第七話 4月:猫又と女子高生

第七話 4月:猫又と女子高生

 明月明日美は現役の女子高生である。

 実家を離れ商業高校に通う彼女は、歴史ある乾物屋「明月屋」の看板娘&跡取り娘。結果はともあれ何事に対しても常に明るく前向きで、何とかなるさが信条なポジティブの塊である彼女の周りには、自然とその笑顔に招かれて人が集まってくる。

 男女を問わず、彼女には友人が多い。

 時折、元気が過ぎて空回り、あるいは暴走する彼女に巻き込まれる事はあるものの、なんとなく、やれやれという溜息ひとつで許してしまうような、そんな人徳を備えた16歳の少女なのである。

 客商売に就く者として持っていて損はない、天性の素質であろう。


 数ヶ月ほど前に引っ越した彼女は、猫のジャックと一人暮らし。

 飲酒だ喫煙だ家出だ薬だエンコーだと、とかく悪い話ばかりが意図して取り上げられる昨今の女子高生であるが、多少のサボリ癖を除き健全な学生生活を送る彼女に限って、不埒な噂など間違っても立ちようがない。


「昨日寝違えちゃってさ、まだ首が痛いったら」

「数日経っても治らないなら、良くないものの仕業かもしれないわね……」


「あー、お腹すいた。お昼まだかなー」

「あなた、餓鬼に憑かれた可能性があるわ! 何でもいいから今すぐ一口食べなさい」


「今度みんなで海に行くんだけど、明日美も一緒に行かない?」

「そうね。船幽霊との遭遇を考えると、柄杓は人数分あるのがベターかしら」


 ……ただ、変人と思われているだけなのだ。






 授業の合間のオアシス、休み時間。

 真面目にノートを取っていた生徒にも寝ていた生徒にも、貴重な安らぎのひと時であるのは間違いあるまい。

 早速後ろの席と話し始める者、席を立ってそれに加わる者、トイレに行く者、頬杖をつく者、眠り出す者、寝続ける者と、たいして広くない教室内に、各人各個、様々な人間模様が展開されている。


 これは、そんな一画での出来事。

 机に伏せ、河原のウシガエルの如き呻き声をあげる一人の女子高生あり。名を明日美という。


「うおー……ねぶいー……」

「ずっと寝てたじゃん。吉沢睨んでたよ、弱々しく」


 吉沢というのは、先程まで授業を行っていた教師の名である。

 教師を呼び捨てにするというのもいかがなものかと思うが、まあ、目の届かない場所ではそんなものだろう。授業方針は雑談に逸れる事も沈黙に徹する事もなく堅実、つまりは地味。気弱なため滅多に生徒を注意しないが、その様子が哀れを誘うのか、寝る者こそいても騒ぎ出す者はいなかった。妻帯者、娘あり。家では子煩悩なパパという密かな噂である、が、とりあえずこれらの情報は以後の話となんら関係ない。


「睡魔が、睡魔があたしを襲うの……砂男が砂を……それとも夢魔……夢魔は違うか……エロい夢……」


 割と深刻である。


「ホントにそういう話好きだね、妖怪博士」

「皆が気付いていないだけで……妖怪や魔物は……常に人々の周りにいるのよ……ぐー」


 呆れ顔ながら、明日美を見る級友の目は、それなりに優しい。

 自分には霊感があるだの、妖精や小人が見えるだの、聞かれてもいないのに言い出す不思議少女は、どこの中学高校にも一人くらいはいるものだが、大抵は生暖かい笑顔や一歩引いた距離で応対されているのに対し、明日美の場合そういった扱いは受けていなかった。

 始終化け物の話をしているという訳でもなく、また、明るい、親切、の二言で表される性格が幸いしているのだろう。その親切が、必ずしも結果を伴わなくとも。

 よって、苦笑いされながらそこそこ話に乗ってもらえるという現状が生まれている。


「ああ、うちでもねー、最近心霊現象っぽいの起きてるよ」

「なんですと!!」


 がばと明日美が跳ね起きた。いっぺんで目が覚めたらしい。

 声を掛けたのは別の級友であった。振り向いた明日美へ、ふたつ後ろの席からそのまま話を続ける。


「やたら変な音がするの、家の中で。ギリギリとかギシギシとか、物落っことすみたいな音とか。でー、誰かいるのかと思って行ってみるとー、いない」

「どっか軋んだだけじゃない? たまにあるよ」

「そうなんだけどさ、あんまり毎日だから、ちょっと気持ち悪いんだよね」

「ネズミでも迷い込んだんだろ」

「ふむ……正体不明の怪音といえばポルターガイスト、いいえラップ音……あるいは、それらとはまた違った、何かしらの目に見えない存在が引き起こしている怪現象という可能性も……」


 当たり障りの無い会話を行う級友達。

 真剣な眼差しでぶつぶつと呟き、既に独自の世界へ突入している明日美。


「良かったら遊びに来る? お菓子ぐらいしかないけど。ついでに、なんかいるなら除霊とかしてよ」


 全く信じていない態度ありありで笑って言う級友に、そうねと力強く明日美は頷き返した。

 大事になる前に防がねば。明日美の瞳はそんな使命感に燃え上がっていたが、いつもの事だと誰も気にしていなかった。






 放課後、帰宅、即外出。

 という手順を踏まえ、所変わってここは級友の家である。

 除霊云々について冗談九割の級友、至極真面目な明日美という全く噛み合わない二者を内包した部屋は、特にそれに影響されるような事もなく、普段と変わらぬ年頃の少女らしい空気に満ちる。

 座る明日美の腕に抱かれているのは、フサフサというかモサモサといおうか、とにかく豊かな毛並みの目立つ猫。ピンと立った三角形の耳、すっと鼻筋の通った顔立ち、輝くブルーの眼が人目を引く、結構な美形猫である。

 地味な灰色一色の毛は概ね綺麗に梳られているのだが、その中で尻尾だけは奇妙に捻くれ絡み合って見えた。


「黙って猫連れてきちゃったけど、大丈夫?」

「平気だよ。おとなしいねー、その猫」


 猫といえば自由気ままの代名詞、勝手に動き回っているというイメージが余程強かったのか、感心したようにジャックを眺め、ついでにえらいえらいと頭を撫でる。

 ニャーと猫が細く鳴いた。のはいいのだが、その鳴き方に、どこか疲れが感じられる。それは眠いとか嫌がっているといった動物らしい率直な感情表現というよりも、しいて例えるのならば、生活に疲れた残業帰りのサラリーマンが肩を落としつつ漏らすうわ言といったような、極めて人間染みたものに聞こえた。

 級友が妙な顔になる。と、猫がニャアニャア露骨に媚を売った声を出し始めた。


「……ま、いいわ。なんか持ってくるね。飲みたい物ある?」

「何でもい……あっ、コーヒー!とか紅茶とか! お湯沸かしから、本格的に手間かけて淹れるやつ!」

「希望聞かれたからって、あんた少しは遠慮しなさいよ……」


 呆れながらも、それじゃコーヒーねと言い残して部屋から立ち去る級友。

 人一人、猫一匹となった部屋で、さて、と明日美が呟いた。


「これで時間は稼げたわ。……で、どうよジャック。家を騒がし、家人を恐怖と絶望の淵に沈める大悪霊の姿は見える?」

「あー……? そだな……」


 いつの間にか騒音から話が飛躍しているのはさておき、ジャックと呼ばれた猫は、明日美の問い掛けに、はっきり人間の言葉で応じると、些かげんなりした目を、改めてクローゼット上部から見下ろしてきている相手に向けた。

 一言で言うなら、幼稚園児だった。もっとも、空気入れで膨らませたように巨大な頭、鉄パイプに例えたくなるほど細い体、その頭には叩き割った柘榴の如き亀裂が縦に走り、ぱっくり割れた紅い断面から無数の前歯が覗いているような奴を、純粋無垢なる人間の幼児になぞらえて許されるのかは不明だが。


「いるぜ」

「え、マジ。いるの?」

「ああ。オレらが来た時からずうっと、惚れ惚れする素敵な笑顔でこちらを見詰めてらっしゃるよ」


 きょろきょろする明日美に、投げ遣りにジャックが答えた。

 明日美に霊感――というのだろうか、とにかく、そういった類の存在を見る力はない。

 妖怪だお化けだと騒いでみはしても、中身は一般の人間なのである。


(ま、嬢やここんちの人間に見えねーんだから、あれもその程度の奴ってこったな)


 ちらと柘榴頭を見遣り、ジャックが思う。

 もっと力のある奴なら、特別な能力を持たない人間にも姿が見えてしまうからだ。

 それは、この家の住人が全員無事だという事からも証明されている。とても友好的とは言えないその容姿からして、一定以上の実力があれば、とっくに一人や二人の犠牲者が出ている可能性が高かった。

 つまりガタガタ家具を揺らすのが関の山の、木っ端霊という事になる。

 今は、まだ。


 そんな判断を冷静に下しているジャックは、勿論ただの猫とは違う。

 遠き大陸の地に生まれ、黒船と共に江戸の日本へやって来て以来、齢150年を経た猫又なのである。

 元より霊格の高い猫、それもこれだけの長生きをしている化け猫となれば、その身に付いた力はかなりのものとなる。ジャックの場合は、持つ力の大半をさる目的に使っている為、やりたい放題という訳にはいかないが、残った少ない力だけでさえ、位の低い化け物などでは相手にもならない。

 床に下ろしてもらい、ぐるりと身体を囲うように尾を丸める。

 ごちゃごちゃした尻尾は、二本の尾を絡ませて一本に纏めているからだった。


「よーし、そうと分かればさっそく退治ね! 悪霊退散っ!」


 明日美が十字を切る。根本的に間違っている。


「なんでそうなるんだよ。だいたい嬢、こういう厄介事には無闇に首をつっこまねーって、旦那の一件で懲りたんじゃなかったのか」

「うん、あれは勉強になったわ。闇を闊歩する妖しの存在。力有る者は、人知れず弱き人々を守る為に戦う……」


 駄目だこりゃ。

 ジャックは何度目か覚えていない匙を投げた。

 いまひとつふたつみっつ気乗りしない様子を隠さないジャックに、明日美が焦れて声をあげる。

 肩が揺れるのに合わせて、癖のある髪がわさわさと上下に動いた。


「もー、いつもいつもアンタはどうしてそうやる気がないの!」

「んな事言われたってよ、所詮他人事だし。関わらずに済むなら、それで万々歳だろ」

「はくじょーねこ、れーけつにゃん。あーあ、やっぱりくじょっちにも来てもらった方が良かったわね」

「おまっ……! だから恐れ知らずも大概にしとけっつうに! 来て貰う貰えねェを気軽に論じられる相手じゃねーんだぞ、あれは! 嬢が引っ越しに旦那引っ張ってきた時なんざ、オレぁ腰が抜けるかと思ったんだからな!」


 とある事件で知り合う事となった妖怪蜘蛛が、主である女性に伴われて引っ越し最中の荒れた部屋に現れ、あんぎゃあと叫んで全身の毛が逆立ったあの日の事を、ジャックはまざまざと思い出す。

 九縄と呼ばれるその蜘蛛は、凄まじく強い。仮にジャックが全ての制約を解いたとしても、勝ち目は一切無いだろう。

 無闇に殺気を撒き散らしはせず、主の命令なしで攻撃する事もないとはいえ、化け物から見た化け物が目の前にいるというのは、あまり落ち着けるものではなかった。


 会話くらいなら、いい。

 しかし、よりによって引っ越しの手伝いに呼び付けるとは。


 あの頃に比べればだいぶ慣れたし、怖さを知りつつ、その性格からつい気安い態度を取ってしまったりもするが、それでも到底、明日美の境地に達する事などジャックには出来ない。自分の身の安全を確保する為に守るべき一線をひょいと飛び越えて、まるで友達感覚である。

 何も知らないのならともかく、恐ろしさを直に味わっていて尚この調子なのだ。

 偉大というか、剛毅というか、肝が据わっているというか。

 単刀直入に、アホというか。


「そんなに難しく考える事ないんじゃない?」

「嬢は難しく考えなさすぎ」

「あたしはいいひとだと思うけどなあ、くじょっち。あ、でも怒ると怖い。あっれは怖いわ」

「具体的に実力が分かるか分からねーかじゃ、怖さの度合いがダンチなんだよ……」

「んー、どうなんだろ。怖さと関係あるのかな? それ。そういや想子もさ、たまにおかしい時あるよね。くじょっちに余所余所しいっていうか。仲良さそうなのに」

「……そうか? オレには普通に見えるが……」


 ガチャリ


「……? 明日美、誰かと喋ってた?」

「あ、あはは? まさかぁ」


 ぎこちなく笑う態度自体が、明日美の普段を知る者からすれば不審だが、深く追求はされなかった。流石の明日美とて、ジャックの存在を公にしない程度の自制は備えているのである。葉っぱ一枚の自制だが。

 コーヒーとジュースと袋菓子が並べられていく。ジャックは行儀良くお座りした姿勢で、再び件の霊体に目を戻した。

 風船のように膨れた頭。一応、眉毛や目や鼻や口、髪の毛といった人間用のパーツは一通り揃っているものの、ぱんぱんに張り詰めた皮膚に引っ張られて、どれもこれもあらぬ方向に歪んでいる。とどめは中央の裂け目だ。

 気の弱い人間が見たら失神しかねない容姿である。というか、猫の感覚で見ても充分に気持ちが悪い。


 そいつは、どうやらジャックに見られている事には気付いているようだが、力量を推し量るまではできないようだった。事情により、本来の力よりも遥かに抑えられているとはいえ、化け猫の高い妖力を。

 故に、逃げもしない。ただ気付いているだけ、見ているだけ。

 それを思考や行動に結び付けられる知能すら持たぬ、本当の生まれたてな三下なのだろう。

 しかし、このまま放っておけばどうなるか分からない。力を付け、人を襲うようになれば、真っ先に犠牲になるのは、ここの家族である。たとえそうなった所で、ジャックの知った事ではないと言ってしまえば、それまでだが――。


(ま、いいか、この程度なら……。でもなあ、成功イコールますます嬢を調子に乗せちまうのが嫌なんだよなぁ)


 心中大いに嘆息しつつ、すっと霊に向けた視線を狭める。

 鳴くでも引っ掻くでもなく、睨みつけているだけだ。

 霊の顔が、ふと引き攣った。そこだけはふっくらした指先から、爪先から、輪郭が徐々にぶれ始める。


「ん? 猫ちゃんどうしたの。さっきから一点睨んじゃって」

「……あー、猫ってよくやるじゃん、こういうの。何もない空中をじいっと見てたり」

「なら、あそこにいるのかもね、明日美お得意の幽霊が」

「……かもねー」


 笑う二人。

 ぶれは輪郭を通り越し、全身が霞み出していた。丁度テレビの砂嵐のようだ。

 壊れた造りの顔面に、いまや確かな恐怖と苦痛の表情が浮かんでいたが、それも数秒のこと。

 ぷつんと電源を切るように、その姿が消滅した。


 フゥ。


「え」

「あ」


 ニュウ!


 思わず零れてしまった溜息を、慌てて調子外れの鳴き声で誤魔化すと、ジャックは自らを労ってくるくると顔を洗った。


(オレもつくづくお人好しだねぇ、猫はクールにあるべきなのによ)


 自分で自分に、感心しながら。






「明日美ぃ、あの日から起きなくなったよ、怪現象。心霊現象?」

「ふふん、だから音や軋みはあたしの見たとこ、単なる”鳴っただけ”、つまり偶然だって言ったでしょー」

「あはは、猫ちゃんにびびって鼠が逃げたのかもね」


「……って具合に、大悪霊との血沸き肉踊る大決戦は、無かった事として報告したわ。再び戻った平和の裏で繰り広げられていた、戦いの真実、そして幾多の哀しみなど、彼女は知らなくていい事……。ふっ、己の功績をひけらかさなくなったとは、あたしも成長したわね」

「いや嬢なにもやってねーし。やったのオレだし。ってえか自重すんなら報告部分じゃなく関与部分からしてくれよ。あと多分に誇大広告入ってんぞそれ」


 とまあ、このように。

 時折のハプニングとジャックの苦労を交えつつも、彼女、明月明日美の日常はつつがなく進行していっている。



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