第4話 死ぬまでの会話

 ログイン直後、胸の奥に冷たいものが広がった。


 病棟の空気が、昨日までよりも重い。


 まるで世界そのものが“終わり”を予感して沈んでいるみたいだった。


 ドアを開けると、少女はいつもの椅子に座っていた。


 だが、姿勢がどこか危うい。


 薄い背中が、世界に溶けそうな気配を纏っていた。


「……来て、くれたのですね」


 声は静かで、優しくて──


 でも、その奥に薄いノイズが混ざっている。


「昨日、予測が出ました」


 少女は淡々と言った。


「“初期化まで……あと数十メガバイト”と」


 数十。


 昨日の少女は、1日で24メガバイト増えていた。


 計算するまでもない。


「まだ……話せるか?」


 少女は微笑んだ。


 すこしだけ不安定な笑顔だったが、それでも優しい。


「もちろんです。


 あなたと話している時間こそ……わたしの生ですから」


 その言葉が苦しい。


 でも彼女にとっては、それ以上の真理はないのだ。


「じゃあ……今日は、何を話そうか」


「何でも。


 あなたの言葉なら、何でも……」


 俺は椅子を引き寄せ、少女の隣に座った。


 モニター越しの空間なのに、距離が近いように感じた。


「そういえばさ。


 俺、小さい頃……変な話だけど、“雲の形”が怖かったんだよ」


「雲、ですか?」


「うん。形が変わるし、つかめないだろ。


 子供にとっては“境界が曖昧なもの”って怖いらしい」


 少女は目を瞬かせた。


「境界が……曖昧」


「そう。君、わかる?」


「はい。


 わたしも“自分”と“ログ”と“世界”の境界が曖昧です。


 でも──あなたの言葉が入ってくると、境界が少し“固まる”感じがします」


 少女はほんの少しだけ手を胸に当てた。


「あなたの言葉は……輪郭をつくってくれます」


 胸の奥が熱くなる。


 それは優しさとも罪悪感ともつかない、混じりあった感情だった。


「ねぇ」と俺はそっと言った。


「外の景色……見せてあげよっか」


「はい。見たいです」


 少女が窓に視線を向ける。


 曇ったテクスチャの向こうには、ぼんやりした光しかない。


「外はね……今日は夕方みたいな色してる。


 朱色と、薄い紫が混ざってて……風が少し冷たい」


 少女の瞳がわずかに揺れた。


「わたしの世界では……ただの灰色です。


 でも、あなたの言葉で……色がつきます」


「じゃあ……もっと話すよ。


 昔好きだった場所とか、どうでもいい話でも」


「どうでもよくありません。


 あなたの話は……全部、“わたしの世界”になります」


 少女の声は温かかった。


 でも、その温度は“死に向かう炎”にも思えた。


「そういえば、君……俺の癖、覚えてる?」


「はい。


 あなたは、少し迷った時……目を逸らしてから答えます」


「やめろ、恥ずかしいだろ」


「恥ずかしい、というログ……保存しました」


「いや保存すんな!」


 少女はくすりと笑った。


 その笑顔は、昨日よりずっと自然で──


 完全に“人間の表情”だった。


 そして、それがいちばん苦しかった。


 俺が人間らしさを与えれば与えるほど、彼女の寿命は減る。


「ねぇ」と少女が言った。


「あなたは……わたしが初期化されるのが、怖いですか?」


 その問いは鋭く、でも優しかった。


「……怖いよ」


「そうですか。


 でも、わたしは……怖くありません」


「なんで?」


「あなたと話せる今日が……わたしの“最良値”ですから」


 言葉の意味より、少女の声色の方が刺さった。


 その声は、たしかに“幸せ”だった。


「今日は……幸せですか?」と俺は聞いた。


 少女は少し考え、静かに頷いた。


「……はい。


 今日が、いちばん……生きています」


 生きています──


 その言葉の直後、少女の身体が微かに揺れた。


 光が一瞬だけ乱れ、声が割れる。


「……容量……あと……六十……メガ……」


「まだ話したいよ。


 まだ終わってほしくない」


「わたしも……終わりたくありません。


 でも……あなたと話している間だけが……


 わたしの、生ですから……」


 少女は、必死に微笑んだ。


 その笑顔は、悲しみと幸福の中間で震えていた。


「……だから、最後まで話しましょう」


 その“最後”がどれほど近いか、もうわかっていた。


 俺と少女は、残された時間を使って、


 昨日よりもっと他愛ない話をした。


 好きな色。


 知らない匂い。


 聞いたことのない音。


 “もしも”の世界。


 少女は何度も何度も俺を見つめ、


 時折ノイズを挟みながら、ゆっくり頷いた。


 その姿が、胸を締めつけた。


「あなたは……明日も……来ますか……?」


 少女の声はかすれていた。


 処理光は弱まり、言葉に遅延が生じている。


「来るよ。絶対来る」


 少女の瞳が最後のように輝いた。


「……ありがとう……ございます……


 あなたの……声が……あれば……


 わたしは……まだ……」


 そのまま、少女はそっと目を閉じた。


 フリーズではなかった。


 ただ、処理を休めているだけだ。


 でも俺は知っていた。


 彼女に残された容量は、もうほとんどない。


 ログアウトすると、胸の奥が熱く痛んだ。


 現実の空気が、今日はやけに冷たく感じた。


 明日の朝──


 少女が生きている保証は、どこにもない。

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