あか、ときどき、だれ

萬多渓雷

プロローグ

プロローグ

診療所の窓の色が赤から黒に変わる十八時。予報通り、屋内からでも気づくほどの大雨が降り出した。今日のカウンセリングを終え、患者の問診票の整理し、そのまま明日の準備をしていた時、電話がかかってきた。

 どうやら患者の一人にトラブルがあったらしい。その患者は明日、自宅を訪問する予定だった"高梨照美"さん。多重人格の症状がある方で、最近は新しい目標を見つけて、社会復帰のために頑張っているところだった。

「照美さんが手首を切っちゃってて」




 通話をスピーカーに切り替え、白衣を脱ぎ、すぐに出られる準備をしながら、声を聞いていた。電話の向こうでは照美さんの声が飛び交っていて、誰かがそばにいてあげなければならいない状態なのは確実だった。

「凄い!凄い!」

「大丈夫よ。」

「殺しちゃった。殺しちゃった。」

 誰かを殺したという声が聞こえてしまったことで、背筋は凍り、持っていたバッグを落とした。凍った背筋は、大きくなっていく焦りによってすぐに溶け出し、急いで車の鍵を取り駐車場へ向かった。

 車のエンジンをかけ、シフトレバーを握る前に、スピーカーにしたままの電話に耳を近づけた。向こうとの通話は続いていたが、さっきまでの阿鼻叫喚はなく、まるで水中に沈められたような、こもった雑音が鳴り続けていた。

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