竜契の巨人 砂の闘技場

織部

第1話 国境のドワーフ村

俺が育ったのは、人の住む領域と、それ以外の種族の領域の境――ドワーフの村だった。


名はトルサン。十歳。見た目は人間族だが、何故かこの村の長老が拾い、育てた。


長老は俺を――とにかく、可愛がった。いや、崇拝していたと言ってもいい。

「どうか、将来は、我が村をお守りください」


そんなふうに頭を垂れて頼む姿は、愚鈍に見える人の子に仕える家臣のようだった。

周囲の者たちは、口には出さずとも目で呆れていた。


「昔の大戦士も、老いれば見る影もない」

「変な預言者にでも騙されたんだろうさ」

そう囁く声はあったが、長老は気にする様子もなかった。


――そして、程なくして死んだ。

長老の死と共に、俺の居場所は、あっさりと変わった。


「親父がいたから仕方なく育てたが、もういない。出ていってほしいが……まだ子供だ。置いてやる」

「けど、こいつ大飯ぐらいなんだ。普通の量で我慢してくれや」


家の中でもっとも陽当たりの良い部屋は追い出され、代わりに与えられたのは村の外れ、石壁が崩れかけた小屋だった。


食事も、山のように盛られていた頃から、やがてカビの浮いたパン一切れと、井戸の底からくみ上げた、うっすら茶色い水へと変わっていった。


文句は、言わなかった。

その井戸水は、鉱山の採掘や採石で色が濁っていた。

ドワーフたちはもともと水を飲まず、酒で済ませる文化だ。子供も例外ではない。


俺も、飲める。けれど、与えられるはずがなかった。

粗末な小屋に、濁った水と黴びたパン。

そんな暮らしに耐えきれず出ていくか、あるいは病にかかって倒れると思われていたが――俺は、まったく平気だった。


この村を離れなかった理由は、ただ一つ。

長老が、俺に頼んだからだ。

俺にできるとは、正直思っていない。けれど、村を、守りたかった。

だから、耐えた。


けれど、大人だけじゃなかった。子供たちも、俺を見て笑った。

大人の言葉や態度は、残酷なほど、子供に伝わる。


「のろま。道をのろのろ歩くな」

「これでも食っとけよ!」

ある子には殴られ、別の子には石を投げられた。

同じくらいの年頃のドワーフの子たちは背は低いが、信じられないほど力が強い。


奴らの投げる石は拳大、時には岩そのもの。

殴る拳も痛烈だ。けれど――俺は、壊れなかった。


「痛ぇ!」とは思う。でも、傷ひとつできなかった。

「もしかして……あれ、人族とドワーフの“混ざりもの”なんじゃないか?」


そんな噂が流れ出すと、子供たちは俺を「半人前」と呼ぶようになった。

冷たい目で見て、遠巻きに笑うだけになった。

暴力は、やんだ。


ドワーフの村には、「同族を傷つけるな」という掟がある。

でなければ、ただの喧嘩で致命傷が出る。そういう種族だ。

だから暴力は止まった。でも、孤独は深まった。


そんな中で、唯一、俺に手を差し伸べてくれたのが――義妹だった。

長老が俺を孫としたから、彼女は俺の義理の妹になる。


「兄様……お食事、持ってきました」

いつも、小声で。物音を立てぬように。

親の目を盗み、隠すように、彼女はちゃんとした食事を運んできてくれた。

ときどきは、酒まで。


冷えた山の夜に、小屋の灯火の下、妹がよこした器を手に取るたび――

俺は、まだここにいていいのだと思えた。


 この村を取り巻く空気は、どこか常に張り詰めていた。

 理由は単純――ここは、国境の村だ。

 それでも、なぜこの不安定な地にドワーフの村が築かれたのか。答えは明白だった。地下深く、豊かな鉱脈が眠っていたからだ。


 村は鉱山を抱き込むように、半円形に築かれている。

 岩を積み上げた分厚い石垣、底の見えぬ堀。巨大な門が一たび閉じられれば、外界との接点は断たれる。


 その構造はまるで、鉄壁の要塞。

 一度閉ざせば、誰一人として通すことはない――。


「この村は、難攻不落だ」

「人族ごときに、我らが砦を落とせるはずがない」

「奴らに、この地は不要だ。攻めてくる理由すらない」


 そう語っていたのは、ドワーフたち自身だ。

 強靭な肉体、鍛え抜かれた鍛冶の技。

 彼らは己の技術と防備に誇りを持ち、疑うことを知らなかった。


 隣国ザハラ――広大な砂漠を擁する、人の国。

 とはいえ統一国家ではなく、部族と首長たちが旗を掲げる連合体に過ぎない。


 ドワーフとザハラの関係は、表面上は平穏。鉱石と酒、鉄と獣肉。交易はあった。

 それでも、信頼など存在しなかった。

 だが村の者たちは、そのことに気づいていなかった。


 平穏な日々が、永遠に続くと信じていた。

 ――その日までは。

 静寂は、突如として破られた。

 それは「強盗団の急襲」と後に記録された。


 だが、実際は違った。あれは明らかに――人族による、組織的な侵略だった。

 武力と意志、策略と計画。

 それが、侵略戦争であることを、後に俺は知った。


 あの夜、俺は眠れなかった。

 昼間、ドワーフたちの仕事を手伝って、鉱山から延々と石を運び続けていた。

 普段なら、部屋に倒れ込むように眠るのだが、妙に胸がざわついていた。


「……少し、外の風にでも当たるか」

 土の上にゴザを引いただけの粗末な寝床から体を起こし、鉱山脇の小高い丘へ登っていった。

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