第12話

 防音室で得たあの熱狂にも似た感動は、冬休みの間、途切れることなく続いた。

 優のYoutubeチャンネルに投稿された「歌ってみた」の動画は、日を追うごとに再生数を伸ばし続ける。コメント欄は、世界中から寄せられる様々な言語の、温かい言葉で溢れかえっていた。顔も名前も素性も知らない人々が、優の歌声に心を動かし、その感動を伝えてくれる。


(――繋がった。僕は……独りじゃない)


 歌うことで世界と繋がれたという確かな実感。それは、優の胸を焦がすほどの熱を持っていた。


 しかし、その熱狂も長くは続かない。優は、音楽という名の広く豊かな世界から、現実へと引き戻される。短い冬休みが終わり、三学期が始まる。


 休み明けの登校初日。朝食を済ませて羽織った制服のブレザーは、ごわごわとして体に馴染まなかった。冬休みの間は一日中防音室に入り浸って歌い、配信し、その反応を眺めていた。そんな優の冬休みは、もはや現実世界の住人を辞めて、音楽という異世界に転移したかのような日々だった。それが今や、高校の制服という金型に押し込まれ、日常という名の「檻」へと、無理矢理に引き戻されようとしている。


 通学路を歩き、見慣れた校舎の中へと足を踏み入れる。それはまるで、ささやかな余暇の時間を終えて自ら牢獄の中へと戻っていく、囚人のような気分だった。教室のドアを開け、クラスメイトたちの喧騒に囲まれた瞬間、自宅の防音室で確かに感じていた背中の翼が、無慈悲にもぎ取られる感触があった。


 九月に転校してから、もう四ヶ月近くが経っている。その間に、クラスメイトたちは、優の背後にある複雑な事情を、それとなく知ってしまっていた。


 残暑が厳しかった九月。誰もが楽しみにしていた水泳の授業で、教室は活気づいていた。


「あれ? 今日もユウは見学?」


 更衣室へ向かおうとしない優に、慎二が怪訝そうに尋ねた。


 「……うん、ちょっとね……」


 優は曖昧に答えるしかない。慎二は、よく晴れて気持ち良さそうなのに勿体無い、とでも言いたげな顔をしていた。しかし、優が水泳の授業を見学したのはその日だけではなく、全ての授業を見学していた。それをクラスメイト全員が知っていたが、教師も、そんな優を咎めることはなかった。


 授業の合間の休み時間。男子トイレに、優とクラスメイト数名がほぼ同時に入ったことがある。


 「おう、お疲れ」

 「千原の授業、マジでダルくね? 眠くてつれーわ……」


 彼らは談笑しながら、当たり前のように小便器で用を足す。しかし、優だけはいつも決まって、逃げるように一番奥の個室に入る。まるで、誰にも見られたくない何かがあるように。そんな優の姿を、クラスの男子たちは何度も目撃していた。


 林間学校やスキー合宿といった、誰もが楽しみにしている泊まりがけの行事。その参加希望調査で、優は全て「不参加」で回答した。文化系も体育会系も部活動が盛んなこの高校において、優は少数派の帰宅部だった。しかも、放課後は誰とつるむこともなく、真っ直ぐに家路につく。


 何より、優は学校で声を出すことが極端に少なかった。会話が避けられない時は、できる限り低く、喉を押し殺すようにして話す。その不自然な声の向こうに、本来の高く透き通った地声が隠されていることに、誰もが気づいていた。

 華奢で、どこか丸みを帯びた体つき。整った、中性的な顔立ち。優は、自分の身体にまつわる事情を決して語ろうとはしない。だが、クラスメイトたちは、断片的な情報からその理由を推測していた。そして、その推測は概ね当たっていた。


 だからこそ、クラスメイトたちは優に、細心の優しさで接した。もう、「今日、カラオケ行こうぜ」などと無邪気に誘いかけてくる者はいない。授業で発表が当たりそうになると、「あ、先生。そこ、俺がやります」と誰かが、ごく自然にその役を代わってくれる。グループワークで調査や議論をして発表する様な課題でも、優が話す役にならないよう、皆が役割分担を配慮してくれる。


 優に話しかけるときは、皆ゆっくりと言葉を選び、彼が押し殺した声で返事をするための十分な「間」を与えた。あるいは、直接の会話を避け、スマホのメッセージアプリで「明日の持ち物、これな。忘れんなよ」と、簡潔に用件だけを伝えた。それが、彼を傷つけない最善の方法だと、クラス全体が暗黙のうちに理解していた。


 だが、その「優しい距離」こそが、優を一層深い孤独へと追い込んでいた。丁寧に距離を置かれるたびに、自分が分厚い透明な壁に包まれていくように感じる。自分は、このクラスで唯一の、異質な存在なのだと。皆もそれをはっきりと認識した上で、腫れ物に触るように接しているのだと。その優しさは、彼が異質であることを絶えず突きつける、残酷な優しさだった。


 学校での息苦しさを紛らわすように、優はネット上の音楽活動にのめり込んでいく。あの狭い四畳ほどの防音室だけが、「ありのままの自分」でいられる唯一の場所だった。


 やがて、凍てついた空気が緩み、春が近づく。校門の桜が硬い蕾をほころばせ始めた頃。優は高校三年生になった。新しいクラス、新しい名簿。だが、そこに流れる空気は変わらない。


 静かな配慮と、優しい距離。優にとって教室は、まるで居心地の良い独房だった。清潔で、快適で、不自由なく1日を過ごすことができる。しかし、小さい窓には鉄格子が嵌められ、背に生えていたはずの翼は、もぎ取られている。空を飛ぶことは叶わない。扉は固く閉ざされ、その戸を叩くものは誰もいない。


 その独房の中で、ユウは優しく守り隔てられたまま、高校最後の一年を過ごすことになるのだろう。優自身が、諦めにも似た気持ちでそう受け入れていた。


 だが、その独房の扉を叩き、こじ開けようとする者が現れる。柔らかな春の日差しの中、ためらいなくその扉を叩いたのは。


 楠本梨花だった。


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読者の皆様へ。

ここまで拙作をお読み下さり、本当にありがとうございました。


Chapter1 : Cage & Wings (檻と翼)は、ここまでとなります。次回より、

Chapter2 : You & I が開幕します。


"You & I" ……直訳すれば「貴方と私」ですが、この物語では、3つの意味を込めました。今後の展開の中で、その意味をお伝えできれば幸いです。


この物語は当初、Chapter2で完結する予定でした。言い換えると、この物語で描きたかったことの全てを、このChapter2に込めています。


次回以降は、優と梨花の内面と、二人の関係性を深く掘り下げていきます。ちょっと鬱展開もありますが、最後には暖かい希望が訪れますので、ぜひ最後までお読み頂ければ幸いです!


また、もし拙作を「面白い!」と思って頂けたなら、星1つでも評価を頂けたら励みになります。


今後も「令和のカストラート」を楽しく読んで頂ける様に、全力で頑張ります!


ages an

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