6-8


「お前、なかなか肝が据わってるじゃねえか。まあいい。じゃあこれで責任を」



 ベッドのそばまでやってきた私を閻魔様が睨み下ろし、舌を抜くためのペンチをを取ろうとしたんだろう――背後へ手をやった、次の瞬間。



「ウルァ!!」



 私はベッドに飛び乗り、スプリングの勢いに乗って閻魔様に頭突きを食らわせた。



「なっ……てめ」

「オラッシャァイ!!」



 蹌踉めいたところを、さらに急所を狙って股下から思い切り蹴り上げる。ついに閻魔様はベッドに倒れた。


 や、やった!

 破れかぶれの当たって砕けろ攻撃だったけど、想像以上に完璧に決まった! きっとか弱い乙女だと油断してくれたおかげだね!


 いくらか弱い乙女だろうと、嘘なんかついてないの舌抜かれてたまるかってのよ。正直に申告したのに、難癖つけて責任だ何だ抜かして無理矢理私の舌を奪おうとした閻魔様が悪い。誰があんたなんかの言いなりになるもんか。

 さ、私もとっとと逃ーげよっと!


 閻魔様の屍を飛び越え、急いで部屋を出ようとしたら。



「ぶっふぉーーー!!」



 廊下から、おかしな炸裂音が聞こえた。



「やべえ、まじウケる! 女子高生に頭突きからの金的食らってやんの! こんななっさけねぇ真央、初めて見た……っ、クッソ面白すぎんだろ……っ、うひぇっへっへっへっ! ぎゃーっはっはっは!」



 ドアから顔を出してみると、廊下の床に転がって笑いながら悶絶する志貴さんがいた。



「え、何? 志貴さん、魔王って言った? じゃあこれ、閻魔さんじゃなくて魔王なの!? もっとヤバいじゃん! 笑ってないで、お塩とお神酒と聖水と十字架と除霊師とエクソシスト用意して! とっとと魔界に叩き返さなきゃ!」


「っぶはーーーー!!」



 続いて、室内からも似たような破裂音が轟く。



「やめろ那由多……っ、我慢してたのに! 死ぬ気で我慢してたのに! 閻魔とか魔王とか……っ、おま、お前、まじやば……我慢……っ、できねぇ、無理だこれ、あっははははははは!」



 部屋の中を振り向くと、有瀬くんがお腹を抱えて大笑いしていた。


 え、有瀬くんって笑うんだ……って驚いてる場合じゃないよ!



「何やってんの、有瀬くん! どうして逃げてないの!? これ、魔王なんだって! 閻魔さんじゃなくても危ないよ! むしろ閻魔さんより危険度高いよ! 舌どころか魂から尻子玉まで抜かれちゃうよ!?」



 慌ててベッドを飛び越え、笑い転げてる有瀬くんに駆け寄ろうとしたら。



「…………だぁれぇが、魔王だって……?」



 がっしりと肩を捕まれ、私は凍り付いた。背中に、絶対零度を超えるほどの冷気を感じる。


 ヤバい、もう回復した!


 死ぬ殺されるシバかれる尻子玉抜かれる!!


「ぐふっ……コ、コラ、真央。息子の彼女をビビらすなって」



 命と魂と尻子玉の消失を覚悟したその時、志貴さんが私の元にやってきて、魔王の手をぺちんと叩いて解いてくれた。



「ぎひっ……気になるからって二人の様子を盗み聞きしようとした……っ、ごへっ……あんたが悪いんでしょーが……っぶふぇーー! オイ留佳、そろそろ笑い止めやあ! 釣られて笑っちゃって説明できないじゃん! な、那由多ちゃん、も、もうちょ、ちょっとだけ待ってね……っファー! アヒャヒャヒャヒャ!」



 背後から圧死させられそうなほど威圧感を放つ恐怖の存在に耐えながら、私は志貴さんの言う通りにして――というより怖すぎて動けなかった――、二人の笑いが収まるのを待った。


 永遠にも思える時間が過ぎた後、志貴さんと有瀬くんは仲良く深呼吸をしてから、やっと私の方へ顔を向けた。



「いやぁ、笑った笑った。那由多ちゃん、怖がらせてごめんね。これ、魔王じゃないの。私の夫で旦那でハズバンドで人生の伴侶だよ!」


「は?」



 そう言って志貴さんは私の背後に手を伸ばし、魔王を無造作に掴んだ。


 志貴さんによって目の前に引きずり出された魔王は、思ったより大きくなかった。とはいえ160センチちょいの私より目線は高いから、170センチは超えていると思う。


 でもさっきは、五メートルくらいあるように見えてたんだよね……。あれって、練り上げられた闘気のせいだったんだ。まさか志貴さんより背が低いなんて……頭ぐりぐり撫でられてるし、有瀬くんにも見下ろされてるし。

 高身長の二人に挟まれてると、魔王も何というか、微妙に微細にほんのりちょこっとだけは可愛く見えなくもないというか…………ん? 志貴さん、夫って言った?


 志貴さんの夫、ということは……? ということは、ということは、ということは!?



「父、こいつは柊那由多だ。那由多、こいつは俺の父で有瀬真央だ」


「へ?」



 混乱する私を置き去りに、有瀬くんが紹介する。


 とにかくハンカチで涙を拭いて、髪をささっと手櫛で直し、私は魔王……ではなく、有瀬くんのパパに改めて向き直った。



「は、初めまして、柊那由多です。あの、ごめんなさい。本気で命と魂と舌と尻子玉抜かれると思ってたので、手加減できなかったです。痛かったですか? 痛いの痛いの飛んでけ、しときます? あっ、下の方はちょっと、ごめんなさい。私には荷が重いので、志貴さんか有瀬くんにでもお願いしてもらえますか?」


「…………いらねえよ! お願いもしねえよ! バカか、てめえは!」



 一応気遣ってみたけど、悪鬼みたいな形相で怒鳴られた。デスヨネー……。




 有瀬くんが瞬間移動したのは、部屋の外で私達の会話を盗み聞きしていた魔王……じゃなくて真央さんがカチコミ……じゃなくて突撃して、蹴り飛ばしたからなんだって。


 そして真央さんはあの時、舌を抜くためのペンチじゃなくて、床を掃除するためのほうきとちりとりを手渡そうとしてたんだって。ほら、床を汚したのは私だって自己申告したからさ……。


 ちなみに志貴さんは、帰宅した真央さんが有瀬くんの部屋の前で聞き耳を立ててるところからずっと楽しく観覧してたんだって。見てたんなら、助けてくれてもいいのにね!


 もちろん、有瀬くんの部屋の掃除は私がしたよ。真央さんに小姑みたいに責め立てられて、悔し涙を流しながらも頑張って隅々までキレイにしたよ。


 有瀬くんは志貴さんと一緒に、ベッドの上からトメヨメな私達を眺めてのんびり寛いでいた。少しは手伝ってよ、ちくしょうめ。



「しっかし、恒例の親子バトルにならなくて良かったよ。毎回えげつない戦いするもんなー、君ら。この部屋が未だに部屋の形を保ってるのが不思議なくらいだもの。あんなの那由多ちゃんに見られたら、引かれてフラれてたかもしれないねぇ」


「クソみてぇな勘違いで蹴り食らった時は、クソ父ごと壁に大穴ブチ空けてやろうかと思ったくらい腹立ったけどな。俺が蹴りを返す前に、那由多が乱入して百倍返しにした。この部屋が無事なのは那由多のおかげだ。感謝しとけよ、母」


「するする、那由多ちゃんには大感謝だよ! 那由多ちゃん、ほんとできる子だね。守ってあげたい系かと思ってたら、まさかの守ってくれる系だったとは。あんな子がついてるなら心強いな。親子バトルを有耶無耶にして我が家を守ってくれたし?」


「……『魔王』の無様な姿も見られたしな」



 そこで二人は、ブファー! と盛大に噴いて大爆笑した。


 うう……もうやめてよぅ。あなた達のせいで、真央さんの視線がまた鋭くなったじゃないの……。



「おい」

「ヒィハイッ!」



 仕上げの拭き掃除をしていたら、真央さんに声をかけられて私は飛び上がった。



「一応言っておくがな、俺は意味もなく留佳に暴力なんざ振るわねぇぞ? 今日は特別だ。あいつがお前を無理矢理襲おうとしているように見えたから、止めに入ったんだ。息子を犯罪者にしたくない、お前の心身に傷を負わせたくない。親として、人として、当たり前のことをしただけだ。わかったな?」



 有瀬くん曰く、クソみてぇな勘違いでしたけどね……なんて言えるはずがない。私はガクガク顎を動かして頷いた。



「それにバトルっつっても、別に殴り合うわけじゃねぇ。喧嘩になったらドッジボールやら輪投げやら万歩計ダッシュやら、そういったゲームで決着をつける。実に平和的だ」



 え、そうなの?

 じゃあこの部屋の惨状は……?


 と思ったら、真央さんはシェルフに置いてあった黒光りする球を手に取った。そしておもむろに、ゲラゲラ笑い合っている二人に向かって投げ付ける。

 二人は笑いながらも、さっと自然な動きで球を避けた。標的を失った球はドア横の壁に当たり、ゴン、と鈍い音を立てて落下した。


 こ、この球……鉄製……砲丸投げのやつ……。



「こういう感じで」



 志貴さんが投げ返した球を受け取り、真央さんが私を見る。



「こういう感じなんですね……」



 もう私には、心を無にして相槌を打つしかできなかった。そりゃー部屋がボコボコになるわけだわ。納得納得ー。

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