第三十六話 8月:幸せの白い鳥 -7-

 吊し上げを食らう時とは、こういう感じなのかなあと想子は思う。

 襖を開けた時、既に勢揃いしている面々から一斉に視線を向けられるというのは、実の所、何度経験してもあまり慣れない。そんな話を誰かにする度に、慣れろ、と無情な一言が返ってきて肩を落とす。身内でさえその瞬間だけはぎょっとなるものを、明らかに敵意に近い感情を持つ余所者がいては尚更だった。

 シキにシュウ、そしてショウドウに蛍士郎。馴染みの顔ぶれに混ざり、突き刺さってくる目線がひとつ。

 くわばらくわばら、と胸中で呟きつつ、想子は大部屋を何気ない顔で進んでいった。

 続いて、花矢達も入ってくる。


 言われた通り、部屋の中では交渉の真っ最中という雰囲気。

 お世辞にさえ和やかと呼べないのは、想子が呼び付けられた経緯を考えれば止むを得ないだろう。

 まず気になったのは、蛍士郎とショウドウ両名が揃っている事だった。

 家の守りを考えて、通常、有事にはシキやシュウが当たり、前当主は残る。花矢の時でさえそうだった。前当主含めて一堂に会するというのは、余程の事が起きた場合に限定されるのである。

 想子の疑問を感じ取り、蛍士郎がこの男には珍しく、困ったように笑った。


「いやな、俺もうちのを呼び付けたら帰るつもりでいたんだが、こんだけやらかしてくれた件に、どーも知ってる奴が関わってるっぽいんでなァ」

「なら残ってりゃいいでしょと。ちょうど今なら、家に先々代いますし」


 蛍士郎とシキの話を引き継いで、同じく、とショウドウが言った。

 シュウがそれを、更に補足する。


「当家の場合は逆です。そういう事情でしたら先生が事に当たり、僕は塚守に残る旨申し出たのですが……。これに現当主が当たらずして何を当たるとお咎めを受けまして」

「結果、このように。……まア、それでしたら私が居残れば済む事なのですよ、本来は。申し訳ない、無理を言って同席させて頂きました。私情による身勝手、どうかお許しを」


 両手をつき低頭するショウドウに、想子の方が恐縮してしまった。むしろ塚守はもっと我侭を言っていいくらいである。

 それにしても、蛍士郎はともかく、規律に厳格なショウドウまでもが無理を通して会いたがる相手とは。

 興味の出た想子は室内を見渡すが、それらしき未見の人物は窺えない。

 席を外しているのか、まだ来ていないのか。蛍士郎の話し振りからは、後者だと思われる。ならば無理に聞かずとも知る機会は訪れるだろうと、想子は次に気になっていた相手に顔を向けた。向けた数秒後に、案の定目を逸らされる。こちらはこちらで相変わらずであった。電話に出た時には、まだ幾らか堂々というかふてぶてしい態度を保てていたように感じる。


「あ、同席させても構いませんかね? 彼」


 シキが聞いてくる。

 構いませんよと想子は迷わず答えた。シキがそう判断したのなら、異論を唱えるような事ではない。理由があるのか無いのか、どちらにせよそのうち知る事になるだろうから。

 青年は忌々しげに想子を見た。内心、却下されて塚護に帰される事を期待していたのだろう。が、自ら退席する勇気もないのか、おとなしくシキの後ろ側に座っている。

 シュウ達も苦笑したが、止めようとはしなかった。


 これで、大体の確認は済んだ。

 では、最後は。


「客人を後回しにするとは、トップとしての教育が行き届いているようだ」


 一気に空気が悪くなる。

 蛍士郎が、ほっとけ、というようなジェスチャーをしてみせた。

 しかし想子は、嫌味たらしいだけでもっともすぎる言い分に腹を立てるより、別の事に気を取られていた。この一見では西洋人でしかない男と初対面となれば、まず大概の者はそうなる。


「ずいぶん、日本語がお上手ですね」


 単に意味が通じるというのとは違う、発音からして完璧なのである。

 想子は純粋に称賛したつもりだったのだが、男は途端に心底うんざりした顔付きになった。顔立ちが良いからか、そんな表情もなかなか味があり、様になっている。

 考えてみれば客をのっけから無視しておいて、言語能力など褒めていれば気分を害されて当たり前だが。


「私の言葉が君に通じる現実を、改めて論じる事に価値はない。今話すべきなのは――」

「あーこいつなぁ、お袋さんが日本人なんだってよ。だからペラペラらしい」

「……ケイシロウ・ツカモリ、個人の事情を、勝手に話すのはやめてもらおう」


 自分に向いた矛先を、蛍士郎はうるさそうに手を振って追い払う。


「だって喋ったのお前じゃねーかよ」

「君が待機中話せ話せとあまりにうるさいからだ、そしてそれを他者に話すのは別の問題だ!」


 置き去りにされながら、段々と全貌が想子にも見えてきた。

 自分がここに到着するまでの間、相手をしたのが塚護だったのが男にとって運の尽きであった。頑なに自己を保とうとしているようだが、端から崩されつつあるのが想子達には手に取るように判る。


「……ああそうだ、私は母にこの言葉を習った。母の言葉を聞かされて育った。しかし私は母にも、母の生まれたこの国にも、一度も親しみなど覚えた事はないっ!!」


 声を荒げて吐き捨て、それから私情をここまで顕にしてしまった事を恥じるかのように、茶卓に拳を叩きつけた。激しい音は羞恥よりも尚強く、この話題に触れさせた事への怒りを感じさせる。

 誰も反応はしなかった。シュウだけが、幾らか眉を顰める。自ら動くような事態ではないものの、想子の前でのこの振る舞いを、完全に見過ごす訳にはいかなかったのだ。

 そんな男に歩み寄り、肩に気安く手を置いた者がいる。


『だいぶ苦労したようだな』


 それは、想子の元に現れた男達の一人であった。

 ここでやっと、想子は背後にいた筈の彼らの存在を思い出す。そういえば通訳を含めて、どうぞ座ってくれと伝えてすらいなかった。非礼ではない。のっけからああいう接触をしてくる相手には、それ相応の待遇しかしないだけの話である。

 男はようやく僅かながら安堵を顔に浮かべ、一言二言を返すと、座れというように自らの背後へ顎をしゃくってみせた。

 彼らは時折想子達に冷たい視線を向けながら、そのまま異国の言語で話を続けている。

 これには一転して、想子達がきょとんとする番であった。


「何語で喋ってんだこいつら」

「英語だ、蛍士郎殿」

「ほっほー。よし通訳しろテルミチ」

「無理だ」

「シュウ君って文系でしたっけ。いけますか?」

「僕は剣系です」

「なかなかエスプリの効いた返答するようになったじゃありませんか。つまり出来ねぇと」

「申し訳ありません、お役に立てず。ではシキさんに」

「できるわけないでしょーが。英語じゃなくてエロ語ならなんとか」

「もうカッタリィからそれでいけよ」

「蛍士郎殿!」


 俄にざわつき出す周囲に、想子は本家当主らしく落ち着き払い、沈黙を保って事態を観察していた。大学生だから、と矛先が回ってきはしないかの恐れで背中にかいた大汗は、服という素晴らしき文明の産物が周囲から隠してくれる。

 やれやれと、そんな想子に、あるいは周囲に、おそらくは全員に呆れたように、九縄が小声を漏らした。

 その声に、例の男の視線が鋭く引き付けられる。九縄の姿は帰った時から曝け出しているから、目に留まっていなかった筈はないのだが、掌ほどもある大蜘蛛が口をきいた事で決定的になったらしい。


『あんな怪物まで同席させるとはどういうつもりだ。まともに保管、管理さえしていないとは』

『こっちも最初は驚いた、しかも喋りやがるんだぜ、8本足の虫ケラが。この国じゃ放し飼いがスタンダードなんだろうよ。ほら、豚が原住民の集落内を歩き回っているようなもんさ』

『まったく教育が行き届いていなければ、常識も知らん連中だよ。これがこの国有数の実力者というのだから呆れる』

『しかたないさ、草原の真ん中に暮らしているような連中だ。洞穴に住んでいれば尚の事お似合いだった』

『イルゼキューズ、奴らは何と言っている?』

『聞こえないよママ、と言っている』


 真面目ぶった返しに、複数の笑い声が漏れた。

 男が唇の笑みを消しながら、想子へ向き直る。


「それではソウコ・タチヅカ。我々の計画に従い無事到着をしてくれた君に、改めて自己紹介をさせてもらおう」


 ようやく、男が本題に移るようであった。

 想子は、シュウとショウドウに素早く目配せをする。滅多な事は控えるように、と。

 どうやら通訳の役目はここまでのようだ。彼が単なる雇われ人なのか、彼らの仲間なのかは定かではないが、この男の方が明らかに立場は上に見える。加えて日本語が達者となれば、間に人を介する理由はない。

 態度がこれだから、聞かされる側のストレスを一切考慮しなければ。


「私はロウイ・イルゼキューズ。呼ぶのならイルゼキューズと呼んでくれ。名を呼ばれるのは全く好きではない」


 それも母親絡みかと察しつつ、想子はひとまず頷いた。


「我々は、全員が通称F.A.N.Gと呼ばれる東欧の研究機関に所属している。これについては忘れてくれていい、君にとっては何の重要な意味も持たないだろうからな。言っておくが、調べても無駄だ。F.A.N.Gは公的に認められた機関ではない」

「はあ……それで、そのファングさんが一体何のご用件で、はるばるこのような土地にまで」

「それをこれから話そうとしている。心配しなくても会話は順番に進んでいくものだ、君の望む情報もその時に手に入るだろう」

『それが必ずしも希望通りに手に入るとは限らんのが、世の中の難しさでな』

「――っ!?」

『遊びの伝言ゲームでさえ情報が劣化するのを、それ以上のややこしい事情絡みなら尚更だ。望む情報が手に入るというのなら、儂はまず貴様ら全員の得意武器と弱点を知りたいね。それ、手始めにそこのお前などはどうだ。豚と洞穴がお気に入りなお前だよ』


 流暢な英語で喋り出す九縄に、男達が一斉に顔を引き攣らせた。

 対して、想子達は平然としている。


「ああ、九縄様がいらっしゃいましたね」


 わざとらしくシュウが手を叩く。

 次に、ショウドウが深々と九縄に頭を下げた。口々に他の者達も続く。


「我々とした事がうっかり失念しておりました。とんだご無礼を」

「遠き地よりの来訪者とあっては、その言の葉ひとつ聞き漏らしちゃあ失礼ってもんです。九縄くん、後程ぜひ一言一句あまさず教えて頂きたいですな」

「お願いしますわー、なんせ俺ら無学なもんでさー」

「ふむ、うっかり忘れられていたのでは仕方がないな、許そう。耳が無くとも聴覚は良い方でね、ついでに記憶力にも自信がある。後で全て再現してやるよ」

「お手数を御掛け致します」


 最後に、想子が九縄を労った。

 殴りかからんばかりの勢いで、イルゼキューズが仲間の男達を振り返る。

 例の通訳が、激しく首を振った。九縄が言葉を操る事は道中で知っていたが、ここまでとは完全に予想外だったらしい。

 イルゼキューズが再び振り向く。さすがにこの傲慢な男も、気まずさを隠せないようであった。まんまと一杯食わされた苦々しさはあるだろうが、それを怒れる状況ではない。

 部屋に満ちる沈黙と、緊張。ややあって、感情を抑えた声でイルゼキューズは言った。


「……我々は穏便に話を進めたいと思っている。不要な挑発は避けたい」

「それはお互い様だと思うがね」


 さして面白くもなさそうに、九縄が応じた。

 苦しい言い分である事は自覚しているだろうに、次に説明に移った時にはもう、イルゼキューズの顔は一見した平静さと、あの侮りに満ちた目とを取り戻している。

 ここまで一貫していると、いっそ感心すら覚えた。


「我々は祖国から、この国へ逃げ込んだモンスターを追ってきた。先だって内密に調査を依頼した貴国該当組織よりの連絡があり、ようやく居場所を特定できた所だ」


 ショウドウが蛍士郎に一瞬視線を向ける。やはりな、と言いたげな仕草だった。

 しかし想子はそれを聞いた途端、全く別の事に肝を冷やしていた。

 東欧と聞き、彼らの追ってきたモンスターとは、まさかリンドバークの事ではないかと考えたのだ。だとすると非常に話がややこしくなってくるし、彼らが突然太刀塚を訪れたのにも説明がつく。

 とうに想子の元からは去っているとはいえ、一時同じマンションにいたのは間違いなく、龍との戦いでは大きな貢献をしてくれた、今となっては友と呼べる存在である。出会い頭にトラブルに巻き込んでくれたのは確かにせよ、そんなのはもう、どうでもいい事だった。


 だから、もしも彼らがリンドバークを追い、倒そうとしているのであれば。


 あの吸血鬼の根幹に従って、戦いを見守る事は出来たとしても、協力する事までは出来そうにない。いや、もしもリンドバークが殺されそうになっていた時、本当にただ見守るままでいられるのか――。

 落ち着けと想子は自分に言い聞かせる。まだ、そうだと決まった訳ではない。


「東欧と仰いましたよね。吸血鬼か狼男か妖精さんでも手配中ですか?」

「いいや、それらとは異なる種類だ」


 裏があるという表情でもなくイルゼキューズが答えた為、ひとまず想子は胸を撫で下ろした。

 しかしそれは、リンドバークともまた別に、わざわざ追ってくる程の魔物が海を渡ってきた事になる。戦闘に特化して他を捨てたリンドバークですら容易に飛行機に潜り込めたのだから、どうやら海外旅行と洒落込む魔物というのは予想以上に多いようである。


「なんでこの国に来たがるんでしょうねえ」

「偶然なのか直感なのか。古来より夜の闇は濃く、神や妖を隣人として生きてきた国だ。何かしらの訴えかけるものがあるのやもしれぬな。事実、ジャックのように水が合う洋産も出てくる」

「……奴は人間の外表面に寄生して空港を超えたらしい。寄生というのは正確ではないが」

「どういう事です? 九縄」

「単独で人目を誤魔化すのではなく、身代わりを立てるという事だ。すぐ横に明らかな化け物がいるというのに、突っ立っている囮の方しか目に入らなくなる。其奴、あまり隠形は得意としておらぬようだな。……ああ、ついでに言うと囮役は負担が大きく大概死ぬ」

「………………」

「旅行先、つまりこの国で、家族が空港で変死したと警察に連絡が行くまで、逃亡から数日。検死された遺体に異常を感じ、然るべき君達の機関に話が行くまで数日。我々が知ったのはそれからだ。この頃には、空港と海港で明らかな異常事態が起きていないか、起きていれば直ちに連絡をという通達を、可能性のある各国に行なっていたからな。その後我々の仲間が遺体を確認。体毛の採取と、固有エーテル体及びアストラル波残滓の一致を確認。以上の過程を経て、奴に間違いはないと判明した」

「それは長々とおめでとう、全然意味わかんねぇ。んで、どうしてうちに来た? そいつぶっ殺すのに雇いたいってんなら、結構高いぞ」

「そうではない。我々が奴を捕獲するに当たり、君達の活動領域に踏み込むという話を通しにきた。それだけが目的だ。必要もなく、わざわざ寄り道などしない」

「……え? そのモンスターさん、うちの庭にいるのですか?」

「違う。我々が捕獲活動を行う事を、君達に知らせに来たのだ。この国のこの辺り一帯地域の、魔術師組織のトップにいるのが君達の家なのだろう?」

「……?」


 重ねて聞かれても、想子の頭上には疑問符が浮かぶばかり。

 先に話を聞いていた蛍士郎が、目立たない程度に唇を笑いの形に吊り上げた。


「何か勘違いしているようだが、太刀塚は霊能集団の元締めでは全くないぞ」


 九縄の言葉に、イルゼキューズが訝しげに目を細める。

 嫌味な澄まし顔が続いた後では、なかなかの見ものであった。


「ええとですね、太刀塚は単なる古臭い殺し屋商人集団であって、仕事や同業者に便宜を図るような役割はありません。といいますか、斡旋業を除いてどこもやっていませんよ、そんな『おう、ここを誰のシマ思うて商売やっとるんじゃ』みたいな事」

「……想子様、その例えは難易度が高すぎるかと……」

「基本は、勝手に依頼を受け、勝手に戦い、勝手に稼ぎ、勝手に死ぬ。どこもそれだけだ。由緒ある家は家なりに、歴史の浅い家は家なりに、各々の道を持っている。それを、愚かしくも今日から当家が代表を務めるなどと宣言し、一元管理を試みてみるがいい。たちまち戦国時代に逆戻りをしてしまう」


 難しい顔で告げるショウドウに、蛍士郎がもっともらしくウンウンと何度も頷いた。


「どうしてもってのなら、うちじゃなくて香ノ樹ってトコに行けば? トラブル起こしたくないからヨロシクって言えば、管理好きだから話ぐらい聞いてくれんじゃね。保証人にまでなってくれるとは全然信じられねえがな」

「でも、どうやって向こう様に話を通すのです?」

「知らん、なんとかなるんじゃね? ならないだろうけど」

「うちは連絡なしで来てもこうやって会えるけど、肝心の事をやる気が全く無い。あっちはひょっとしたらやってくれるかもしれないけど、納得させられる理由を考えるのが大変。世の中うまくいかないもんですなあ」

「第一まともに着くんですか、こんな下調べもしっかりできていない集団が」

「だからさ考えてみろよ、うちと同じノリでアポ無しぶっつけ訪問した香ノ樹門前で、こいつらが『すいません妖怪退治の件でお話があります』って言ってる光景。すげー笑えてくるだろ」


 無責任に、蛍士郎が雑談を広げた。


「しかし……それでは聞いていた話と全く違う」


 逸れていく話に怒るのも忘れ、イルゼキューズは動揺に気を取られている。

 事態に追いつけていないのだろう。そして追いつけば、確実に怒りが全てを押し退け勝ると思われた。

 想子にも、察しがつき始める。

 太刀塚に、余所者がこの国で活動する際の許可を与える権限など無い。そんな物は誰も持っていない。実際にこの仕事に携わる者なら誰でも知っている事実は、窓口を通して隠されていた。それはイルゼキューズ達を足止めする為か。それとも、この鼻持ちならない男を騙してからかう為か。


 どちらも、違う。

 正解は、何とかして太刀塚に彼らがいるという状況を作る為だ。

 彼らがこの国で活動を始める前に、どうにかして太刀塚に連れて行く口実を作る為だ。


 そしてその工作を行ったのは、蛍士郎達が待っているという人物。

 束の間、室内がしんと静まった。通訳によって、他の男達にも状況が伝わりつつある。


「ひとつ気になるんですけどね」


 笑うのを止めていたシキが、ぽつりと聞いた。


「奴だの捕獲だの、あんたがた、まるでその逃げたってもんを直に知ってるみたいな口振りですね」


 イルゼキューズが顔を上げる。


「ああ、良く知っている。あれは我々が管理をしていたのだ」


 逃げたという魔物を指して、あれ、とイルゼキューズは迷わず言った。

 何気なく使ったのかもしれないにしろ、想子には少し引っ掛かる。そんな、物みたいにと。

 しかし、肝心なのは追ってきた理由の方だ。こうなるとまた話が違ってくる。

 例えば、イルゼキューズ達の国で暴れていた魔物を追ってきたというのなら、幾ら最悪な態度を取られようと、よくやっているな、大変だなと感心もする。

 だがこれでは、単にやって当たり前の後始末をしているだけではないか。


「飼い犬に手を噛まれたってか。躾のできない飼い主だと犬も苦労するよな」

「俺らの言う犬って、躾をしててもいきなり裏切りますけどね」

「その挙句に、人死にを出しているというのか」

「憂慮すべき、悲しむべき事態だ。我々も望んではいなかった」


 イルゼキューズは淡々と言う。

 望もうと望むまいと、研究機関とやらの失態により、観光客の家族が殺された事実は変わらない。所詮は名も知らぬ他人の話であり、今更言っても仕方のない事であり、そも、他人を殺して利益を貪り、今尚危険を野放しにしている太刀塚の人間に責める資格はないとはいえ、さすがに簡単に流しすぎではないかと、想子がもう一言言及しようと思っていた時。

 遥か遠くから、バタバタと忙しなく廊下を駆けてくる音が聞こえた。甲高いミズエの声が混ざるのは、慌てて追いかけてきているのだろう。

 想子は、浮かしかけた腰を元に戻した。蛍士郎とショウドウが身動ぎもせず、特に蛍士郎はにやにやと笑いまで浮かべて、襖の方を見つめていたからだ。

 ガラリと乱暴に襖が開け放たれる。やや廊下で滑ったように体を傾けながら、見慣れぬ男が顔を覗かせた。


「ああ……やはりこちらにいらしたのですか! 困りますよ! ミスター・イルゼキューズ!」


 確かに困惑しきった声をあげるのと同時に、男の真横から、巨大な長方形が飛び出した。見るからに重そうな、金属製の黒い箱である。男が、おそらくは引き摺って運んできたらしい。一体何キロあるのだろう。ミズエが叫んでいたのは、走る男を止めようとしたというより、この縦長の箱のせいで、廊下に傷が付くのを恐れたからではないか。

 自分の出番ではないとばかりに、ずっと青年の隣に寝転がって座布団を抱いていた花矢が、跳ねるように起き上がった。あまりに急な動作に、青年がビクッと肩を竦める。

 当然その反応は想子の目を引き、どうしたのか問おうとする。

 しかしそうする前に、急転直下の異常事態にはそぐわない、極めて陽気な挨拶が想子の耳を打った。


「よー、てっちゃん!」

「ユキ」


 蛍士郎とショウドウの口から、それぞれ違った名が飛び出した。

 どちらなのです、と聞く前に蛍士郎が立ち上がり、ずかずか男に歩み寄るや、ガッと腕を首に回した。想子にその顔を見せつけるかのように、投げ技を決めんばかりの勢いで前方に押し出す。


「見ろ想子ちゃん、これが国の犬だ!!」


 想子は唖然とした。

 ずり落ちた眼鏡のまま、男は文句を言うでもなく、はは、と諦めたような弱々しい笑みを浮かべてみせる。

 どうしてここにサラリーマンがと、まず真っ先に想子は思った。

 他に思う事がなかったとも言える。ああサラリーマンだという以外に、特徴らしい特徴が無さすぎて。

そ れだけ、この空間において男は異分子だった。スーツ姿というならイルゼキューズ達もそうなのだが、彼らは間違ってもサラリーマンには見えない。重ねて、断じてビジネスマンではない、サラリーマンである。


 いつもながら痙攣的な蛍士郎の振る舞いに顔を顰めながら、ショウドウが口を開く。


「ユ……彼と私、蛍士郎殿は、古くからの友人でしてな。当主様も名前だけなら御存知の筈。中央の陰陽寮に所属する、雪追ゆきおう鉄志てつしという者です」


 あっと想子は声を上げる。

 雪追鉄志。中央陰陽寮の人間として、太刀塚でもその名を聞く男。

 名前を知るどころではない、本来ならば、もっとずっと早くに顔を合わせている筈の相手だった。長い間やさぐれて、当主としての職務を放棄さえしていなければ。

 想子の顔が赤くなる。

 過去の自分が何もかも放り投げていたのは、甘やかす分を除いても充分に仕方のない面があったと思うが、そうは言っても、自らの恥部の皺寄せをこういう形で見る事になるのは、相当に罪悪感を掻き立てられる。


 中央陰陽寮。由緒ある公的な対霊国防機関として華々しく機能していたのは過去の話、現在の主な役割は、全国の仏閣の見回りや結界の修復、点検作業。そして事務仕事と、地味だ。

 それが今回、異国の魔物騒ぎに関わっている。

 イルゼキューズの言ったこちら側の組織であり、彼らとの窓口を務めていたのもこの男だろう。そして、太刀塚が、ご機嫌伺いをしなければ活動が許されない元締め組織だなどという大法螺を吹いたのも。

 実直であり愚直であり気弱そうな中間管理職的佇まいながら、なかなか大胆な真似をする。


 それにしても、友人とは。


 それもショウドウまでもがニックネームで呼ぶ程の。

 外見といい、胃薬が手放せなさそうな雰囲気といい、サラリーマンお父さん一直線といった風貌の男と、両名ともまるで共通点など無さそうなものなのに。

 改めて、想子は鉄志を観察してみる。

 しかし、これといった特徴は気に留まらなかった。あまりにも、中年サラリーマンすぎる。

 白髪交じりの髪型はその辺にいそうで、顔も体格も無闇に太ったり脂ぎったりはしておらず、まあちょっと頼りないお父さんという感じで、背が極度に高い訳でも低い訳でもなく、最も似合う乗り物を挙げろと言われたら、マイカーを押し退けて通勤電車が勝つ。

 あえて無理にでも特徴を探せば、ぱりっと糊の効いたスーツと、臙脂色のフレームレス眼鏡と、そこそこがっしりした肉付きに見えるワイシャツの張り上げ具合だろうか。

 ほとんど本人とは関係のない事ばかりである。想子の視線に、どうも、というように鉄志が頭をまた下げた。腰が低い。本人よりも、横に鎮座する謎の金属箱の方が余程存在感を放っている。


 自らを置き去りにして会話を進める者達にも慣れたのか、今度はイルゼキューズが立ち上がる。対照的に映画俳優のように整った顔は、明らかに憤慨していた。


「困る? それはこちらの台詞だ。どうやら行き違いというだけでは済まない大きな問題があったらしいな、テツシ・ユキオウ」

「え、ええ、はい……それはですね、おいおい説明しようと思っておりまして……。で、ですがそれを言うなら皆様もですよ、どうして最後の最後で待ってくださらないのです……。訪問は私と共にという話になっていたじゃありませんか……!」

「我々の時間は貴重なのだ。そしてその時間さえ、本来必要なものではなかった!!」

「まあまあ、どちらも一旦落ち着かれては……」


 想子が宥めに入る。

 ひとまず腰を下ろしながらも、イルゼキューズの瞳は冷たく鉄志を睨み続けていた。

 苦労してんなぁ、と、やっと鉄志を解放した蛍士郎が、まるきり他人事の感想を漏らす。仕事内容にというより、会社勤めの悲哀を一心に背負ったような、その有様にであろう。

 鉄志は、曲がってしまったネクタイと髪を、愛想笑いを浮かべながら直している。半泣きに見えなくもない。

 ショウドウが、答えは判っているが、というような口振りで尋ねた。


「ユキ、何故こちらの御仁を騙していた」

「は、はい、率直にお願いして、標的捕獲の決行に当たり皆さんのお力をお借りする為です」

「おいっ!?」


 イルゼキューズが再び叫ぶ。

 無視して、次に九縄が尋ねた。九縄にとっては、鉄志は既知の相手であるようだ。蛍士郎やショウドウと友人という事は、母である偲とも同世代だから不思議はない。


「海を渡ってきている魔物なぞ、度々おるだろう。何故今回だけ、こうも特別視するのだ」

「簡単です、寮に要請が来てしまったからですよ。なるべくなら隠しておきたかった先方としても、相当困った事態だったのでしょう。普段は黙認なんです。黙認するよりないのです、我々も知らないのですから。常に空港や港に張り付いて出入りを見張っているほど、人員も予算も……」

「知らなければ動きようがない。だが知ってしまったからには組織として動かなければならない、か。ご苦労な話だな」

「通達が来たのは約……ええ、半年前です」

「半年?」


 一同の視線がイルゼキューズに突き刺さる。

 また勝手な真似をと怒鳴ろうとしていたイルゼキューズが、ぐ、と言葉に詰まった。


「そんな話は、さっき一切無かったぞ」

「……つい最近起こった事のような説明でしたけれど……」

「……テツシ・ユキオウ、その件は口外しないようにと言った筈だが」

「はあ……すみません。しかしこの場の担当は私ですので。彼らに協力を仰ぐ以上は、隠すべきではない情報だと判断しました」

「その、協力を仰ぐというのはどういう事だと言っている。君達でさえ最低限の干渉に留めたいのが本心だというのに、全くの他者を介在させるなど聞いていないぞ!」

「聞かずに勝手な行動をするのは、こうなってはお互い様に思いますよ……い、いえ、すみません……!」


 反論も、どうも締まらない。言っている事は間違っていないのに、顧客に叱られている。

 溜息をつくショウドウを見て、何となく想子には、彼らと鉄志が友人でいる理由が判った。

 縁あった同年代の同業者という他に、放っておけないのだろう。


「私は半年間、標的を追っていました。行動範囲を絞りに絞り、いよいよ追い込みをかける段階に至ったので、こうして念には念を入れ、最後の仕上げに力をお借りするべくお邪魔したのです」

「最初から太刀塚も参加させると、そやつらに言っておけば良かろうに」

「それは彼らに拒否されます。見ての通りに……」

「だから騙し討ちなのですか?」

「東一帯で活動するには、太刀塚に話を通さなければ報復を受けるという事にしておけば、一度は顔を出さざるを得なくなりますからね。その際に私が同行し、種を明かして協力を仰ぎ、彼らを説き伏せるつもりでした。まあ実際には、同行どころか先行されてしまった訳ですが……」


 鉄志は情けなくも恨めしそうだった。

 信用買いした銘柄が暴落しましたというような顔をしている。


「それならそれとして、せめて予め我々へ伝えるくらいはしておけばいいだろう」

「調査は極秘扱いだったのですよ。先方も国の機関ですので完全無視してしまうと色々問題があり、こうして決行直前まで途中経過を外に漏らす訳にはいかなかったのです。万一話が漏れては面倒に……あ、いえ、太刀塚を信用していないのではありませんよ! あくまでも漏洩の可能性と、その可能性が持続する期間の長さの問題でして、はい!」

「わかっておるよ。しかしいよいよ尻に火がつくまでだんまりか。あそこの隠蔽体質は相変わらずよな」

「面目ありません。寮としての決定ですので、私の一存ではどうにも……」

「だからよーてっちゃん、辞めちまえってあんな所。お前は絶対こっちの方が向いてるし儲かるぞ。家のローンだってまだまだあるんだろ? だいたい何だよこの古臭ェ護符」


 いつの間にか蛍士郎が、勝手に鉄志の鞄を開けて中身を物色していた。

 鉄志がそれに怒りもしないというのが末期であり、この2人の関係を象徴している。


「備品ですよ。繰り返し使っているんです」

「フツー使い捨てにするもんだぜ、こういうのって」

「で、ですから予算その他との兼ね合いがですね……消耗品の補充は申請が通り難いのです」

「だーからやめちまえば使い放題なんだって。お前の腕ならバンバン稼げるからよ。ほら、な、これ見てみろ」

「!! こっ、これは……! こんな純度の高い高価な水晶を惜しみなく!?」

「こういうのいっぱい買えるぞ? 金かければそんだけ安全性も上がるし仕事も早く済むし、家族受けだって良くなるだろ? な、欲しいだろ? 湯水の如く消耗品使いまくってみたいだろ? ポンコツの道具は新しく買い直したいだろ? 独自の術とか時間に縛られず探求しまくってみたいだろ? もう薬入れた容器を手袋つけて流しで洗ったり、同じゴミ袋を穴開くまで使い回したりしなくていいんだぞ? ほーれほーれ、素直になっちまえよ」

「う、ううううう……やめてくださいい……蛍くんと私は違う世界に生きてるんです……。私には、私には誇りある陰陽寮の一員として国土の為、人々の為に身を粉にし働くという大義があぁ……」


 蛍士郎がポケットから取り出した高そうな石で、眉間をグリグリとやられながら鉄志が呻いている。なんというか、かわいそうにという感想しか浮かんでこない。いろいろな意味で。

 さすがに暫くして、ショウドウが止めに入った。

 短時間でだいぶ打ちのめされた様子の鉄志が、想子に気が付いて慌てて姿勢を正す。


「あ、ああ申し訳ありません取り乱して、太刀塚御当主の前で」

「いえ……」


 詫びてくる鉄志に、想子はそう答えた。

 他に答えようがない。

 年々規模縮小の憂き目に遭い続け、冷遇ぶりが酷いとは小耳に挟んでいたが、ここまで予算を削られているとは思いもしなかった。いいのかそれで、と思う。仮にも国家組織。背負う歴史ならば太刀塚よりも古いであろうに。

 鉄志が、またずれていた眼鏡を押し上げた。ふう、と全体を見回し息を吐く。


「もうひとつ、何としてもお伝えしておかないとならない事があります。これこそが、私が強力な第三者を挟みたいと判断した理由です。逃げた魔物というのは、いわゆるこの国における妖怪や精霊のような、自然発生的な魔物ではありません」


 皆が一斉にイルゼキューズを見る。

 そうですね、と鉄志が念を押した。


「そうだ」


 心底苦々しい顔で、観念したようにイルゼキューズが言った。


「あれは我々が管理していた。――我々が管理をしていた、我々の機関によって創り出された魔物だ」



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