大貴族の悪徳令息は、最強SSSウルトラレア魔法『奈落』で、世界のあらゆる闇を制覇する。
眞田幸有
第1話
穏やかな午後の陽光が、窓から差し込んでいる。
僕、魔王は、天蓋付きのベッドの上でその光をぼんやりと眺めていた。
魔王に転生する前は現代日本とかいう世界でサラリーマンをやっていたこともある。
まあ、そんな遠い昔の記憶はどうでもいいんだけどな。
魔王といっても、暴君だった覚えはない。むしろ、名君だったと自負している。
僕が治める魔王領は、そりゃあ立派なもんだった。
農村では、たわわに実った黄金色の麦畑はどこまでも広がっていた。
活気あふれる城下町の石畳では、子供たちの笑い声が絶えなかった。
魔族も人間も分け隔てなく豊かにくらしている。
遠視能力があった僕の目が隅々まで行き届いているから、犯罪なんて起きようがない。
そもそも、皆が豊かだから、わざわざ罪を犯す理由すらなかった。
誰もが満ち足りていた。盗みや殺しなんて馬鹿げたことを考える必要すらなかった。
そんな平和な統治が、何千年続いただろうか。
悠久の時は、魔王である僕の肉体すら蝕んでいた。
病ではない。……老いたのだ。
若い頃は神話のドラゴンすら素手で捻り潰したこの身体も、今ではほとんど寝たきりだ。
自力でベッドから起き上がれるのは、トイレに行くときくらいのもの。
足をぷるぷる震わせながら、壁を伝って、やっとのことで歩けるだけ。
政務は、僕が最も信頼する家臣たちにすべて任せてある。
僕の腹心である魔人を後継者にも指名していた。
だから、僕が死んでも、この魔王国が揺らぐことはないだろう。
そう思っていたときだった。
「な、なにものだ、貴様らッ!」
「きゃあっ!」
静寂を切り裂くように、離宮に仕える執事とメイドの悲鳴が響き渡った。
何事だ? ここは、犯罪のない平和な町。僕が静かに余生を過ごすための離宮。屈強な衛兵など、一人も配置していない。
「うるせえな、ジジイ! 魔王の配下は全員死ねや!」
「ぎゃああああっ!」
「ひっ……いやぁっ!」
若い男の野蛮な声に続き、聞き慣れた執事やメイドたちの絶叫が廊下にこだました。
「くっ……!」
僕は、なけなしの力を振り絞って、ベッドから身を起こした。
グキッ!
「うっ……!?」
激痛が背骨を駆け抜ける。思わず声が出る。最悪だ、腰にきた。
ぴくぴくと
引きずるような足取りで、重い寝室の扉を開けた。
そこに広がっていたのは、地獄だった。
床も、壁も、すべてが真っ赤な血で染められている。
いつも僕の世話を焼き、他愛ない話に付き合ってくれた執事のゼバス、メイドのアンナ、他の使用人たちも、みなが物言わぬ肉塊となって、冷たい床に転がっていた。
「ははっ! なんだこいつら、弱すぎだろ!」
「虫ケラみてえに死んでいきやがるぜ」
「これじゃ、ぜーんぜん経験値が入らねえよな!」
廊下の奥から聞こえてくる下卑た笑い声。
見れば、ピカピカの鎧に身を包んだ少年が三人、死体を足蹴にしている。
こいつらが侵入者か。
ここは平和な離宮だ。
戦闘員はいない。武装した連中にかかれば、ただの使用人たちなど赤子同然だったろう。
「お、出たな魔王!」
「なんだよ、ラスボスのくせに生気がねーな」
「つーか、パジャマかよ! ダッセー! ぎゃははははっ!」
僕の寝間着姿を見て、少年たちは腹を抱えて笑い出した。
まだ十七、八歳といったところか。
若さゆえの傲慢さと、根拠のない自信が表情に張り付いている。
……許さん。
「――滅びよ」
僕は、震える腕を突き出し、残された魔力のすべてを込めて魔法を放つ。
我が力の象徴、すべてを呑み込み、終焉へと導く究極の魔法『
ゴウッ、と漆黒の闇が僕の手のひらから渦を巻いて放たれた。
が、その勢いはすぐに衰えていく。
まるで線香花火のように、わずかに、ちりちりと黒い渦が出現し、
我ながら、あまりにしょぼすぎる……。
少年たちは一瞬だけ驚いた顔をした。
が、すぐにまた下品な笑みを浮かべた。
「うおっ、びびったー! なんだよ、今の!」
「魔王、大したことねえじゃん!」
「ははっ、きっと俺たちが強くなりすぎたんだな。俺たち自身も気づかない間によ!」
「黙れ、勘違いの小僧ども」
いくら衰えたとはいえ、相手の実力くらい、対峙しただけで、ある程度はわかる。
お前たちなど、魔王軍の幹部や中ボスどころか、そこらのモブの上級魔物にも劣る雑魚にすぎん。
老衰していなければ……いや、ここまで衰える三ヶ月ほど前だったなら、指先一本で塵に変えてやれたものを!
込み上げる怒りと悔しさに、かろうじて威厳を保って言い放った。
「下がれ、下郎。余はもはや老衰の身。このままにしておいても、あと数ヶ月で死ぬ」
「はあ? うるせえよ、ジジイ! 俺のような神に選ばれた天才勇者様に倒されるのがテメエの役目だろが! 死ねやー!」
リーダー格と思しき少年が、叫びながら聖剣らしき剣を振りかぶった。
老いた僕の目にも、その軌道ははっきりと見える。――だが、身体が、まったく反応しない。
「くたばれ、老いぼれがァッ!」
ザシュッ――。
胸に、灼けるような熱い衝撃。
聖剣の切っ先が、僕の胸骨を砕き、心臓を容易く貫いた。
「はっ……! なんだよ、手応えねーな!」
リーダー格の少年が、剣を引き抜きながら唾を吐く。
僕の身体は糸が切れた人形のように、ゆっくりと後ろへ倒れていく。
床に叩きつけられた衝撃で、全身の骨が悲鳴をあげた。
「おい、まだ息してんぞ、こいつ!」
「うっそ、しぶといな! さすが魔王ってか? ぎゃはは!」
仲間の一人が、僕の足に全体重をかけて乗ってきた。
ゴキッ、と鈍い音が響き、膝が有り得ない方向に曲がる。
「ぐ……ぅ……!」
「お、声出たじゃん! どうした魔王様よぉ! もっと抵抗してみろよ!」
「俺にもやらせろ!」
もう一人が、僕の腹をブーツのつま先で何度も蹴りつけた。
ガッ! ゴッ! と内臓が揺さぶられる鈍い衝撃が続く。
「おい、つまんねーぞ! もっとこう、派手にやろうぜ!」
「じゃあ、これならどうだ!」
魔法使いらしき少年が杖をかざすと、その先端に炎が灯る。
「悲鳴もあげねえのか、このジジイ!」
放たれた火球が僕の顔のすぐ横の床を焼き、肉が焦げる嫌な匂いが鼻をついた。
痛み。屈辱。そして、何もできない無力感。
「ま、こんなもんか。おら、とどめだ、クソ魔王!」
リーダーの少年が、僕の頭上に剣を振りかぶった。
魔王を嘲笑うかのように、剣は再び僕の胸に、無造作に突き立てられた。
さすがは魔王の身体というべきか。これだけやられても、すぐには死なないらしい。
もう指一本動かせないが、意識だけは妙にはっきりしていた。
「ひゃはははっ! やったぜ! 魔王を倒したぞ!」
「俺たち、最強!」
「さてと……おい見ろよ! この絵とか壺とか、クソ高そうだぜ! 記念に根こそぎもらっていってやろうぜ、ぎゃはははっ!」
僕の目の前で、下劣な笑い声を上げながら、クソガキどもが離宮の美術品を物色しはじめた。
ゼバスが毎日磨いていた銀の燭台。
アンナが活けた花瓶。
離宮を飾るさまざまな貴重な品が、無造作に奪われていく。
血の海に沈む視界の端で、メイドのリリアの亡骸が見えた。
やがて僕の意識は、底なしの暗闇へと沈んでいった……。
.第1話 誕生
――どれくらいの時が過ぎたのだろう。
底なしの暗闇に沈んでいた僕の意識が、不意に浮上した。
「オンギャー! オンギャー! オンギャーーッ!」
……ん?
なんだ、このけたたましい泣き声は。
やけに耳元で響くな。やかましい。
誰だ、こんなところで赤ん坊を泣かせている不届き者は?
「あらあら、元気な男の子ですこと。ママスティーナさま、ご覧ください」
優しい女性の声がした。
ふわり、と身体が持ち上げられる感覚。視界が揺れる。
待て、僕の身体が持ち上げられて……?
「オンギャー! オンギャッ!」
まさか。
この泣き声……もしかして、僕?
どうやら僕は、赤ん坊に転生したらしい。
不本意ながらも泣きじゃくる僕を、侍女らしき女性が優しく抱きかかえている。
僕の意思とは無関係に、口からは泣き声が、目からは涙がとめどなく
泣くのは赤ん坊の生理現象。僕自身にさえ、どうにもならない。
「まあ、なんて愛らしいのでしょう。わたしにもよく見えるようにしてちょうだい、ジージョ」
その声に、僕はハッとした。
絹のように滑らかで、澄んだ声。
侍女のジージョが僕をそっと差し出す先には、天蓋付きの豪奢なベッドに横たわる一人の女性がいた。
息を呑むほどの美女だった。
陽光を浴びて
少し気怠げに細められた、
薔薇色の唇が、柔らかい笑みを形作っている。
年は二十歳後半くらいか?
「ああ……私の、赤ちゃん……」
僕の母親らしい美女は、ゆっくりと震える手を伸ばすと、僕の頬をそっと撫でた。
その指先の温かさに、僕の身体から力が抜けていく。泣き声も、いつの間にかやんでいた。
「なんて可愛いのかしら。世界中のどんな宝石よりも、すばらしい私の天使」
うっとりとした声で
「ふふ、見てちょうだいジージョ。ほんとうに、小さな手。私の指を、きゅって握り返してくれたわ」
「まあ! きっと、ママスティーナさまのことがお分かりになるのですね。賢いお子さまですわ!」
違う。
それは赤ん坊の
断じて僕の意思ではない。
だが、母親の嬉しそうな顔を見ていると、そんなツッコミは野暮というものかもしれない。
魔王だった頃、こんな風に誰かの体温を感じたことがあっただろうか。
優秀な家臣は数多くいたが、組織のトップというのは、基本、孤独である。
数千年という長すぎる時間の中で、僕は孤独に慣れきってしまっていたのかもしれない。
こういう温かさも悪くない……いや、むしろ、心地良いとさえ思ってしまった。
僕が母親の温もりと美貌にうっとりしかける。
――その時だった。
ガチャッ!
まるで扉を蹴破るような乱暴な音を立てて、一人の男が部屋に飛び込んできた。
「生まれたか!?」
地響きのような、野太い声。
そこに立っていたのは、とんでもない大男だった。
身の丈は二メートルを優に超えているだろう。
身に着けた豪奢な服が、鍛え上げられた筋肉のせいで張り裂けそうだ。
肩まで伸びた無造作な黒髪に、威圧感のある黒髭。
そして何より、その顔がヤバかった。
猛禽のように鋭い眼光。顔のあちこちに走る、幾多の戦場を潜り抜けてきたことを証明する生々しい傷跡。
魔王だった僕ですら、気圧されそうになるほどの超悪人顔。
こいつはダメだ。間違いなくヤバイ奴だ。
そこらの魔王軍幹部など目じゃない。眉ひとつ動かさずに人の首を刎ねるタイプ。
いや、もうすでにかなりの数を
超悪人顔の男は、カツ、カツ……、と足音を響かせた。抱かれている僕の方へと近づいてくる。
マズイぞ!
こいつは一体何者だ! こんなヤバイ奴が、なぜ生まれたばかりの赤ん坊がいる部屋に!?
まさか、僕が魔王の生まれ変わりだと気づいたのか?
いや、それはない。だとしたら、生まれ変わりの僕のことを知った暗殺者か何かっ!?
男はベッドの脇で足を止めると、侍女の腕の中にいる僕を、殺意がこもってそうな
視線が、突き刺さる。
全身から発せられる殺気にも似たプレッシャー。赤ん坊の身体が本能的に震えだした。
大男から発せられるオーラからすると、転生前、魔王だった僕が全盛期でやっとなんとか勝てるレベル。
今の僕は、ただの無力な赤ん坊。抵抗するすべを持たない。
どうして、全盛期の魔王にも匹敵しかねない化け物がこんなところにいる?
……ああ、終わった。
転生してわずか数分。……また死ぬのか。
僕が死を覚悟した、その瞬間だった。
「…………ぶふぉっ」
……え?
なんか変な声が聞こえた。
見ると、超悪人顔の大男の顔面が、ありえないほどに崩れていた。
さっきまでの殺気はどこへやら、厳つかったはずの目は限界まで細められ、口はだらしなく半開きになっている。
「おお、おおおお! 我が、我が息子よぉぉぉぉっ!!」
ゴウッ! と、嵐のような雄叫びが部屋中に響き渡った。
えー? この厳つすぎる超悪人顔が僕の父親???
ママスティーナの夫?
ママスティーナは、すごい美人なんだから、結婚する相手くらい選べただろうに。
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