


「なんでだよ! 真っ向から戦わないのか!? 勝てるんだろう!? だったら迎え撃たないでどうする!!」


 今までに見たことのないくらい、リアムが顔を真っ赤にさせていた。暴走直前の猫のように見えてしまうほどに。


「違いますよ、リアム。私たちは、勝つために引くのです。決してこの戦いを放棄するわけではない。今、このまま真っ向から向かっても全滅して終わるだけです」

「だとしても!!」

「私たちがここで倒れてしまっては意味がないでしょう。戦いをすることよりも、私たちの当初の目的・ロイター教の上層部を改心させるのを達成することの方がずっと大事です」


 煮えくり返るような怒りを抑えるかのように、リアムは机を強くたたいた。分かっていたはずなのに、びくっと反応してしまった自分がいる。


「やめなさい。エーデがおびえています」

「……ごめん」


 消え入るような、細い声。やめて。私は謝罪なんていらないよ。私だって、今すぐにでも神官を叩きのめしたい思いでいっぱいなのに。


「とにかく、すぐに出発しますよ。皆さん、急いでください」

「はい!」


 ぞろぞろと仲間たちが部屋を出ていく。この場に残る気満々だった私たちも、その流れに流されるようにして建物の外へと押し出された。


「……!」


 何を思ったのか、ここでリアムは揺らぐ戦火の中へと駆け込んでいく。


「リアム! 待ちなさい!!」


 神殿長が引き留めたって、リアムはもう聞く耳を持たない。どうにかしてでもこちらの陣営に引き摺り込もうとしているのか、神殿長は近くの者に仲間の誘導を任せてリアムの後を追っていく。

 そんな2人が放っておけなくて、私もついつい追いかけてしまった。


「リアム! どこへいくのです?」

「親父には関係ないだろ!」

「関係あります。あなたは私の息子なのですよ。ここで引き留めないでどこで引き留めるというのですか!?」


 腕を掴まれた瞬間、グイッと身を引き寄せられるリアム。ジタバタもがこうとしても、神殿長の腕力は強かった。


「あなた1人で敵に勝つのは無理があります。ここで身を投げ出すよりも、戦力を十分に貯めてからの方が良いと思いませんか?」

「でも……!」

「大丈夫です。再び立ち上がるまで、私は諦めません。だから、どうか一緒に来てくれませんか?」


 リアムが、抵抗をやめた。私にも、神殿長の思いは痛いくらい伝わった。これでもう、神殿長の考えに表立って逆らう者はいない。


「ありがとうございます。それでは、急ぎましょうか。皆さんのところへ」


 それは、神殿長が全てを言い終わるか否かの、ほんの一瞬の出来事だった。


 ドカン、という大きな音と衝撃。思わず目をつぶった私に覆い被さる誰かのぬくもり。あぁ、もしかしたら、リアムが私の名を呼んでいたかもしれない……。そんな思いを抱えながら、私はゆっくりと目を開けた。


『……!』


 最初に目に飛び込んできたのは、身体中を真っ赤にさせて私を抱きしめるリアムの姿だった。よく見ると、すぐそばで神殿長も寝転んだまま動かない。


「あ、あぁ……」


 気づいたら、発せないはずの声が出てきていた。リアムも気づいたのか、私にフッと笑いかける。


「エーデの声は、鈴みたいなきれいな声だな」

「そ、そんなこと、言って、る、場合じゃ」

「わかってるよ」


 話を遮られる。顔を上げると、白く濁ったリアムの瞳とガッチリ目があった。


「ごめん。俺が飛び出したばっかりに、エーデも親父も、たくさんの人を巻き込んじまった」

「リアム……」


 自分の父親をも傷つけてしまった、その事実を受け入れようとも受け入れられぬ、そんな葛藤に悩まされている表情だった。


「まだ軽く足音が聞こえてる。きっと、神官側の奴らがまだ残ってるんだ」


 リアムの言う通り、草むらからは複数人による足音が聞こえる。私たちを殺しにきたのだろうか。


「俺が足止めをする。だから、エーデはみんなと一緒に逃げてくれ」

「! で、でも!」

「頼むよ。これが俺にできる、最後の事なんだ」


 ふと足元を見ると、リアムの足からは赤い液体が痛々しく流れ続けている。この足では逃げられないとでも言いたいのだろう。


「でも、私は、リアムと一緒に!」

「お願いだ、エーデ。これ以上、俺の大事な人を喪いたくないんだ」

 懇願するような瞳だった。もうやめてよ。私は、この瞳に弱いのに。

「……わかった」


 とうとう首を縦に振ってしまった。私はなんて無力なんだろう。


「ありがとう、エーデ」


 ニコリと微笑むリアム。それとともに、リアムの体が私から離れていった。


「走れ! エーデ!!」


 徒競走のように、全力で走る。後ろは振り向かない。見たらもう、走れなくなるから。


「エーデ、生きてくれ。ありがとう。俺の一番好きな人」


 うっすら聞こえたリアムの声。何言ってるの。私だって、私だって……大好きだよ、リアム。


 背中越しに銃声やらなんやらが聞こえてきた。もう、リアムの声は聞こえない。それでも私は、力が尽きるまで走り続けた―—。





 何時間走り続けただろうか。道中にたくさんの仲間の屍を見た、気がする。


 結局、私はまたすべてを失ってしまったのだ。復讐も成し遂げられないまま、新しい仲間まで……。本当に、無力な自分が嘆かわしい。


「あぁ、あ、あははははは! は……」


 何もかもがいやになる。何で生き残ったのが私なのだろうか。なんでみんなは、こんな私を生かしてくれたのだろうか。


「生きる……意味って?」


 ふと立ち止まって空を見る。いつしか神殿長が見せてくれた、あの青空と同じくらい青い空。憎みたくても憎めない、すがすがしいほどの晴天。


「お父さん、お母さん。私、頑張ったけど無理だった。また、何もかも失っちゃった」


 涙さえも出てこない。


「神殿長、ごめんなさい。リアムを、守れなかった」


 空っぽな心、カラカラな声。


「リアム。あなたは、幸せだった? 私を助けてよかったと思ってくれてる?」


 もう何を聞いても返事は返ってこない。ただその事実をかみしめるだけで、虚無感に苛まれるばかりである。


「私はこれから、どうしたらいいの?」


 もう復讐なんて望まない。ただ自分の大切な日常ものを守れればそれでいい。だから、どうか―—。


 その時、ふと道端の吟遊詩人の歌が耳に入った。この世を憂う、ゆったりとした心に響く歌。


「そうか、伝えればいいんだ」


 これまであったことをありのまま、伝えていけばいいんだ。もうこの悲劇が繰り返されないように。


「そうすれば、上層部にも届くかもしれない」


 一歩を、かみしめるように踏み出してみる。そうだ、私にはまだ、やれることがある。たとえそれが、また地獄に突っ込むことにつながったとしても。


「すみません」

「なんですか?」

「素敵な演奏、ありがとうございました。あの、あなたのように人に伝える仕事をするにはどうしたらいいのでしょうか?」


 ひとまずはこの光を追いかけよう。これが私の生きる道だから。










 この後しばらくして、人々に訴える歌が広まったのか何なのか、ヴァルローズ王国の王家による国の改革が行われた。


 ロイター教と王家の差別化が早急に進められ、上層部の人間のみが得する王国から、みんなで作り上げていく王国に変化しつつある。


「みんな、ありがとう」


 この王国で生きる民と、王国のために戦った戦士たちに幸があらんことを―—。




 おしまい

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