ただいま

the memory2045

14年前の留守番電話

受話器を置いたとき、地球はまだ青かった。


火星移住計画の第一陣として、

僕の乗った「ライカ」が地球を離れたのは、今から四年前。しかし、光速に近い速度で移動する宇宙船内と、地球との間には、いかんともしがたい時間の開きが生じていた。これが、のちにに僕らが「宇宙的時差」と呼ぶもの。


四年の旅路を終え、火星の赤い大地に降り立った僕が最初にしたことは、母に電話をかけることだった。正確には、事前に録音しておいた僕のメッセージを、地球側の通信センターから母の留守番電話に発信してもらう手続き。


「そう。住所はね、火星になったんだよ」


このメッセージが母の耳に届くのは、十億キロの距離と、僕の船の特殊な相対論的移動によって生じた時間差、およそ七年後だと計算されていたんだ。


火星のドーム都市「火鍋ユナイテッドシティ」での生活は、孤独でありながら、驚くほど平穏だった。初期メンバー百名の誰もが、地球に置いてきた大切な人との「時間のずれ」を抱えていた。僕の七年はまだ短い方で、中にはすでに十年以上が経過している者もいた。


僕の主な仕事は、ドーム外の地質調査。

毎日、日の出を待って外へ出る。火星には、かすかに二つ太陽があるように見える。遠くにある地球の太陽と、もっと遠い過去から届く、まだ青かった地球の記憶。


ある夜、友人Fと火鍋シティのバーで飲んでいた。彼は、地球で恋人だった女性と、十五年のタイムラグがあった。


「なぁ、もし七年後の未来の母さんの声が今届いたら、なんて言うと思う?」


僕は尋ねた。

Fはグラスを傾け、紺青の液体を飲み込んだ。


「俺の彼女は、たぶん『おめでとう』って言うと思う。でも、七年経てば、別の誰かと結婚してるかもしれないな。俺がここにいる間に、彼女は俺のいない人生を七年分生きたんだから」


その言葉に、どうしようもなく胸が締め付けられた。僕が火星で過ごす一日一日が、地球では二日、三日と加速していく。妹は今何歳だろう?二十歳か。七年後、彼女は一体どんな大人になっているだろう······?


それから三年。火星生活は十年目に突入した。

ある日、管制室から僕を呼ぶ連絡が入った。


「アオキ。地球から、君宛のメッセージが届いたぞ」


僕は呼吸が止まるのを感じた。僕が送った「新しい住所、火星になったよ」というメッセージが母に届いて、七年後の地球からのレスポンス。

つまり、僕が地球を出てから十四年後の地球からの声。

メッセージは、母の声ではなく、妹の声だった。


> 「お兄ちゃん、火星おめでとう。ちゃあんと届いたよ、七年前の留守電。あのね、お母さん、四年前に亡くなっちゃった。七年前の電話が鳴った時、すごく喜んでたんだけど、病気がね…」


僕はその場で膝をついた。妹の声は、遠い宇宙から届いたにもかかわらず、まるで隣にいるかのように鮮明に、僕の耳に突き刺さった。


僕が火星へ向かう船に乗ることを決めた日、母は笑顔で


「行ってらっしゃい。元気でね。栄養のあるもの食べるのよ」


と言った。その七年後、毎日カロリーメイトを齧っていた僕のメッセージが届いたとき、母はきっと「おかえり」という気持ちで受け取ってくれただろう。しかし、その「おかえり」を僕に伝える声は、もう地球には存在しなかった。

妹のメッセージは続く。


> 「…でもね、お兄ちゃん。お母さんの部屋のテーブルに、ずっと一枚の紙が貼ってあったの。『住所はね、火星になったよ』って書かれた紙。それ見て私たち、みんな笑ってたんだよ。お兄ちゃん、元気でね。こっちのことは気にしないで」


バーで再びFと向き合った。彼は僕の肩を叩く。


「なぁ、俺さ、結婚したんだ。相手?七年前に俺の恋人だった女性だよ。彼女、俺の留守電を聞いて、ずっと待ってたんだって。十五年後に届いたよ、『愛してる』ってメッセージが···ようやく······ぅぅ」


Fは鼻を啜り涙を流して泣いていた。

過去と未来が、十億キロの時空を超えて絡み合い、結実した。


僕は地球を見上げた。青く、静かに輝くその星は、僕の七年が加速させた十四年の歴史とともにある。


僕はポケットから、妹のメッセージに同封されていた紙片を取り出した。それは、母が残した、鉛筆書きのメモだった。


「おかえりなさい。いつも、ここにいます」


僕のメッセージを受け取った母の、十四年前に僕を送り出した母の、そして今、火星の赤い土を見つめる僕の、時間の全てを肯定するような、短い言葉。

僕の火星での次の十年は、地球でのたった一年になるかもしれない。

それでも、僕は生きる。七年遅れの「おかえり」を胸に、この十億キロの距離と時間を、再び超えていくために。


僕は赤い土に立ち、遠い青い星へ、今度は僕から「愛してる」と伝えるための、新しい留守番電話の録音を始めたんだ。




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ただいま the memory2045 @acidfreakkk-yomisen

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