第43話 記憶(1)

 エレベーターで7階まで移動した僕と看護師さんたち。


 移動の間も、二人はずうっと慌ただしく何かを話し合っていたが、専門用語が多すぎて分かりゃしない。


 けれど、僕が能天気でいられる時間は限られているような気がしたのと同時に、ぶるっと身震いした。


 それが寒さのせいなのか、あるいは別の理由でなのかは、分からなかった。





***





かえでくんは、記憶を失っています」



 その言葉に含まれる『かえでくん』が僕のことを指していると理解するまでに、少し時間を必要とした。


 その次の言葉を理解するには、いくら時間があっても足りないように感じた。何のドッキリだろうか、とかカメラはどこだろうなどと思った。


 エレベーターで移動して、長い距離を車椅子で運ばれた。その道中で、裏口のような小さな扉を強引に開けて駆け寄ってきたのは、両親だった。二人とも泣きじゃくりながら僕を抱きしめる。普段とはまるで違うその様子に驚くとともに、ただならぬ切迫感も抱いた。


 僕は、ただ少し眠って起きただけの認識だったのに、ずいぶん世界は様変わりしているのが怖かった。両親が、まるで知らない人みたいに感じられた―――けれど、二人は確かに僕の知っている両親だった。


 二人が加わって、大勢で医師のいる休憩ルームを目指す。どうやら、既に看護師からの連絡を受けた医師が待機しているらしい。そこで、ようやくこの状況の説明をもらえるのだろうか。


 廊下の窓から見える外の風景は、すっかり暗くなっていて、車が通る音さえまばらだ。


 今が何日で、何曜日で、何時なのかも分からない。気温的には、眠る前―――実際には、おそらく昏睡状態にあったのだろう―――と、大きな変化はないはずだが。


 

 それから、僕らは医師と対面した。


 

 そこで聞かされた言葉が、さっきの『記憶を失っています』というものだったのである。


 いわゆる記憶喪失、ということになるらしい。


 だが、僕は両親のことも、学校のことも、早坂はやさかたち含めた友人のことも、そして―――甘衣あまいさんのことも覚えているのだ。


 いったい、何の記憶を失っているというのか。


 白い髭を生やした医師は『慌てずに聞いてね』と前置きしてから、僕を笑って見つめた。



かえでくんは、車に轢かれて頭に強いショックを受けたんだ」


「幸いなことに、生命維持に関する器官の損傷は見られなかった」


「しかし、君は小学校におけるいくつかの記憶と、中学校における全ての記憶を失ってしまったようだった」


「そしてその影響は、深い関わりにあった人物のものほど色濃く出ている」



 医師は、矢継ぎ早に僕へ伝えた。言葉自体は理解できるのだが、僕に起こったできごとであると認識するのに、えらく時間がかかる。


 およそ2分、僕は黙りこくって脳みそをフル回転させて、ついにその処理を完了させた。


 そこで、一つの疑問が湧き上がって来たのだ。



「でも、僕は中学校の友達の記憶を覚えています。ついさっきまで、僕は甘衣あまいさんと―――」



 先生は、僕の言葉を頷きながら微笑んで聞いてくれた。だけれど、その表情の裏にはどうしようもなく寂しげな熱が篭っているように感じた。


 ひととおり僕の話を聞き終えてから、先生は小さく俯いた。何かを悩んでいるようだったが、やがて決意したように僕の目を見た。今度は、真剣な表情だ。



「ご両親。かえでくんの現状を、彼に説明してもいいでしょうか」



 先生は、僕の両親に確認を行った。


 二人は『もう、大丈夫なんですよね? なら、お願いします』『先生がおっしゃるなら、問題ありません』と話した。一体、何の話だ?


 先生は頷くと、またも僕へ向き直る。



「楓君は、記憶を失った―――と言ったね? これは『今回』失った、という訳じゃないんだ」



「―――はい」



「君が記憶を失ったのは―――2024年の11月。つまり、一年以上も前―――中学一年の時の話なんだ」

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