第14話
20歳を迎えた正月。私は海斗と共に、地元の成人式会場へ向かった。
私は、豪奢な振袖ではなく、施設で世話になった藤原先生が選んでくれた、落ち着いた色合いのシンプルな着物に袖を通した。会場の女性たちは華やかで、皆がSNSに投稿するであろう最高の笑顔を練習していたが、私にはその華やかさも、計算された笑顔も、もう遠い世界の出来事だった。
式典は、滞りなく終わった。市長の祝辞も、新成人の代表挨拶も、私の「じいちゃん」の魂には、既視感のある定型文だ。
会場を出た私たちは、賑わう人波から離れ、近くの神社の境内へと向かった。雪が積もり、静寂に包まれた境内に、私たちの足音だけが響く。
「なんだか、あっけないな」
海斗が、白い息を吐きながら言った。彼は、成人を迎えた喜びよりも、未来への真剣な決意を、その瞳に宿している。彼は、私の人生で初めて、何の役も演じずに接してくれた、私の真の家族だ。
私は、立ち止まり、海斗に向き直った。彼の顔には、地元の神社の控えめな照明が当たっている。
(この瞬間を、演じる必要はない。この言葉は、百年分の人生で、最も純粋な私の望みだ)
「海斗」
私の声は、20歳の女性のものだったが、その中に、すべてを達観した百年の老人の落ち着きが混ざっていた。
「私は、長い時間をかけて、自分の居場所を探した。華やかな世界では、私は誰かを演じなければ、存在できなかった。だが、お前は、私が何も演じなくても、私を拒絶しなかった」
海斗は、黙って私の言葉を聞いている。彼の瞳は、私に促すことも、焦ることもなく、ただ待っていた。
「私が人生で最も欲しかったのは、愛されることではなかったのかもしれない。ただ、私自身として、静かに息を吸うことのできる、安定した居場所だった。そして、お前が、その居場所の全てじゃ」
私は深呼吸をした。これは、演技ではない。ただの、事実の陳述だ。
「海斗。私は、お前が好きじゃ。お前と、この静かな日常を、一生涯、共に過ごしたい」
私の告白は、感情を爆発させる激しい愛の言葉ではなかった。それは、百年分の旅の果てに、ようやく見つけた、絶対的な安息の場所への、静かで、確かな帰還の誓いだった。
海斗は、一瞬、目を見開いたが、すぐに彼の顔に、あの純粋な、飾り気のない笑顔が広がった。
「アオ…遅いよ、じいちゃん」
彼はそう言って、私の手を握った。彼の温かい体温が、私の冷たい指先に、確かな生命の熱を伝えてきた。
「俺は、アオが芸能界を辞めて、俺と同じ福祉の道を選んだ時から、ずっとそう思っとった。アオが、誰かのフリをしなくてもいい、俺の隣こそが、アオの居場所やけんね」
海斗は、私の額に優しく口づけをした。
百年の魂は、この瞬間、華やかな名声でも、両親への復讐でもなく、たった一人の純粋な愛と、静かな日常を選び取った。相良悠の長い旅は、ようやく、この雪降る境内で、本当の結末を迎えたのだった。
成人式から数年後。私は24歳になり、短大を卒業した後、海斗と共に児童福祉士の資格を取得し、社会福祉法人で働いていた。私が寄付した資金は、全国の施設で有効活用されており、私が最初に育った施設は、最新の設備と充実した職員体制を持つ、地域のモデルケースとなっていた。
ある日、テレビ局からオファーがあった。特番『あのスターの今!〜光を捨てた天才たちの選択〜』という企画だ。過去のキャリアと現在の生活を、ドキュメンタリーとは違う、バラエティ寄りの形式で紹介したいという。
師匠の松岡は、引退後も私の代理人としてメディア対応をしてくれていたが、このオファーは私自身が受けた。過去の自分を冷静に見つめ直す、良い機会だと思ったからだ。
現在の日常
撮影班は、私が働く小さな福祉施設のオフィスにやってきた。
私は、かつての華やかな衣装やメイクとは無縁の、シンプルな制服を着て、笑顔で彼らを迎えた。顔立ちの美しさは変わらないが、その表情には、アイドルや女優の「仮面」は完全に剥がれ落ち、穏やかで、何の計算もない、日常の安堵が満ちていた。
カメラは、私が子どもたちと遊ぶ様子を追った。私が教えた簡単な演技のワークショップでは、子どもたちが屈託なく笑う。私の指導は、技術ではなく、「感情を自由に表現することの喜び」を教えるものに変わっていた。
隣には、海斗がいる。彼は、私がかつて必要とした「感情を借りなくてもいい場所」そのものだ。彼は、カメラの前でも飾ることなく、子どもたちと真剣に向き合っていた。
インタビューアーは、私に尋ねた。
「相良さん。貴女は14歳で、世界の舞台を捨てました。後悔はありますか? 貴女がもし、あのまま芸能界に残っていたら、今頃ハリウッドのトップに立っていたでしょう」
私は、微笑んだ。それは、百年の魂が過去の栄枯盛衰を全て見通したような、静かな、含蓄のある笑顔だった。
「後悔はありませんよ。私が芸能界で得たものは、『演技』という技術です。ですが、私が人生で本当に欲しかったものは、その演技を必要としない**『居場所』**でした」
名声と居場所の価値
私は、窓の外、子どもたちが遊ぶ庭を眺めながら、続けた。
「あの頃、私は、誰の感情も借りずに生きていけることに、ある種の孤独な誇りを持っていました。ですが、海斗や、施設の先生方、そして、この目の前の子どもたちが教えてくれたのは、自分の感情を素直に出しても、世界は私を拒絶しないという、最も単純で、最も大切な真実です」
「芸能界は、私という『商品』に最高の価値をつけてくれました。ですが、この福祉の仕事は、私という『人間』が、誰かの役に立っているという、揺るぎない尊厳を与えてくれます」
インタビューアーは、両親についても尋ねた。
「実のご両親、桐生さんと白石さんに対して、今、どのような感情をお持ちですか?」
私は、一瞬の間を取った。それは、演技の間ではなく、自分の心の深部を確認する、静かな呼吸だった。
「…私は、彼らを責めてはいません。彼らもまた、彼らが築いた『虚飾の塔』という、別の種類の『居場所』を守るのに必死だったのでしょう。彼らが私を排した結果、私は、自分の本当の居場所を見つけることができました。だから、彼らには感謝も、憎悪も、ありません。ただ、一人の人間として、彼らの人生を、静かに見守っているだけです」
最後の告白
カメラは、私の隣に座る海斗を捉えた。
「小泉さんは、相良さんにとって、どのような存在ですか?」
私は、海斗の手を、そっと握った。
「彼は、私の全てです。私の百年の旅の、終着駅です。彼は、女優・相良悠のファンではなく、ただの私を愛してくれた。私が感情を失った怪人だった頃から、私の隣にいてくれた。彼がいなければ、私は今も、どこかの舞台で、誰かのフリをしていたでしょう」
私は、海斗にだけ分かるように、小さな声で言った。
「なあ、海斗。私の演技は、もう、お前の前では必要ないだろう?」
海斗は、私の手を強く握り返し、あの頃と変わらない、優しい笑顔で答えた。
「当たり前だろ、アオ。ここでは、ずっと、じいちゃんのままでいいんだよ」
カメラが引いていく。画面に映るのは、穏やかな笑顔で子どもたちを見つめる、元・天才子役と、その隣に立つ、誠実なパートナー。彼らの周りには、華やかな光ではなく、暖かく、確かな、居場所の光が満ちていた。
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