第九話:長島一向一揆(二回目)──織田軍の悲劇(聞き取り版)

 天正元年(1573年)十月。


 私は、信長の部屋に呼ばれていた。


 畳の上に、泥。

 座布団の上に、泥。

 廊下に、泥。

 天井にも、なぜか泥。


(天井の泥ってなに)


 そして一番泥なのが、当の本人。


 信長は、床の間の前で膝を抱えていた。

 自慢のリーゼントは、湿気と泥でぺしゃんこ。

 しかも矢の貫通痕つき。

 

 人間って、折れると平たい。


「……茶々。聞くな」


「聞く」


「聞くな」


「聞く。軍議の続きあるし」


 信長の肩が、ぴくりと揺れた。


「……長島の件は……なかったことにしたい」


「史実として残るよ」


「やめろ。史実とか言うな」


 私は膝の上に板を置いた。

 メモを取る顔をする。五歳だが、容赦はしない。


 横には初と江。

 初は影みたいに座ってる。

 江はお菓子を食べながら、にこにこしてる。


「じゃあ確認ね。長島、負けたの?」


「……負けた」


「なんで?」


「泥」


 短い。

 でも、嘘だ。

 泥だけで負けるほど織田はふわふわしてない。

 いや、してるかも。


 私は目を細めた。


「それ、泥のせい"だけ"じゃないやつでしょ」


 その瞬間、部屋の隅で、影が咳払いした。


 背筋は一直線。鎧は塵一つない。


 明智光秀。


「姫様。正確には――」


「やめろ光秀。正確にするな」


「正確にして」

 私が言うと、光秀は小さく息を吸った。

 嫌な報告書を読み上げる声になる。


「敵は一向一揆。湿地。視界不良。

 会合衆交渉失敗。さらに──」


 光秀の目が、信長の頭に一瞬だけ刺さる。


「殿が"尾張最速・ぜっつー"を投入されました」


「投入したのは策略だ」


「投入したのはオシャレのつもりでは?」


「策略だ!!」


 私は首をかしげる。

「なんで、ぜっつー?」


「……カッコいいから」

 言い切った信長の顔が、泥より固い。

 

「は?」


 光秀が続ける。

「泥除けを……限界まで下げた仕様で」


「馬に泥除け……?」


「はい。さらに“車高短 (シャコタン)”に」


「シャコ……馬だよね?」


「低い」

 信長が虚な目で答える。


「低いと、なんなの?」


「殿にとってはとても、カッコいいようです」

 光秀がため息混じり。


 初が、影みたいな声で言う。


「……低い……それは……地に近い……

 地に近いは……泥に近い……

 つまり……沈む……」


 その時、襖が勢いよく開き、

 どろどろの特攻服が、ずるりと入ってきた。

「初の言う通りだァァァ!!」


 柴田勝家。


「姫様!殿は悪くありません!!」


「悪いよ」


「悪くありません!!ぜっつーが重かっただけです!!」


 光秀が淡々と続ける。

「そもそも殿が“ぜっつー”を戦場仕様に改造しなければ……」


「……改造?シャコタン以外にも?」

 私は眉をひそめた。


 信長が、急に目を輝かせた。

 泥の塊が、泥の職人になる瞬間。

「戦場仕様ッ!」

「特大の織田木工(家紋)が目立つ、

 鋼鉄製の炉欠斗兜流 (ロケットカウル)を付けた!」

「さらに──六連ホーン (法螺貝)装備!!」


「……ロケットカウル、ホーン、法螺貝?」


「パラリラの戦国版だ!!」

 ドヤる信長。


 光秀が、死んだ目で追加する。

「小回りを効かせるため、鬼ハンドルも追加

 結果、重量増。機動力――八割減」


「八割減って……ほぼ徒歩じゃん」


 勝家が嗚咽した。

「威圧のつもりで、まず我々の尊厳が沈みました!!」


「お笑い軍団に尊厳なんて無いだろ」


「尊厳はある!!」

 信長が胸を張る。

 リーゼントから泥が、ぱらぱら落ちる。

「い、いま落ちてるのは泥だ!!尊厳じゃない!!」


(尊厳も落ちてたよ)


 信長が続ける。ほんとうるさい。

「聞け茶々! 威圧とは!地を這う走り!敵が震える!」


「地を這うって、沈んでない?」


 勝家が、顔を伏せた。

「……はい。馬より先に面目が沈みました」


 光秀が淡々と補足する。

「出陣直後、ぬかるみにスタック。

 さらにロケットカウルと竹槍マフラーが、

 低木に引っ掛かり、後退不可」


「後退不可って、やばいじゃん」


「はい。やばいです」


「沈む。引っかかる。

 逃げられない。え、そこで敵は?」

 私は指を折って数えた。


「笑ってました」

 光秀が言った。


「そうだよね。私がその場に居たら絶対笑うし」


 勝家が、嗚咽混じりに続けた。

「数万の一揆勢に指を差されて……!『バカだー!』と……!」


「わしはバカではない!!」


(バカだよ?)


 勝家が泣く。

「姫様!殿は“漢の美学”を貫かれたのです!!」


「漢の美学……なに?まだあるの?」

 私はさらに眉をひそめた。


 信長が拳を握る。

「漢(おとこ=リーゼント)を隠すわけにはいかねえ!!」


 光秀が、さらっと言い直した。

「兜を被らず出陣」


「なんで!?」


「リーゼントが潰れるからだ!!」


「は?」


 勝家が叫ぶ。

「殿は髪で士気を上げるお方!!」


「もう聞きたくない。バカになる」


 光秀が目を閉じた。

「そして──弓矢が飛来」


「うん」


「殿の頬を掠めました」


「うん……?」


「さらに次の矢が──殿のリーゼントを突き抜けました」


 沈黙。


「殿の髪を……ちくしょうめ……!!」

 勝家が泣いた。


「……心も……突き抜けた……」

 信長は、膝を抱え直した。

 リーゼントを、そっと撫でる。ぺしゃんこ。


「面白すぎるんだけど」

 私は吹き出した。


 茶菓子を食ってた江が、口を止めた。

「のぶおじ〜つきぬけたの〜?」


 初が、影みたいな声で言う。

「……髪は……魂のアンテナ……貫通は……死……」


「縁起でもないこと言うな!!」

 信長が叫ぶと同時に抱えた膝に顔をうずめた。


「殿!!改造ぜっつーで長島の泥は抜けません!!」


「抜ける!!押せば!!だから押した!!全員で!!」


「……戦わないで、泥にハマった馬を押したの?戦場で?」

 私は口を押さえた。


「押しました」

 光秀が頷く。


「具体的には?」


 光秀が淡々と続ける。

「その後、殿が“全軍、押せ!”と号令」


「うん」


「次に、家臣が“夜露死苦!”と返事」


「うん?」


「全員で馬を押す」


「うん」


「敵が近づいてくる」


「うん」


「でも押し続ける」


「うん」


「殿が“もっと押せ!”と叫ぶ」


「うん」


「全員で“夜露死苦!”と返事」


「うん?」


「敵が弓を構える」


「うん」


「それでも押し続ける」


「うん」


 光秀が目を閉じた。

「そして──撃たれて……またリーゼントを突き抜けました」


「同じ穴を突き抜けた!! 凄い精密射撃!!」

 信長が悔しそうに言った。


 沈黙。


「ダブルリーゼント貫通は面白いから良いとして、

 さっきから出てくる夜露死苦って理解不能なワードはなに?」


「掛け声。えいえいおー!みたいなやつ。

 みんなの語尾に付けて叫ぶようにした……」

 信長が人差し指で畳をいじりながら言った。


「なんで?」


「士気があがる!!」


「上がるのは命中率だよ」


 江が、お菓子をもぐもぐ食べながら言った。

「のぶおじ〜あほや〜」


 信長が叫ぶ。

「あほじゃない!!あれは戦術だ!!」


「どんな戦術?」


「押せば抜けると思った!!」


「それ戦術じゃないロードサービス案件」

 私がツッコむ。


 初が、影みたいな声で言う。

「……馬を押す……敵が笑う……

 矢が飛ぶ……そして誇りを貫通する……

 それが……戦国の理……」


「初!!やめろ!!敗走を詩にするな!!」

 信長が叫んだ。


 勝家が泣きながら続ける。

「しかも……殿……」


「なに?まだあるの?」


「六連ホーン……鳴らしてたんですよね……」


 私は首を傾げる。

「法螺貝、六個ってやつ?」


「はい……」

 勝家が遠い目をした。

「しかも……交互に……」


「交互に?」


 勝家が嗚咽で言葉を割る。


「プゥゥ!プゥゥ!プゥゥ!って……」

「“鳴らしながら押せ”って……」


「戦場で?湿地で?霧の中で?矢が飛んでるのに?」


「はい……!!」


 光秀が淡々と補足する。

「敵からすると、霧の向こうで“ここです”が六方向から聞こえる状態です」


「バカはここでーすって言ったようなもの」


 信長がふてくされた声で言う。

「士気が上がると思った……」


「だから命中率が上がってる」


 勝家がわっと泣いた。

「姫様、それです!!霧でも居場所がバレる!!」


「……だから言ったのに……」

 光秀が、泥を拭きながら呟く。


「兵法において……『派手』は『的』です……」


 私は光秀を見た。

「ねえ光秀、ちょっと再現してみて」


「……は?」

 光秀の目が点になる。


「再現。どんな感じだったか見たい」


 光秀の顔が、微妙に引きつった。

「……姫様……それは……」


「お願い」

 私が言うと、光秀はゆっくり立ち上がった。


 そして──


 光秀が低い声で言う。

「では……これが現場です……」


 光秀が床を指さす。

「ここが泥」


「うん」


「ここに、ぜっつーが、ハマってます」


「うん」


 光秀が泥を指さしながら続ける。

「殿が叫びます。『全軍、押せ!』」


 光秀が信長の声真似をする。


「そして家臣が返事します」


 光秀が姿勢を正し、


「……夜露死苦!!」


 空気が、止まった。


 光秀が、真面目な顔で「夜露死苦」と叫んだ。


 江が、お菓子を口から落とした。


「みつひでおじ〜いまの〜なに〜?」


「……再現です……」

 光秀の顔が、微妙に赤い。


「六連ホーンも」


「やりません」


「お願い」


「……」

 光秀は、人生で一番どうでもいい葛藤をした後、

 肺の奥から、嫌々を絞り出した。


「──プゥゥゥゥゥ……」


 世界が、第二の沈黙に包まれた。


 勝家が即座に乗る。

「──プゥゥゥ!!夜露死苦ゥゥゥ!!」


「やめろ!!」

 信長が叫ぶ。


 初が、影みたいな声で呟く。

「……号令、法螺貝……

 斉唱、夜露死苦……

 魂が、真っ二つ……」


「初、やめて。信長がまた“理”にアレルギー起こす」

 私は初にツッコむ。


 江がにこにこしながら言った。

「江もやる〜」


 江が立ち上がり、

「よろしく〜」


「江、バカになるからやめて」

 私が言うと、信長が畳に額を打ちつけた。


「やめろ……もう、やめろ……」


 そのとき。


 ──床が鳴った。


 ミシ、と。


 全員が床を見下ろす。


 次の瞬間──


 ズボッ!!


 床から、手が生えた。


 白い手が、するすると伸びて──


 信長の足首を掴んだ。


「っ!?」

 信長が固まる。


「兄上ぇ……捕まえたぁ♡」

 床の下から、母上の声。


 そして──


 ズドン!!


 床板が吹っ飛び、同時に母上が顔だけ出した。

 母上はにっこり笑ってる。


「久しぶり」


「市ィィィ!!なんで床下!?」


「警戒網すごくて、地下しか無かったの♡

 気合いで掘ったんだよ♡」


(気合いで!?)


 母上が床下から這い出してくる。


「兄上、動かないで。

 首ってね、“思い出”みたいに軽く飛ぶんだよ?」

 母上がにこっと笑う。

 その手には、いつのまにか木刀が握られていた。


「ま、まて!!」

 信長が叫んだ──その瞬間。


「まま〜かわや〜いきたい〜」

 江が、世界一どうでもいい声で言った。


 母上が止まった。

 木刀も、笑顔も、全部止まった。


「え……? 江が、かわや……」


 そして、外から家臣たちの声も響く。

「殿!ご無事ですか!?」

「お市様が穴を掘って消えたようです!!」


「チッ……見つかったか……」

 母上は舌打ちをすると、ゆっくり木刀を引っ込め、

 信長の足首を掴んだまま、私たちに微笑んだ。

 

「ごめんね、兄上。

 育児が最優先なの。じゃ」


 母上はそのまま江を抱き抱え、床下へ戻っていった。

 信長の足首を一回だけ強めに握って、

 サービスで痛みを残して。


「……兄上、首は預けといてね♡」


「のふおじ〜よろしく〜」

 江が手を振った。



 一同はしばらく母上の居た場所を見つめていた。



「か、監視網を強化しろォォォ!!」

 信長が泣いた。


 私は、東の空を見た。


(……長島で負けちゃった……)

(これじゃ……甲斐に行けない……)


 私の「推し活遠征」は、泥の敗北によって一旦お預けになった。


 史実にはこう残る。


 ──天正元年、織田信長、長島にて敗走。

 敗因、ぬかるみ。

(注:改造馬がスタックしたため)

(追記:六連ホーンで居場所がバレたため)

(追記2:兜を被らずリーゼントを貫通したため)

(追記3:全軍が「夜露死苦」と叫んだため)


 信長がぼそっと言った。


「……茶々。これは……聞かなかったことにできるか」


「できない」


「なぜだ」


「後世にネタとして残すべき」


 私は板を抱えて立ち上がる。


「あと、光秀の夜露死苦、良かったよ?

 法螺貝も良かった」


「……二度とやりません……」

 光秀が、泥を拭きながら呟いた。



 本能寺はまだ遠い

 でも、火は……泥の中でも燃える。



(つづく)

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浅井三姉妹、歴史をブチ上げる!──仇の信長を転がして浅井家、もう一回やる クリスチーネさくらんぼん🍒 @sakuranbon

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