Chapter 3: Project Digital Castrato

第26話

 松田は、そのアシスタントの報告を俄かには信じられなかった。


「悪い冗談はやめて。女性歌手にだって苦しい超高音域をあんなに綺麗に歌えるのに、男性のはずがないでしょ。どう聴いたって女性じゃない!」

「いえ、本当なんです!証拠を残そうとスクショを撮っておきました。見てください!」


 差し出されたノートPCの画面には、制服姿の少年の首から下の全身が写っていた。松田は食い入るように画面を見つめる。しばらくの間、画面から目を離せなかった。その後、自身のスマホで"You"のチャンネルを開き、ライブ配信後に残されていたコメント欄を睨みつけた。そこには、彼が告白した過酷な過去への驚きと、それを包み隠さず打ち明けたことへの敬意、そしてこれからの音楽活動への応援が溢れかえっていた。その熱の籠ったコメントたちは、フェイクや自作自演には思えない。中でも、あるコメントが松田の目を釘付けにさせた。


『僕は奇跡を目の当たりにしている。彼は、令和の時代に甦ったカストラートだ』


 松田は、ふう、と息を吐き、背もたれに深く体を預けた。


「……信じられない。本当に男だったのね」


 落胆したわけではない。むしろ、その逆だ。彼女の胸の奥で、たぎるような仕事への情熱が疼き始めていた。


 現代に蘇った、カストラート。悲劇的な運命を背負い、女性の声を持つ少年。そんなドラマチックな存在を放っておけるわけがない。ただの「歌が上手い女性シンガー」よりも、遥かに希少で、遥かに危険で、そして魅力的だ。彼を世に出すための物語ナラティブが、次々と頭の中に浮かんでくる。


 先ほどまでは彼の才能を「ダイヤの原石」と喩えていたが、その比喩は正しくない。彼は、未だ人類が知らない未知の宝石だ。人里離れた鉱脈の奥深くに眠る、まばゆく妖しい光を放つ鉱石。それが、地殻変動や巨大地震か何かによって、偶然にも地上に現れたのだ。その価値を知る者なら、一刻も早くその元へ向かわねばならない。


「……できるだけ早く、彼に会いましょう」


 松田は不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった。その瞳からは、先ほどまでの疲労の色は消え失せていた。


「単刀直入に、私から彼にメールをするから。本件を最優先で、スケジュールを調整して頂戴。なんとしてでも彼を……"You"を、うちに引っ張ってくるの。……彼のための、最高のステージを創ってみせる」


 ***

 

 翌日、土曜日の朝。


 昨日に梨花とカラオケで別れた後、優は泥のように眠った。どんな夢を見たかも覚えていないくらいに、深い深い眠りだった。気がつくと、朝の9時を過ぎていた。ベッドから体を起こすと、嘘のように体が軽い。生まれ変わった心地がする。そして、強い空腹を覚えた。自室を出て、食卓へ向かう。リビングでコーヒーを飲んでいた両親に「おはよう」と短く挨拶をする。その快活な響きは優の復調を物語り、父と母を安堵させた。


 優は大きめのボウルを取り出すと、朝食のシリアルを山盛りにした。普段の倍くらいの量だったが、それでも足りないのではと心配になる。ボウルいっぱいに牛乳を振りかけ、ざくざくと口に運び始めた。食べ盛りの男子高校生を絵に描いたような優の姿を、両親は微笑ましく見守った。


 一粒残さずボウルの中身を平らげると、優はふう、と一息ついた。おもむろに自身のスマホを手に取り、通知や新着メッセージを確認する。梨花からメッセージが届いていた。昨日のお礼と共に、優の復調を嬉しく思う気持ちや、これからも二人で会いたいという願いが、梨花らしい明るくて短いメッセージに込められていた。優は暖かい気持ちに包まれながら、そのメッセージに返信する。その返信は、梨花が見たら間違いなく赤面するような、優の率直な想いを綴ったものだった。


 その後、普段使いのメールアプリに、一件の通知が来ているのに気づく。見覚えの無い差出人だった。差出人の名は、「松田冴子」。肩書きは、芸能プロダクション「ステラ・プロモーション」の常務執行役員。優もその名を聞いたことがある、国内でも有数の大手プロダクションだった。


 スパムメールかと疑ったその文面は丁寧で、優のYoutubeチャンネルでの活動を隅々まで理解した上で、高く評価していた。そして、もし可能であれば、直接会って話をしたい、と単刀直入に記されていた。貴方の活動を支援し、その類稀な才能を世に出すための用意がある、と。

 

 驚いた優は、コーヒーのお代わりをカップへ注いでいた父へ相談した。スマホの画面に映る松田の名前を見るなり、父は目を見開いた。


「――なんてこった。松田冴子だって……!? 知っているよ。業界では有名な、敏腕プロデューサーだ。無名だけど才能のある歌い手を何人も発掘し、大物ミュージシャンに育て上げてきた有名人だ。……まさか、そんな人が優に目を留めるなんて」


 父の興奮した様子に、優も事の重大さを理解した。


「ど、どうしよう。この松田って人、僕と会いたいって言ってるんだ。僕の活動を支援したいって」


「ちょっと優、スマホ貸しなさい。調べてあげる。……うん、スパムやなりすましではなさそう。優はどうしたいの? 会うだけ会って話を聞いてみたら良いと思うけど」

 

 優は、震える指で返信を書いた。松田からのメールはビジネスライクな丁寧さの裏に、煮えたぎるような情熱が隠れているように思える。優は悩んだ。初対面の社会人、それも父が興奮するような有名人に対して、どんな返信を書けば良いものか。迷った後に、自身の活動を評価してくれたことへの感謝と、自分も貴女にお会いしたい、という率直な思いを文章にした。


 優が送信ボタンを押した後は、あっという間に段取りが決まっていった。松田からの返信は迅速で、優が送信して数分後には返事が届く。そんなメールのやり取りが数往復した後、面会の日時と場所が決まった。ちょうど1週間後の土曜日、東京日比谷の帝国ホテルに部屋を予約するから、そこに足を運んでほしい、とのことだった。


 瞬く間に具体化した、敏腕プロデューサーとの面会。


 優は現実味を感じられなかった。だが、面会の日が近づく間に松田の仕事ぶりを調べると、一層に事の重大さを思い知らされた。優が知っている著名なあの歌手もまた、無名だった頃に松田がその才能を見出し、一流として育て上げたらしい。


 しかし、優には「有名になりたい」「プロのアーティストになりたい」という願望は微塵もなかった。ただ純粋に、歌で自分を表現したいだけだった。檻のような日常では叶わない、世界との繋がりを、歌で創りたかっただけだった。そんな自分が、松田と会って何になるのだろう。


 ――これから僕は、何をしたいのか。

 ――これから僕は、何になりたいのか。


 自分を、強く持たねばならない。さもなければ、一生に一度しかない機会を棒にふるかもしれない。あるいは、使い捨ての商品として消費されてしまうかもしれない。


 優は緊張を隠せないまま、松田との面会に向かった。

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