第4話 月のもののババロア②

 少し重みを感じるのに、つるんとも言える触感はムースにも近い。最近は固い焼きプリンも見直されているとも聞いたような気がするが……なめらかよりは、少し固い。


 歯に当たると、自然と割れて舌の上に転がってくる。甘酸っぱい、いちご以外の酸味の強いベリーのそれを感じて、正直言って美味しかったと思う自分にびっくりした。



(あいつらとも、パフェとかの可愛いお菓子なんて……ファミレスで頼まないから)



 だから、素直に美味しいと感じたババロアをすくう手が止まらないのだろうか。小粒や大粒のベリーを口に運んでも、違う甘酸っぱさに顔が自然とほころんでしまう。下品な笑い方なんて散々してきたが、ふいにこぼれる笑みなどいつぶりだろう。声変わり前の、ただ『女の子』くらいに扱ってもらえていた年代に戻ったかのような懐かしさ。


 ひと匙ずつ、口に運ぶその仕草は男女だと皮をかぶった少女のする所作ではない。服装は学ランでも、きちんとマナーを守った少女のそれと同じ。どこかファミレスか喫茶店かなにかで、ゆっくりと美味しいものを食べる彼女らとなんら変わりないものだ。



「……ごちそうさまでした」



 結局、向かいに座ったままの店長だという男がなにも言わないので、最後まで食べてしまった。店長はただにこにこと微笑んでいるのに、沙希はなぜか気色悪いと思わない。気遣いだけでなく、沙希からの『注文』を受けたというのなら仕事をしたのと同じだ。



「いやいや。こちらは注文と同時に代金をいただいたまで。痛みは?」

「……ない、です。すっきりしてる気が」

「きちんと、僕らが受け取った証だよ。お茶は冷めているけど、飲むかな?」

「あ……はい」



 紅茶のように見えるが、癖のある味わいのルイボスは初めてだったが。喉を潤すにはちょうど良く、甘酸っぱさでいっぱいだった口の中を洗い流すようで少し気に入った。



「若葉くんがセレクトしたけど、ルイボスにはカフェインレスの効果があるからこういうタイミングのホットティーには最適らしい」

「……それで、わざわざ?」

「うちの最高給仕だからね? 侮るなかれ、彼女はああ見えて君よりずっと年上のお姉さんだから」

「店長? そこ余計です」

「経験豊富なことを伝えたかっただけだよ?」

「それでもです」



 ぽんぽん、と会話のやり取りが少しおかしく見えたが。本当に代金もなにもいらないのか、と口を挟まないようにさせているのか。仕方ないので帰ろうとした途端、あの鈴の音に近い風鈴の音といっしょに、店長の襟にある星型の留め具が光った気がした。



「……あれ?」



 光った、と思ったと同時に沙希はいつのまにか自宅の部屋にいた。いつ靴を脱いで入ったかも、母親がいるか確認していないのに戻ったにしては『瞬間移動』したかのような錯覚を覚えた。あの美味しいババロアを味わった口と舌はきちんと覚えているのに、不思議過ぎてもう一度玄関へ行こうとすると。



「沙希、学校から連絡あったわよ? 大変だったって」



 廊下に行けば、すぐに母親が出てきたのにびっくり。いつも無言ですれ違うだけのはずなのに、今日は苦笑いという表情まで出ている。学ランとか口調は変えても変な不良じみた乱交はしないように決めているので、迷惑をかけたつもりはないが。



「連絡?」

「あんた。やっと生理きたんですって? 保健の先生が心配してたわよ? どっか休み取って婦人科行ったほうがいいんじゃないかって」

「ふじ……行かなきゃ、だめ?」

「そうね。十五の手前まで来なかったら……念のためね? どうする?」

「……行き、ます」



 怪我じゃないにしても、身体の不調を抱えて無理した方がよっぽど迷惑をかけてしまうものだ。母親がすぐに婦人科の予約を取ってくれたので、学校にも休みの日を伝えておく。クラスメイトらにどう話せばと思ったが、せっかくならと休み明けにびっくりさせてみることにした。


 女子生徒の制服を着た、沙希の登場でなにもかも身辺整理を終えたということにして。



「どう? 似合う?」



 抱えていた『痛み』はストレス以上にコンプレックスもあったかもしれないが。あの菓子店のお陰で、もやがかっていたそれがなくなったかのように気持ちがよかった。


 結果、実は学ランを着ていてもそれなりに美人だったらしい沙希の人気度とやらが上がり、男女ともに交流することが出来るように……沙希の人生やりなおしが始まったのだ。




 *・*・*





「店長は、女子に対して意外にデリケートゾーンへのツッコミが多いのよ」



 沙希が帰り、残ったルイボスティーと自分たち用にまかないで食べるお菓子をつまんでいると。店員の若葉が少し頬をふくらましたのだ。



「悪気で言っているつもりはないんだけど? 間違った知識を持っていちゃ、これから大変な年代だ」

「それはそうだけど? トランスジェンダー手前で自分の本音に気づけたのは……よかったわ」

「君も昔似てたしね?」

「若気の至りよ、あれは」



 真宙は襟止めを少し触り、溜まった沙希の『痛み』を確認したが。血止めの菓子を使ったこともあって、随分と光が消えていかない。これはこれは、次の痛みの依頼に繋ぐ、素晴らしい菓子を作らなくてはいけないようだ。



「最近女性続きだったから、次は男かもね?」

「どっちだとしても、店長はお客さんをたらし込み決定ね」

「酷いね? それなりに接客しているだけなのに」

「口下手とか言っているけど。それただの好印象」

「君は逆に、お客がいないとはしゃぐよね?」

「だって、先代との約束ですもん。ここのバイト料は『その日の余り』だから」



 次の客が来るまで、ショーケースの中にあるケーキたちはあくまで『見本』。そのケーキが売れ残った場合は、真宙も食べなくはないが大の甘党である若葉がすべて平らげられるように小振りに仕上げているのだ。だから、綺麗に見せていることで『引き寄せ』やすくしている。


 客の注文は、真宙が奥の厨房でその日に受けたのを最後に仕上げる程度なのだから。



「まあ。太らないように」

「それは承知の上。だって、『現実味のないお菓子』でしょう?」

「さすがは、娘さん……」

「父との約束は、ちゃんと請け負うわ。娘として」



 次の次へ続くかわからない、代金が不思議の菓子店。次は誰が来るだろうか。

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