Ep.1 エスペテク村の緊急事態

第一話 疎まれる神殿、差し伸べる手

 ソラリオン王国暦51年。


 エスペテク村に危険な伝染病が発生した。


 現地の神殿所属神医官レジデントイノセンは聖水治療を試みてはみたものの、効果は一時的なものに留まった。事態を収拾できず、ついに救援要請(1)が出されたのが五日前。宛先は、王国の医療危機管理を統括する国立第一病院だ。


 上層部の判断により、事態の処理係として私が派遣された。


 私は医者であると同時に、殺し屋スイーパーでもある。単身で送り込まれた意味は明白だ。


 エスペテク村は王都から騎鳥きちょうを全速力で走らせても二日はかかる辺境の地。


 現場に着けば、中央への報告は不可能となる。すべてを自ら判断し、決断を下さねばならない。


 治療が唯一の手段とは限らない。あらゆる措置が認められている――たとえ、それがどれほど冷酷非情な選択であっても。


 国家の利益こそが、唯一の指針なのだから。


「この先、通行禁止だ! 行商ぎょうしょうで来たなら、引き返せ!」


 出発して3日目。


 前方から、拡声の魔道具を通した大声が響く。


 見れば、低い土塁どるいの上に一人の兵士が立っていた。土魔法で急造された検問所らしく、表面はまだ荒く、造りも粗雑だ。


 距離はある。騎鳥の爪音ていおんにかき消され、こちらの声は届かないだろう。


 代わりに許可証を高く掲げた。意思を示すにはこれで十分だ。


「白衣にアスクレピオスの印……あ、王都からいらしたエーゲ先生ですね! 少々お待ちを、ただちにプファイフェル様にお取り次ぎします」


 兵士が慌てて走り去る。どうやら、白衣と杖の紋章だけで身元を判断したらしい。


 ……甘いな。もし私が偽装工作員なら、この検問などとっくに突破されている。まあいい、事前の連絡が行き届いている証拠だと思おう。


 待つことしばし。中央の木門が開き、三人の男が現れた。


 真っ先に目に入ったのは、シルクハットに豪奢ごうしゃな衣装をまとい、いかにも役人然とした小太りの男。その後ろには、がっしりとした綿布服の男と、先程の兵士が控えている。


 兵士はともかく、綿布服の男は達人だ。足運びを見るだけで、並外れた実力者だとわかる。


「おお! お待ちしておりました。ようこそお越しくださいました。わたくし、プファイフェルと申します。クリスタ家の者であり、今回の対策本部長を務めております」


 小太りの男が、汗ばんだ額をハンカチでぬぐい、右手を差し出してくる。


 知らない顔だ。私の身柄の引受人か、単なる現地責任者か。どちら側の人間か、探りを入れてみる必要がある。


「初めまして、エーゲです。私の仕事内容について、改めて確認させてください。『根治』を目指すなら、『感染源』の特定とその後の『処置』が不可欠でしょう。何かご指示は?」


「医学に関しては、わたくしはまったくの門外漢もんがいかんです。先生に一任しますよ。必要なことがあれば、何なりとお申し付けください。そうそう、騎鳥はしばらく厩舎きゅうしゃに預けてもよろしいですか?」


「ええ、助かります」


 プファイフェルは私の裏の任務を知らないらしい。もし知っていれば、隠語を使って探りを入れるか、二人きりで話す機会を作ろうとするはずだ。


 ならば、この現地責任者の前では純粋な医者として振る舞うのが得策だろう。


 騎鳥の手綱を兵士に預け、プファイフェルと握手を交わす。


 土塁の内側へ招き入れられたその時――パタパタと羽音が響き、一羽の伝書鳩がプファイフェルの肩に舞い降りた。


「本来なら名医とじっくりお話ししたいところですが、どうやら連絡が入ったようです。エーゲ先生、早急に問題を解決してください。わたくしはこれで失礼します。――アイスマン、先生を神殿へ案内せよ。先生の命令は私の命令と同等だ。粗相のないようにな」


「承知しました」


 屈強な男が短く応じ、プファイフェルは会釈して近くの川辺に張られたテントへと歩いていく。


「俺はエスペテク村の村長、アイスマンだ。ギルドマスターも兼ねてる。堅苦しい言葉は苦手でな、すまん。エーゲ先生、助けに来てくれて本当にありがたい。荷物は俺に貸してくれ」


 アイスマン村長に荷物を預け、背中を追う。


 ……ん?


 歩き出した方向は、プファイフェルのテントとは逆だ。


 こちらの疑問を察したように、村長が吐き捨てるように言った。


「プファイフェル様は村の外で指揮を執っておられてな。村の中には、一度も足を踏み入れちゃいねえよ」


 その言葉には、隠しきれない軽蔑が混じっていた。


 村長と領主代表のプファイフェルは、表向きだけの関係らしい。おそらく、プファイフェルに人望はない。


 アイスマンに続き、村へ入る。


 入口には武器屋、防具屋、道具屋、宿屋が並んでいた。緑豊かな村だが、店先に客の姿はなく、通りを歩く村人の顔はどれも暗く沈んでいる。


 ただ、子供たちだけは別だ。村の掲示板の近くで、無邪気に遊ぶそいつらの姿がある。


 この穏やかな時間がいつまで続くかは、私の調査次第だ。


「この村は、完全に封鎖されているのか?」


 事前の要請書には書かれていなかった情報だ。


「最初はダンジョンだけ封鎖してたんだが、昨日、病気の冒険者が一人死んでな。プファイフェル様が村ごと封鎖しちまって、出入りは一切禁止だ」


 予想通りだ。救援要請から五日。すでに死者が出ている。


 医療従事者のケアを受けていても死亡したということは、この病は発症から一旬足らずで致死に至る可能性があるということだ。


 封鎖は非情だが、感染拡大を防ぐには合理的と言える。


「ふっ……」


 医者にとっても殺し屋にとっても、情報は鮮度が命だ。状況は刻一刻と悪化している。


 無意識に歩速が上がり、先導するアイスマンを追い越してしまった。


 こちらの焦りを、あの村長は医師としての使命感だと早合点はやがてんしたらしい。


 背中に向けられる視線に、くっきりとした尊敬の色が混ざるのがわかった。


「はぁはぁ……つ、着きましたよ、エーゲ先生……」


 駆け抜けた先の神殿は、村で一番高い場所にあった。


 岩山をくり抜いて造られたその姿は、自然と人工物が一体となり、圧倒的な存在感を放っている。


 エスペテクは小さな村だが、神殿の造りは新しく、清掃も行き届いていた。隣に花園まで付いている。


 アイスマン村長が扉を開け、中へと促す。


 一歩足を踏み入れる。


 まず目に入ったのは、本来中央にあるべき長椅子が両脇に押しやられ、所狭しと並べられた病床と屏風の数々だ。鼻をつくのは、浄化魔法クリーン特有の太陽の香り。


 女神像の前で、一人のシスターが忙しなく動き回っていた。


 ウィンプルを巻き、私と似た白衣を着ているが、その胸元の刺繍はアスクレピオスではなく、女神の聖印だ。


 こちらに気づいた彼女が駆け寄ってくる。神殿内での駆け足は禁忌のはずだが、なりふり構っていられないのだろう。


 丸いフレームの眼鏡の奥、金色の睫毛に縁取られた瞳は、疲労で濁りきっていた。プレッシャーに押し潰されかけているのは、一目瞭然だ。


「あ、あの……! エーゲ先生でしょうか? 手紙を書いたイノセンです……」


「ええ、エーゲだ。救援要請を受け、着任した。患者たちの様子は?」


「ひ、非常に厳しい状況です……ご案内します」


 神殿の奥へ進むにつれ、異様な静けさが肌にまとわりつく。


 はっと気づく。動いているのはイノセンただ一人だ。他の聖職者も、患者の家族も見当たらない。


「ここで働いているのは、君一人か?」


「いえ……他の者が体調を崩しまして、出勤できなくて……」


「病気が怖いだけの腰抜け共め! 臆病風に吹かれて、役目まで投げ出すとはな」


 アイスマン村長が横から毒づく。


 つまり、イノセンはたった一人で、この地獄と戦い続けてきたのか。


 私は治療だけを目的に来たわけではない。だが、せめて今この瞬間だけは、この孤立無援な光魔法使いに、医者として手を差し伸べるべきだろう。


「もう心配ない、最善を尽くそう。――イノセン殿、状況を説明してください」





     ◇◇◇





(1)エスペテク村神殿 緊急救援要請書

宛先: 地方医療統括枢機卿すうききょう ウィリアム 閣下

発信元: エスペテク村神殿所属 神医官レジデント イノセン

件名: エスペテク地下ダンジョンに由来する、未知の感染症に関する緊急調査および治療支援の要請


拝啓 ウィリアム枢機卿 閣下


 謹んで書面を以てご報告申し上げます。


 現在、私の管轄区域であるエスペテク村において、極めて特異な臨床症状を示す集団感染症が発生しており、事態は当神殿の対応能力を超過しております。


 つきましては、閣下が統括される国立第一病院に対し、緊急支援を正式に要請いたします。


【患者概要】

患者数:計4名(いずれも成人男性冒険者)

推定感染源:エスペテク地下ダンジョン

経過:発症から最長で5日目


【主症状】

発熱:弛張熱しちょうねつ(ピーク時体温 33°Ré)

消化器症状:激しい腹痛、水様性下痢

全身所見:高度の脱水症状

特筆すべき所見:排泄便に、時として白色の膜状物が混入


【実施した検査と治療】

便潜血反応(グアヤク樹脂チンキ法):陽性(+)

現行治療:魔法的に分離・精製した塩果汁および聖水の経口投与

治療反応:聖水投与直後は一時的に症状の軽快を認めるものの、6時間から半日以内に例外なく再発


【現状と考察】

 本症例はダンジョン封鎖後、新たな感染者の報告はなく、現時点ではヒトからヒトへの感染拡大も確認されておりません。現在、患者4名は厳重な隔離下で治療中です。


 神殿として可能な限りの処置を講じましたが、有効な治療法を確立できておりません。初発の患者一名は既にショック状態に陥っており、予断を許さない状況です。


 未知の疫病に精通した専門家のご派遣を、伏してお願い申し上げます。


敬具


エスペテク村神殿

神医官 イノセン



//メーデイアの贈り物


「お兄ちゃん、これ、あげる」


「金属板か? ……いや、小さなガラス玉が埋め込まれているな」


「よく見て。ただのガラス玉じゃないの」


 言われるがまま、板の裏側から光に向け、ガラス玉を覗き込む。


 ――息を呑んだ。


 そこには、肉眼では決して見えない、布の繊維の荒々しい編み目が巨大な網のように映し出されていたからだ。


「拡大鏡……いや、この倍率、顕微鏡か」


「そう。単純だけど、魔力を一切消費しないのが強みよ」


「また、とんでもないものを作ったな」


「全部、お兄ちゃんのために作ったんだから。……だから、今回も」


 メーデイアは私の服のすそをぎゅっと掴み、祈るように見つめてくる。


「絶対に、無事で帰ってきてね」


「ええ。約束する」

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