後編

03



 そうして、何日かが過ぎた。


 エルブレヒトは、少しずつ回復していった。

 当初は起き上がる事すら出来なかったのが、ゆっくりとだが歩けるほどまでになった。

 水や食べ物を口にできるようにもなり、欲しいものを聞いたら、『リンゴが食べたいです』と即答していた。


 マルフレートは、ルルーシュに懐いていった。

 当初のぎこちなさはなくなり、ルルーシュが行くと笑顔を見せるようになっていた。

 兄が回復してきて気が緩んだのか、熱を出して寝込んだ日もあったが、1日寝ただけで、すっかり元気になった。


 エルブレヒトは、頭が良くて礼儀正しかった。ルルーシュへの態度は控えめだが、弟には軽口を叩いていた。

 マルフレートは反対に、体力と持久力が秀でていた。体を動かす事に関しては、筋がいい。そして兄ほど器用ではないが、優しい子だった。


 見た目は双子なのに、中身が全然違う2人のやりとりは、見ていて楽しかった。


 だがルルーシュも暇ではないので、四六時中一緒にいるわけにはいかない。

 その間は結界がないし、彼らの追手と思しき目撃談が、近くの集落で囁かれ始めていた。

 今の隠れ家も、そろそろ潮時だろう。


 そのような事を考えながら、ルルーシュは今日も独りで森を歩いていた。


「ほんとマルのやつガサツなんだから…あの特性ポーション、地味に調合するの大変なんだよ」


 うっかりこぼした特性ポーションで服が真っ赤に濡れた上、ものすごい臭いを発するようになり、涙目になったマルフレートと対面したのが、半刻ほど前。


 近くの街で新しい服を入手し、また戻る途中であった。


「…まぁいいか。いつまでも同じ服ってわけにもいかないし」


 日課の昼寝も我慢して、こうして兄弟の世話を焼く自分自身が、ルルーシュは一番不思議だった。


 同期のミーシャからは、『ルルが他人の世話焼くなんて、明日世界が滅亡するかもな』と予想通り揶揄われた。

 その上で、『これ食べたら双子も元気になるぞ!』と、ミーシャ一押しのリンゴケーキも押し付けられた。


 ひとまず受け取ったが、『エルが喜ぶかな』と考えていた自分に驚いた。


 ミーシャの言う通りルルーシュは、自他共に認める面倒くさがり。

 怠惰が服を着て歩いているようなものだ。


 自分らしくない事をしている。

 その自覚が、ルルーシュを苛立たせていた。


 彼らに起きた出来事は、少しずつ聞き出せた。


 ダークエルフに堕ちた母親の事。

 マルフレートだけは助けて、と命乞いをした結果、エルブレヒトの背中が焼かれた事。


 そして、兄弟を逃すため、母親の知り合いが大勢死んだ事。


 確かに、同情や哀れみの1つも寄せたくはなる。


「いや、違う…」


 根本はもっと別にある気もする。

 分からないのは気持ち悪い。

 だが、内省はもっと面倒くさい。



「……?」


 そこまで考え、一旦思考を切った。

 ずっと張り巡らせていた索敵魔法に、引っかかるものがあったからだ。


 場所は、ルルーシュが目指していた位置だ。


「っ……!」


 ルルーシュは木の上に飛び乗ると、太い枝から枝へと、飛び移って移動を始めた。

 元々魔人種であったルルーシュにとって、こんな移動は造作もない。

 亜人種と接しているうちに、無意識に動きを合わせるクセがついてしまっているのだ。


「誰もいなかったのだし、そんな必要なかったのに…!」


 完全なる失態。

 だがルルーシュは、すぐさま意識を現実に向ける。

 小屋は程なくして見えてきた。


 地面に引き倒された兄弟の姿。

 そして、2人を囲む大人のエルフ達。

 ルルーシュは、高い木の上から様子を伺った。


 数は8人ほど。

 子供を捕らえる部隊にしては、数が多い。

 絶対に逃してなるものか、という里長の執念を感じた。


「お前、包帯が巻かれているな」

「また優しい奴が助けてくれたんだなぁ…大した幸運だ」

「そいつまたここに来るんだろ?同胞を助けてくれた礼をしないとな!」


 追手の1人が、エルブレヒトの背中を蹴り付ける。

 兄弟の悲痛な声が、虚しくこだました。


「お前ら、エルとルルーシュに何かしてみろ!オレが殺してやる…!」


 追手を睨みつけるマルフレートの気迫は、子供ながら一人前だった。

 だが、ルルーシュは頭を抱えていた。


「マルの馬鹿……!名前出さないでよ」


 案の定、ルルーシュって誰だ!?と追手達は色めき立っていた。


「めんどくさいけど、仕方ないかぁ…」


 ふわり、とルルーシュは枝から飛び降りた。


「はぁい、呼んだ?」


 急に声がしたので、追手達は驚いた様子だった。


 頭の悪そうな連中ばかりだ。

 以前のエルフは、もっと賢そうな顔つきだったのに。


 そんな事を思いながら、さっそく切り掛かってきた数人に、ルルーシュは魔力を少しだけ解放した。


 手や腕を伸ばしたりはしない。

 ただそちらを意識するだけ。

 それだけで、ルルーシュの周囲には、上半身を吹き飛ばされた死体が、赤い花を咲かせた。


「はぁ…これ言うの恥ずかしいから嫌なんだけど……うちは【七竜人】、ルルーシュ。今すぐその双子を解放しなさい。歯向かわなければ、殺したりしないから」



04



 広がるどよめき。

 エルブレヒトは、七竜人が何か分かっている様子だ。

 マルフレートだけが、何だか分からないという顔をしていた。


 追手達にも一定の認識はあるようだが、逃亡を選ぶ者はいないようだ。

 全員武器を構えて、ルルーシュを囲む。


「ま、どっちでもいいんだけど……【凶鬼夜行】」


 ルルーシュから、重苦しい風が吹き付ける。

 追手達に認識できたのは、そこまでだった。

 兄弟を除いた全員に、髑髏に黒マント姿の悪鬼が取り憑いたのを幻視すると、もうルルーシュのやるべき事はない。


 異変はすぐに起きた。

 何人かはすぐにバタバタと倒れ、焦って後退りをしたり、周囲を見渡した者達もそれに続いた。

 錯乱して武器を振り回し、隣の奴を切り伏せた者は、切った相手と共に倒れた。

 時間にして、数十秒。


 悪鬼に取り憑かれた者は、動けば動くほど、体力も魔力も吸われ、やがて死に至る。

 今のように、錯乱による同士討ちが取れた時は、少し嬉しくなる。

 ルルーシュのお気に入りの技だ。


「やっぱり、エルフ自体の資質が落ちてるのか…これも時代って事かぁ…」


 独りごちるルルーシュは、すでに増援の足音を捉えていた。

 背中を蹴られたエルブレヒトは、痛みで動けないでいたが、マルフレートがすぐさま抱き起こす。


「2人とも後ろにいて。結界張るから」


 ルルーシュは、戸惑う2人に新しい服を渡した。


「これに着替えておいて。あ、マルの服は、お腹の部分をナイフで裂いておいてね」

「ルルーシュ、オレも戦う!」

「俺も、魔法なら使えます!」


 ルルーシュは、殺気立つ2人の鼻っ柱を、指で弾いた。


「その心意気は良し…でも今は、ここにいて」


 痛そうに鼻を押さえる2人は、たちまち姿が掻き消えた。

 同時に、増援部隊が到着する。

 同胞の死体の山を前に、彼らもまた殺気立っていた。


 戦いが始まった。

 だがそれは、一瞬で殺戮に変わった。


 筋肉ではなく、魔力にものを言わせて叩き潰すルルーシュの戦い方は、ある種の脳筋スタイルとも、怠惰の極みとも言える。


 頭を割られた者、体を真っ二つに裂かれた者、上半身が消し飛んだ者、四肢を毟られた者。


 あらゆる形の死が、次々に積み上げられていく。

 ルルーシュは、阿鼻叫喚の只中に突っ立っているだけだった。

 時折、退屈そうに欠伸さえしながら。


 そして、静寂が訪れた。


 結界を解くと、2人は身を寄せ合っていた。

 そしてただ、ルルーシュを見上げていた。

 圧倒されてはいたが、恐怖の色はあまりないように見えた。


「…2人とも、大丈夫そ?」


 一歩近づいても、2人とも逃げたりはしなかった。

 それが、ほんの僅かな安堵をもたらした事に、ルルーシュは気づいていた。

 2人に気づかれないように、わざとゆっくり、目線を合わせてしゃがみ込む。


「服は着替えた?ん。ならいいよ。それはうちに頂戴」


 これはこの後、仕上げに使う。

 急な思いつきだが、多少2人の身が安全になるだろう。


「なぁルルーシュ、ナナリュウジンって何だっけ?」


 ルルーシュが答える前に、エルブレヒトが口を挟んだ。


「この馬鹿!前に母さんが教えてくれただろ!だいたい、何であの時ルルーシュさんの名前漏らすんだ!?」

「ごめん、つい…」

「エル、いいから。残りを片付けてくるから、その間に七竜人の事、マルに教えてあげて」


 仲間の返り血を浴び、放心状態のエルフに、ルルーシュは微量の魔力を流し込む。

 催眠魔法をかけるまでも無さそうだが、念には念を入れなければ。


「…あんたを生かしたのは、里長への連絡係にするため。うちの言った通りに報告して」


 相手がゆるゆると頷く。

 ルルーシュは続けた。


「部隊は魔物に襲われ全滅。しかし、追跡対象の兄弟は発見できた……兄のエルブレヒトは、背中の火傷が元で死んだ。弟のマルフレートは、兄の死に絶望し、逃げきれないと悟って自刃した」


 脱いだ衣服を、催眠状態の相手に握らせる。


「背中が大きく焦げた服と、赤い血がべっとりついて、ものすごく臭い服…2人の死体から剥ぎ取ったこの衣服が証拠よ。これを里長に見せなさい」


 ようやく本当の静寂が訪れる。

 兄弟は、おっかなびっくりこちらを見ている。


「…移動しよっか。ここ血生臭くなっちゃったし」


 ぱちん、とルルーシュは指を鳴らす。

 3人は一瞬で、森の別の場所に移動していた。

 そこは、ルルーシュと兄弟が、初めて出会った、大きな木の前だった。


「便利でしょこれ。あ、最初から何でこれ使わなかったのか、とかは聞かないでね。答えるの面倒だし」


 太い木の根に腰を下ろすと、兄弟もそれに倣った。


「ルルーシュさん…いえ、ルルーシュ様」


 エルブレヒトは、背筋を伸ばしてルルーシュと向き合う。


「お立場を知らなかったとはいえ、俺たちの数々の無礼を…特に弟の振る舞いを、どうかお許しください!」


 平伏する兄を、マルフレートはぽかんと眺めていたが、すぐに真似をして同じポーズを取った。


 かつて、七竜人とエルフ族は、交易をしていた。対等な商売相手として、認識していたと思う。

 だが、時代は変わった。

 七竜人は、祟り神のように語り継がれているのだろう。

 エルブレヒトの様子が、それを物語っていた。


「弟は幼い故、思慮に欠けているだけなのです。どうか、罰するなら俺を…!」

「いやそういうの、ほんっとにいいから。めんどくさい…ていうか幼いのはエルも同じでしょうが。あとさ、様付けやめてくれる?」

「は、はいっ!申し訳ありません…しかし、何とお呼びすれば良いですか?」

「えぇ?今まで通りルルーシュでよくない?」

「じゃあさ…!あねさんって呼んでいい?」


 マルフレートは、期待に満ちた目でルルーシュを見てきた。

 何故そんな目をするのか分からない。


「姐さん…?」


 ただ復唱しただけだったのだが、エルブレヒトは弟の頭頂部に、思い切り拳を振り下ろした。

 痛ってぇ!と叫ぶ声に、鳥達が驚いて飛び去った。


「エル何すんだよ!」

「お前こそ何言ってるんだ!七竜人であらせられるお方に…!いや、それ以前に命の恩人だろ!そんな気安い言い方…!」

「だって、様つけられるの嫌だって言ってたじゃんか!」


 一触即発の兄弟。

 だがルルーシュは、腹の底から込み上げてくるものを、堪えきれなかった。


「あははっ!何それ…!いいじゃん!姐さんなんて言われるの初めて!」


 こんなに笑うのも久しぶりだ。

 だからルルーシュは、2人が顔を見合わせて、嬉しそうにしていた事に、気づかなかった。


「はぁ…面白かったー…じゃあ姐さんでいいよ、もう」


 そうだ、とルルーシュはまた時空の裂け目に手を突っ込んだ。

 ミーシャから持たされたものを忘れていた。


「リンゴのケーキだってさ。食べる?」


 一個ずつ差し出すと、マルフレートは真っ先に飛びついて、ケーキを頬張った。


「んまい!ありがとう姐さんっ!」

「マルさぁ、その姐さんってどこから出てきたわけ?」

「えっと…前に母さんが話してくれたお話に…」


 一方エルブレヒトは、ケーキを持ったまま固まってしまっていた。


「リンゴ、好きなんでしょ?食べなよエル」

「……」


 躊躇いがちに、いただきます、と言って一口。

 ケーキを頬張るごとに、エルブレヒトは涙を溢していた。

 声は出さず、食べながら、静かに泣いていた。


 何か思い出しているのかもしれない。

 マルフレートも、どこか悲しそうだ。


 だからルルーシュは、涙のわけを聞く代わりに、美味しい?とだけ尋ねた


「…はい。とても」

「ん。なら良かった」

「ルルーシュさ…」


 言いかけた兄を、マルフレートが肘で突く。

 何か促すような、弟のニコニコ顔に、エルブレヒトは視線を泳がせた。


「えっと…ありがとうございます…あ、姐さん」


 何故この子達を助けたのか。

 ルルーシュは、笑い合う2人を前にして、はっきりと理解した。


 純粋に、ただ貪欲に『生きたい』と願ったこの子達が、どう生きるのかを見届けたい。

 たとえ、悲劇的な結末が待っていたとしても、それを見届けたい。


 その手に握りしめた生も死も、2人なら全うできるだろう。

 それは、生も死も希薄になってしまったルルーシュには、身を焦がすような羨望と憧憬。


 だが、それを2人に語るのはこの上なく面倒で、少しだけ恥ずかしい。


 だからルルーシュは、いつものように、気だるそうにため息をついたのだった。


「まったく…ほんとめんどくさいね、君たち兄弟は」


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