どなたかお読みください

 市立セイスイ中学校にはイジメがあります。……違う、そうじゃない。このセイスイ中学だけじゃ、ない。言いたいことは、そうじゃないんだ。


 この社会全体にイジメが存在してる。それだ、言いたいことはそれなんだ。


 だってそうだろう?

 例えば学のない家庭。勉学の重要性を教育出来ない。故に子供も学を得ず、学の価値を理解しない。必然、次に生まれた孫も同様に学の価値を知らずに死ぬのだ。

 例えば貧民。洗濯機を買う金がなくコインランドリーを使う。インスタント麺などを茹でる鍋や食べる為の器がない為、割高なカップ麺を啜る。手持ちの金がないからリボ払いを利用する。


 要は、イジメられているのは弱者だ。食い物にされ、蔑ろにされ、嘲りを受け、慰み者にされ……死ぬまで、弱者のまま。或いは、死んでも、弱者のままだ。


 ふわりと、風が吹いた。冷たい風が、頬を撫でる。その風が、フワフワと茹る様であった僕の思考を、到達点のない熱意を冷え込ませた。


 そこで漸く僕は、5限の社会科と言う退屈な授業に向き合い始めたのだ。


「当時の富国強兵を掲げる日本においてー、この養蚕業と言うのは重要な役割を担っていました。……資料集の写真の様にぃ──」


 退屈な調べにのせて視線を右へ左へ。総勢32名の生徒を抱えるこの教室において、殆どの人が僕と同じで話を聞いていない様だった。明らかに別のページを見ている者もいれば、引き出しの下で隠れてスマホを触る者もいる。そもそも机に突っ伏して眠りこけている者もいるくらいであるから、それに比べればまだ真面目というものだろう。


 そよ風が教室に吹き込む。


 僕は静かにあくびを噛み殺した。教室前方、斜め上へと目を向ける。時計の針が示すのは、まだ授業が半分に差し掛かったところだということ。

 思わず出る、ため息。僕は退屈の消費を目的に、再び人間観測へと赴くことにした。


「——皆さんご存じのとおりぃ、この付近は養蚕で有名だったんです。ほら、あの公園も『さんし広場』なんて言われてるでしょ?」


 風の吹き抜ける、窓辺へと目を向ける。まとめられた白いカーテンが束のまま、そよりと揺れている。そのすぐそばで、黒い髪がふわりと揺れた。艶やかで、滑らかに、風にそよぐ。日差しを受けて微かにきらめく黒髪が、朝焼けに輝く海岸の波模様を思わせる。


 それは、一人の少女の座り姿としては余りに華麗だったと思う。ペンを掴む指先は白く細く、それでいてしなやか。

 横顔は無表情でありながら芸術的な美しさを伴い、しかしそれでいて無機質さとはかけ離れている。陶器品の様な美しさではなく、むしろより生物的な艶やかさだ。


 雑多な生徒の中にあって、彼女は唯一無二の絶対性がある様に思えた。枯れ野原に一輪咲く花の様な、星明かり無き夜の月にも似た、深海の闇にてぼうっと薄く光る誘導光が如く、彼女はその教室において追随を許さない圧倒的な──それでいてあまりに雅な存在感を馴染ませていた。


 そのせい、だろうか。僕は彼女から目を離せずにいた。彼女の揺れる髪から、スラリと伸びた座り姿勢から、膝掛けの隙間から微かに見える肌色の足から、僕は目を逸らせなかった。

 

 その折、そよりと風が吹いた。


 膝掛けとスカートが微かになびく。それと同時に、彼女の艶やかな黒髪も風に揺れた。黒髪の隙間から見え隠れするうなじが、僕の目を奪って離さなかった。


 だから、気づいてしまった。


「────………………ぇ…………」


 彼女の首筋から、そのまま服の隙間に潜り込んでいく様に広がる青いに。打ち身の怪我にしてはおかしな場所に、キスマークにしては大きなあざ。


 僕はそれを見て、少し感じたんだ。


 ──マジで……?──セイスイ中学に……こ、のクラスに……あの、神田るまに……イジメが…………?


 それが、この事件の発端。怪奇の入り口……迷宮から伸ばされた、美しい光沢を放つ絹で出来たアリアドネの糸。

 

 風がそよぎ、彼女の髪がフワリと揺れる。は、確かにそこから顔を覗かせていた。

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