双貌の魔医

摂理あまね

プロローグ

 そっと扉を閉め、鍵をかける。この瞬間が好きだ。窓ひとつないこの病室は、外の世界から完全に断絶されている。外界のけがれを遮断し、内側のささやかな幸せが逃げ出さないよう、閉じ込めてくれる気がするからだ。


 振り返ると、妹のメーデイアと、彼女が作り出したゴーレムが母の世話をしていた。


 長い寝たきり生活で、母の四肢は細くえている。ゴーレムは優しく母の太ももを押し引きし、大腿四頭筋だいたいしとうきんを鍛えている。


 物音に気づいたメーデイアが立ち上がり、駆け寄ってきた。


「おかえり、兄ちゃん。ずいぶん早いね。ターゲットはもう……片付けた?」


「ああ。背負う罪が、また一つ増えた」


「平気よ。兄ちゃんが背負う罪は、私が半分背負う。……あの日から、私たちの手はもう、同じ色に染まっているんだから」


 メーデイアは私の手を握り締め、澄み切った瞳で射抜くように見つめてくる。


 その穢れのない瞳を見るたび、胸が締め付けられる。本当なら、彼女には血の臭いなど知らず、陽の当たる場所で生きていてほしかった。


 視線を逸らし、ベッドの母を見る。


 うつろな瞳は、何も映していない。私とメーデイアを守るために倒れた母は、十年前から時が止まったままだ。


 呼べば振り向く、まばたきする。食べ物を与えれば飲み込む。けれど、そこに意識と呼べるものは、明らかに宿っていない。


 医学を研究し続けているのに、私は母の病名さえ特定できていない。この無力な息子にできるのは、公爵家に魂を売り、母を生かすためのこの『檻』を維持することだけだ。


「それより、新型ゴーレムの調子はどうだ?」


「ばっちりだよ! お兄ちゃんの『スライムとゴーレムの融合』って発想、本当に凄いんだから。生体に近い柔らかさが出せるし……これなら量産して、もっとお兄ちゃんを楽させてあげられる」


「ありがとう、メーデイア」


「もー! 他人行儀はやめてってば。お兄ちゃんとお母さんのために、あたしはもっと凄いものを作るの。そうすれば、お母さんもきっと……」


 メーデイアは口を尖らせたが、その瞳には強い光が宿っていた。絶世の美貌と、魔導工学の稀有な才能。こんな狭い病室ではなく、広い世界で輝くべきなのに。


「すまん……」


「謝らないの約束でしょう!」


 魔術照明マジック・ランプの淡い光が、部屋を曖昧に照らしている。


 空気中を漂う塵は絶え間なくゆっくりと下方へ沈降していく。永遠に続くかのような静寂。私の心もまた、偽りの平穏に浸っていた。


 だが――異物は唐突に現れる。


 私は即座に身構え、メーデイアの瞳も一瞬で氷のように鋭くなった。


 部屋の隅、影が毒沼のように粘り気を帯びて盛り上がる。隠し扉も警備員も関係ない。公爵家の『影』は、いつだって理不尽に土足で踏み込んでくる。


 黒いマントを羽織った、小柄で異様な人影。


 この気味が悪い魔法が存在する限り、母は公爵家が掌握する人質であり続ける。相手に手を出すことはないが、睨みつけることは私の権利だ。


「ごき、げんよう。実に清々すがすがしい朝、だねぇ」


 その存在は、奇妙なイントネーションで嘲笑うように告げた。


「新しい、ミッションの伝令だ。今回は、何と――治療任務! パチパチ。エスペテク村に伝染病が発生したみたい。『魔医』エーゲ、その問題を解決せよ」


 不自然な位置で区切る話し方。フードの奥からは顔も見えず、声も体格も子供のままだが、こいつは十年前から姿が変わっていない。明らかに人間ではないナニカ。


 だが、私に拒否権はない。前に出ようとしたメーデイアを腕で制し、私は一歩踏み出して頭を垂れた。


「かしこまりました」

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