第四話 護田満夫 その1
コミュニティセンターに送ってもらった棚田は、神社にいる間にすっかり冷えきってしまった身体を温めるべく、まずは風呂に入ることにした。
昼間のウェザーニュースを信じるのなら左義長のピーク時に、このあたりも吹雪にみまわれる可能性がある。あまり遅くに風呂に入っては、湯冷めをして風邪をひく可能性があるからだ。
コントローラーをテレビにむけて、もう一度ウェザーニュースにチャンネルを合わせてみる。常に最新の天気をチェックするクセがついてきているようだ、と棚田は苦笑した。
午後九時をまわる頃から、早いところでは雪が降りだすでしょう
県内各地、明日は一日を通して降雪がみこまれます
山間部では、これまでの積雪もありますので、除雪道具の用意など対策をなさってください
水道管破裂が平野部でもおこる可能性がありますので、水を出したり水道管をタオルとビニール袋で保護するなど、今から対策を行うようにしてください
明日の最低気温はマイナス5度、最高気温は1度、強風のため体感温度はマイナス20度程度にまでさがるでしょう
お出かけの際には防寒対策をしっかりとなさってください……
マイナス20度、まるで未知の世界の話に棚田は慄いた。
「昼間よりも寒さが厳しい予報になってる……」
青くなりながらぼやき、みくに教えてもらっていたガス給湯器のスイッチを押す。電池が切れかかっているのか、数回、ガチャガチャと押しまくってようやく、派手な音をたてて着火した。
浴槽のほうに回って蛇口をひねり、流れ落ちる水に手を当ててみる。三十秒ほど、つき刺さるような冷たい水が流れ出るばかりだったが、やがて、少しずつ温もりあるものへと変化していった。蛇口の根本にある温度計で湯温設定をし、浴槽に湯を溜めはじめる。
しかし、湯が溜まるまで相当かかりそうである。そこで棚田は、先ずはビデオカメラのチェックを行いながら音声を拾っていく事にした。
――ボイスレコーダーは、まだいいかな。
大事な取材の相棒なのだから、うっかり忘れてでもしたら大変であるし、ビデオで音声が拾えないとなったら取り出せば良いのである。
実際、ビデオカメラを再生してみると、意外と手ぶれが少なかったし、音声もはっきりしていた。
――良かった、ちゃんと聞き取れる。
これならば、ボイスレコーダーの音声は大学に戻ってからでも良いだろう、と棚田は安堵した。
ビデオカメラに、改めて向き合う。
方言が色濃い時はあえて平仮名表記にし、漢字や標準語に勝手に変換はしない。意味が全く違ったものになってしまう場合があり、そうした誤りをなくすべく、少しでも地方独特の言いまわしを習得するための、棚田なりの知恵だった。
ビデオチェックには、それにもう一つ、大切な意味があった。
瀬古代表の人物がほぼ来ていた、ということはつまり、村の重鎮そろい踏み、ということだ。
夜中に境内に行く前にせめて、ここに参加している人物の顔と名前くらいはしっかりと覚えておかないと、心象が悪くなる。今後も、教授とともに取材を行うつもりならば、それは避けて通りたかった。
浴槽内に溜まる湯の音を気にかけながら、ビデオから聞こえてくる名前と顔を頭に叩き込む。
「え~と、今ぼくに説明をしてくださっている方が――」
郷田
奥にいるかっこいい方が、
護田
そして、みくさんのお父さんが、
泉田
丸っこい樽のような体つきの自治会長さんは、
藪田
自治会と話しをしている、白髪頭の方が、
安田
隣と目の前に居る方々が、
遠田
柴田
ちょっと太めの方が、
上田
背中を向けて横を見ている痩せた方が、
牧田
清治朗さんと話をしているお二人が、
恩田
堀田
堀田さんは年齢的にはおじっさと呼ばれても良いご高齢だけど、どうもそう呼ばれていないようである、
割と固まってグループ行動を取っておられる方々が、
森田
高田
前田
吉田
和田
石田
園田
こちらの皆さんに白の裃を着付けておられるのが、
席田
そして、本来であれば、新田武雄さん、武はんじっさが、清水屋敷の瀬古代表だった、と――
「町内は苗字の下に『田』がつく『○田』姓が殆どである、そしてほぼ全戸が親戚筋であるため、苗字ではなく名前で呼び合う気風のようである、と……」
ビデオを一旦止めながら、地図上に瀬古名を書き込み、続いてメモにも書き留めていく。指を動かすと情報が頭の中に入りやすいのは、高校大学の受験をと塾にも行かずに乗り越えてきたからだろう。
――できれば、どこが誰の家か分かると良いんだけどな。
無料の地図アプリでは、そこまでは分からない。有名な地図は有料であるし、そもそも学校で使用するパソコンには純粋に研究に必要な検索にしか使用してはいけないという閲覧制限がかけられている。
勿論、自身のスマホ等でWi-Fi接続するにしても制限がかけられているし、そもそも通信が遮断されている場合もある。サブスクリプションを利用して音楽を聴いたり動画を視聴したりアプリゲームに耽っていたりネットにスレ立てしてバトルしたり等、バレでもしたらペナルティが科せられ、最悪退学になる、とまことしやかに言い伝えられている。
君子危うきに近寄らずの精神で、棚田は校内のパソコンを利用して検索をかけるのは最低限にしている。
――虱潰しに一軒一軒訪問して、書き込んでくしかなさそうかな。
着替えている場面には、みくとひなも映り込んでいた。
よく見ると、ひなに老人たちの四苦八苦している下着姿が見えないようにと、盾になるようにして、みくは立っている。みくだけでなく、若い男性も一人、さりげなく、衝立になるように立っていた。角度的によく見えないが、すらりとしており、そして僅かに見て取れる身なりから、あの時、目に付いた田舎に似つかわしくない美形の彼のようだった。
みくが名前を呼んでくれかもしれない、と思ってしばらくビデオを注視していたが、そもそも撮影時に彼を気にしていなかったのだから、直ぐに画面が切り替わってしまった。棚田は潔く諦めた。
「あれ?」
瀬古名の横に、それぞれの出席者の名前を照らし合わせながら追加している作業中、清水屋敷瀬古のほぼ中央あたりに鳥居のマークがあるのに気が付いた。小さすぎて、これまで全く気が付かなかった。迂闊さに飛び上がる。
「え? なに神社だろう、これ?」
土井教授の調査記録を探り、社の管理を担って居るであろう家名を見た棚田は、驚いた。
――泉田?
泉田姓は少ないと事前調査には記されている。となると、みくの実家かもしれない。
「また今度、聞いてみれば良いかな」
前傾姿勢ばかりで背筋が硬くなっていたので、棚田は大きく伸びをした。一区切りもつき、湯の音が変わってきたので腰を上げ、浴槽を覗いてみると、すでに半分近く湯が溜まってきていた。
棚田は、かばんの中から百均の袋に小分けてある着替え一式とバスタオルを取り出すと、シャワールームへと向かった。
脱衣所までは流石にないので、棚田は玄関に鍵をかけて廊下で着替えをおこなった。素っ裸でシャワールームに向かう。数歩の間だけだが、このこそばゆい肌寒さには、奇妙な開放感がある。銭湯などで、パンイチ腰グーポーズでコーヒー牛乳をあおり気味に飲み干す気分が、今は理解できそうだった。
「何だか、癖になっちゃいそうだな」
高揚感に後押しされるまま、棚田はシャワールームに飛び込んだ。備え付けのポンプは、CMでよく見かける自然派の全身シャンプーだった。普段使いの銘柄ではないと贅沢など言えないし、何よりも汗を流して湯船につかり温まれるだけでも、気持ちは違ってくる。
頭を濡らそうとした所で、棚田はウェザーニュースが告げていた夜中の寒さを思いだした。
――下手にシャンプーをしたら、風邪をひきそうだな。
臭うのではと気になったが、風邪をひいては元も子もない。身体だけを全身シャンプーでしっかりあらい、泡をシャワーで流す。この間に、浴槽には三分の二まで湯がたまっていた。足を折り畳んだ体操座りに近い姿勢でつかると、湯は、棚田の体積のだけ湯面が持ち上がり、肩まですっぽり収まった。
「ああ……」
思わず声が漏れるままにし、ゆっくりと目を閉じる。
温まれる幸福にひたりながら、棚田はふと、駐車場にみえていた水道管の破裂を防ぐ為に、水を出しておかないと、と思い出していた。
風呂からあがっても、汗が自然にひくまで棚田は素っ裸のままでいた。どうも、開放感の虜になってしまったようだ。
裸族のまま、キッチンに入る。ポットに水を入れてセットし、冷蔵庫のなかの弁当をとりだして電子レンジに放り込んだ。明日の朝まで取材をつづけることを計算に入れて、夕食はがっつりとっておくべきだろうと計算し、弁当だけでなくカップ麺も食べることにしたのだ。
電子レンジが鳴るまでの間に、着替えに取り掛かる。薄手の綿トレーナーの上にセーターと二枚重ねに着込み、裏起毛のジーンズをはいた。靴下も、五本指の軍足の上にモコモコ靴下を重ねておく。これで、防寒対策は完璧である。
電子レンジがチン! と出来上がりを知らせるのと、ポットの湯が沸くくのは、ほぼ同時だった。一分少々で沸騰させられると聞いていた電気ポットの便利さに、棚田は目を丸くする。
「こりゃ、いいなあ」
超がつく節約生活なので半自炊派の棚田であるが、実家住まいからの相棒であるポットを現役で使っている。
そろそろ、保温も悪くなってきているので買い替え時なのかもしれない、と思っていたところに便利さを見せつけられ、これは帰ったら、いの一番に家電屋に走ろう、と思った。
最も、懐具合と相談しなくてはならないが。
「いただきます」
手を合わせて、割り箸をとる。
レンジで温めた弁当は、唐揚げやフライが水分を含んでおり、ご飯もイマイチだ。しかし、まともな食事にありつけるのは、みくのおかげなのだから、文句をいってはバチが当たるだろう。
弁当をかきこみ、途中で出来上がったカップ麺のフタを開ける。弁当の内容にあわせて、力うどんにした。餅はともかくとして、うどんは紙のような噛み心地で、出汁の味は異様にしょっぱ辛い。
それでも、腹は満ちて身体は芯から温まった。ごちそうさま、と手を合わせた棚田は、カバンから今度は歯ブラシセットをとりだして、シンクで磨き出した。
歯みがきを終えると、カップめんの容器をさっと洗って、棚田は外に出た。駐車場の近辺をうろつくと、直ぐにコミュニティ専用の倉庫が見つかった。
しかし、シャッターには当然鍵がかかっており、中にあるであろう雪かきスコップなどは取り出せなかった。
仕方なく引き返し、勝手に使うのは些か咎めはしたものの、玄関掃除用とおぼしきボロタオルとぞうきんを取り出した。
蛇口をひねって水を出してから、水道管をぞうきんで巻き、蛇口の上にカップめんを逆さまに伏せて保護し、タオルでしばって固定した。チョロチョロと流れる水は、道路の向こうの用水路に投げれ、落ちていく。
と、突然の突風に棚田は思わず知らず両手で身体を抱えて守った。へその奥から、震えが全身に走る。
空を見上げると、それまでとは明らかに違う色をした、分厚く湿った色合いの雲が次から次へと流れてきていた。
――雪雲だ。
山を越えてきた雪雲が、空を我が物顔で仕切りだしているのだ。
「予報通りに降ってくるかな」
寒さ対策をあざ笑うかのような冷気に、棚田は肘を抱えながらコミュニティセンターの中に駆けこんだ。
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