06.籠る熱

 日陰にいても太陽の熱さは伝わり、逃げ場がない。ハンディファンでさえもはや熱気を巡回させる道具になっている。

 正直少しくらい曇れば良かったのに、と本部のテントから思う。

「五月の体育祭って暑いんですねー。俺の時は秋だったんですけど…」

 荷物運びを終えた雅楽川先生が後ろからそう声をかけてくる。

「合唱祭と被って忙しくなるから変わったらしいですけど…。絶対秋の方がいいです…暑い…」

 見てれば何となくわかると思うが、僕は暑さがすごく苦手だ。エアコンがある部屋から出たくないし、冬眠ならぬ夏眠したいくらいだ。

「大丈夫ですか?溶けそうですけど…」

「んー…夏は苦手です」

 頭が回らず、歯切れの悪いぼそぼそとした返事になってしまう。

 ぼーっとしていると近くのスピーカーから少し籠った大音量のアナウンスが聞こえてきて驚く。

「続いては、先生方による借り物競争です。出場予定のある先生は、お集まりください」

「よっし!二組のために頑張ってきますよ!!」

 先生の競技は、その先生が担当しているクラスにポイントが加算される。

 僕は何にも出場しないけれど、雅楽川先生は生徒からの強い希望により借り物競争に出ることになった。

「頑張ってくださいね」

 ハチマキを強く結び直す先生に声をかけると、見るからに嬉しそうな表情になった。

「はい!真飛斗先生に応援されたら一位確定ですよ!見ててくださいね!」

 ピースをこちらに向けてグラウンドに走っていった。

 段々と先生たちが集まり、生徒たちも応援のやる気に満ちた顔で旗を振っている。雅楽川先生の周りにはテントからでは足りなかったようで、近くまで来て直接応援をしている二組の生徒がいた。

 (相変わらず…)

「相変わらずの人気ですね、雅楽川先生」

 思っていたことがそのまま聞こえ、声のした方向を見る。

「三神先生、お疲れ様です」

 小さく手を振って返してきた先生は三組担任の三神先生。日本史担当の、上品で大人しい雰囲気がある。

「そりゃあイケメン実習生が来るなんて漫画みたいな素敵な展開ですものね」

「あはは…」

 満面の笑みで幸せそうに話す彼女の周りにはお花が浮かんで見える。一見文学少女のように見えるが、無類の少女漫画好きらしく、メルヘンな発言が度々目立っている。

「……ん?」

 スタートラインに立っている雅楽川先生を見ると、片足の靴紐が解けていることに気がつく。

 (あのまま走ったら転んじゃう…!)

「雅楽川先生ー!紐!解けてますよ!」

 できる限りの大声で伝えるが、先生が僕を見ていないのと周りの騒音でかき消されてしまう。

「まもなく始まります。ご準備ください」

 先生方がそれぞれのコースに並ぶ。雅楽川先生は本部から見て2番目のコースにいる。

「ちょっと行ってきます!」

「え、七楽先生!?」

 まだ間に合うかもしれないと思い、コースの外を回って先生の後ろを目指す。近くまで行って叫べばきっと届くはずだ。

「うたが…!」

「いちについて、よーい、ドン!」

 無情にも競技は進行し、あと少しの所で先生たちが走り出してしまった。

 しかし肝心の雅楽川先生は数歩で靴紐に足を取られ、バランスを崩しかけていた。僕は急には止まらない足をそのまま動かし、雅楽川先生の腕を掴んで倒れそうな体を何とか支えた。

「大丈夫ですか!?」

「……え」

 何が起こったのかよく理解していない雅楽川先生を見て、はっと我に返る。自分が今どれほどの注目を浴びているかを想像するまもなく、顔に熱がこもるのを感じる。

「クツヒモ…ホドケテマスヨ…。お邪魔しましたぁっ!!」

 思わずそう叫んでグラウンドの端に向かって全力疾走をする。

 (なにやってんのなにやってんの…!競技中に、横切っては無いけどコースに入るとか危なすぎ!これ振り向いたら誰かと目合う…)

 もうこのまま下を向いてどこかに走りさろうかと思っていると、後ろから強く肩を引かれた。

「うわっ!?」

 後ろに倒れるかと思ったが誰かの腕に支えてもらい、瞑っていた目を開くと上から覗き込んでいた雅楽川先生の顔が上下逆さまにあった。

「…っ借り物、いいすか」

「へ、はっ、えあの!?」

 返事も聞かずに僕の体を軽々と持ち上げてゴールに向かって走り始める。所謂、お姫様抱っこをされている状態だ。

 おそらく僕たちに向けられているであろう歓声など気にせず、ゴールに向けて一直線に走る。

「ちょ!降ろして!先生!?」

 声をあげても降ろされることはなく、目を開けて少し右を見るとゴールが見えてきた。そのままの勢いでちらっと先生の顔を一瞥すると、おでこが汗ばんでいて真剣な顔で前を向いて息が上がっていた。

 (ちょっとかっこいい…)

 そんなことを思うのもつかの間、段々とスピードが下がり先生がゴールしたと分かった。

「二組の雅楽川先生ゴール!!」

「っはぁぁ…二位かー」

 ゆっくりと地面に降ろされ、先生は少しクシャッとなった借り物が書かれた紙を係の学生に見せる。合格のサインがすぐに出て、二位と書かれた銀色の旗を渡された。

「一位は心身先生かー。…って先生大丈夫っすか?湯気でそうなくらい真っ赤だけど」

「……はっ」

 やっと意識が戻って周りを見渡すと、ゴールした先生たちがこちらをチラチラとみていることに気がついた。

「い、いい言ってくれれば僕も走れますし!そりゃ先生ほどじゃないですけど、わざわざ持ってくれなくてもそんなに遅くないですっ!!」

「遅いなんて思ってないけど…ただでさえ遅れてたんで早い方がいいかなって。ごめんなさいっ!」

 悪びれを全く感じないが、一理あるしこんなに目立ったのは僕が転ぶのを防ぎに行ったのもあるので、何も言えない。

「…そういえば、お題、なんだったんですか」

 借り物競争で人が連れていかれることは珍しくない。毎年面白半分でお題を書く実行委員が何人もいる。時には好きな人、なんてお題で盛り上がる展開になったこともある。

 突然連れていかれた側としては自分が相手にとってのなんなのかすごく気になる。

「お題?英語教師です」

 持っていた紙をぺらっと裏に返して僕に見せてくる。

「英語教師…」

 先生の言う通り、紙いっぱいに大きな字で書かれていた。

「あれ、先生もしかして…」

 先生は少し前かがみになり、僕の耳に顔を近づけてそっと囁いた。

「”好きな人”とか想像してた?」

 咄嗟に先生の肩を両手で掴んで押し、強引に離す。

「っそんなことないです!単に気になるから聞いただけです!」

「ふーん?」

 目は落ち着いているが口角が微妙に上がっている。

「っていうか、効率求めるなら本部にも英語教員いたのに…」

 それた話題を戻したくて本部に目を向ける。そこには学年違いの英語教員や、副担任の教員が何人かいた。僕のところまで踵を返して走るより、本部に直行した方が明らかに時短だった。

「えーわかんないんですか?それともわかった上ですか?」

「…わかんないです」

 正直にそう言うと、先生は少し目を逸らして首筋をかきながら言った。

「真飛斗先生をお姫様抱っこして連れて行きたかったからに決まってるじゃないですか…」

 胸に何かが刺さったようにぎゅっとなり、顔が熱を帯びる感覚になる。脳がキャパオーバーとはまさにこのことで、一旦この場から逃げろと指示を出している。

「もう…っじゃあ僕は本部に戻りますから!」

 半ば強引に会話を止めて、小走りで本部のテントに向かう。

「あっ…お疲れ様でした!」

 残された雅楽川先生は周りの先生と生徒に生暖かい目で見られていた。


「おかえりなさいっ!」

「…なんですかその表情は」

 一部始終を見ていたであろう三神先生が僕を満面の笑みで迎えた。

「べっつにー?」

「……」

 僕は顔を逸らして俯くことしかできなかった。

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