第1話:桃ノ木町に落ちる影

ここ数日、『鬼』による凶悪な事件が町で起こっていた。


鬼は、巨大な棍棒を振り回し、家屋を破壊し、主に町の富裕層の邸宅から金品を強奪していく。


その暴力的な手口は野蛮で、警察の手に負えるものではなかった。


桃谷は現場で懸命に捜査にあたるが、警察は鬼の圧倒的な破壊力や昔話にしか出てこない怪物ということから積極的な捜査を避けていた。


被害は増す一方だったが、組織は動かない。


桃谷の胸には、自分の町を守れないことへの強い無力感と、正義を遂行できない苛立ちが募っていた。


最新の襲撃現場は、町で最も古い富豪、杵塚(きねつか)家の邸宅だった。


現場は、まるで巨大な暴風雨が吹き荒れた後のように荒れていた。


頑丈な石灯籠は粉々に砕け、鉄扉は巨大な爪痕と棍棒による湾曲で歪んでいる。


現場を囲む規制線の外には、不安と怒りに満ちた町民たちが集まっていた。


「ひどいわ、鉄扉があんなに歪むなんて!あんなの泥棒じゃないわ、棍棒で力ずくで全部壊していくなんて、野蛮すぎる…」


「あれは、ただの化け物じゃないか!近所の木をなぎ倒して、壁を破って侵入したんだぞ。警察は何もできないのかよ!」


「あんなに大きな体で、どうやって逃げたんだ?さっさと捕まえてくれないと夜も安心して眠れないじゃないか!」


桃谷は、町民たちの怒りと不安の声に、胸を締め付けられる思いだった。


今回の犯人が棍棒を振り回すただただ野蛮な存在であるからこそ、現代の法や警察の常識は通用しない。


彼の心は、この町を守るには、「警察の正義」だけでは限界があるのだと痛感していた。


桃谷は歯がゆい思いを抑え、机の引き出しから大切にしている御守りを取り出した。


***


それは、幼い頃から彼を育ててくれたおじいさんとおばあさんからもらったものだ。


御守りの表面にはきびだんごの刺繍がほどこされていた。


桃谷が小学校に入学する前の、穏やかな春の日。(回想開始)


祖父母の家に遊びに来ていた桃谷少年は縁側で茶菓子代わりにきびだんごを頬張っていた。


「太郎、きびだんごをお食べ。本当に美味しそうに食べるねぇ 」


おばあさんは喜んだ表情を浮かべる。


その横でそのやり取りを見ながらおじいさんが桃谷少年に尋ねた。


「太郎は本当にきびだんごが好きじゃの。」


「そうじゃ太郎。大きくなったら何になりたいのじゃ?」


桃谷少年はきびだんごでいっぱいの口を動かし、少し考えた後、強い瞳と強い口調でおじいさんの問いに答えた。


「おじいちゃん、僕は大きくなったら、この町を悪いものから守る人になりたいんだ!誰にも負けないくらい強くて、困っている人を助けるんだ!」


「そうか、太郎は町を守る正義の味方になりたいのか。よし、それならこれを持っておきなさい。」


おじいさんは懐から小さな、古い御守りを取り出した。


「これはお前が今食べているきびだんごを特別に刺繍したおばあさんの手作りの御守りだ。」


「これはな、きびだんごがただ太郎の好物だからではなく、庶民のヒーローが悪いものと戦う時に食糧として持って行っていたのだよ。」


「そうじゃ、言わばヒーローの『信念の証』なのだよ。」


おじいさんは太郎の手にそっと握らせて、桃谷少年に向かって言った。


「どんな時代になろうと、人の心の『信念』だけは、決して腐らせてはならない。」


「このきびだんごを見るたび、お前が今誓ったその『正義の信念』を、強く思い出すんじゃぞ。」


「良いか。これは太郎とおじいさんとおばあさんの三人の約束じゃ」


***


桃谷にとって、この御守りは「決して曲げてはならない正義の信念」の象徴だった。(回想終了)


桃谷は冷たい交番の光の中で御守りを強く握りしめた。


彼の正義は警察官になるよりも前におじいさんたちと交わした約束と共にあった。


警察が動かなくても、桃谷太郎個人の正義の信念は強く胸に燃えていた。


「このきびだんごの御守りに誓って、町を荒らす鬼を必ず退治してみせる!」


しかし、彼は現場の惨状を思い浮かべると己の無力感を噛み締めた。


今のままでは到底あの凶暴な鬼たちには敵わない。


組織の限界といった壁を乗り越え、個人の『正義の信念』に基づいてこの凶暴な鬼の悪行を阻止する手段を思案する。


まず桃谷は鬼の潜伏場所を突き止めることが鬼の暴挙を止めるヒントになるのではないかと考えていた。


鬼が町で暴れた後の足取りについては未だ解明されておらず、目撃情報についても多くはなかった。


桃谷は鬼に関するインターネットの記事を読み返してみた。


「桃ノ木町で暴れている鬼は一匹だけなのか、それとも複数存在するのか。」


「全てが謎に包まれたままなのだ。何か手がかりになるものはないのか。」


目ぼしい記事は見当たらなかった。


(鬼が現れたのはここ数日の話だ。それまでどこに潜んでいたのか。どこからともなく現れたのか。)


桃谷がそんなことを思案していた時だった。


彼の頭の中に一人の男の名前が思い浮かんだ。


ー犬飼権三(いぬかい ごんぞう)ー


彼は元捜査一課の刑事ではあったが、2年前にとある事件をきっかけに刑事を引退して桃ノ木町の山奥の訓練所で教官をしている。


桃谷は、この男が持つ「情報」こそが、凶暴な力を持つ鬼の行方を追うためには必要不可欠だと直感した。


犬飼は2年前にこの桃ノ木町の山奥で鬼を見たと証言していた。


しかし、後日その鬼の正体は山から降りてきた熊の見間違いだったと記録が訂正されている。


熊を見て鬼と見間違える刑事なんているんだなと当時交番勤務で一緒だった先輩が話をしていたことを桃谷は思い出したのだ。


その事件の後、しばらくして犬飼は刑事を辞職してこの桃ノ木町の山奥に訓練所を開いていたのだ。


「犬飼さんが2年前に見たという鬼が今回の強盗事件に関与しているのかもしれない。」


桃谷は交番にあった電話帳から犬飼が開いている訓練所の電話番号を確認すると、一呼吸置いて交番の電話機の受話器を手に取った。


その指先が震えているのは、未だ警察本部ですら味わったことのない未知なる怪物へ挑む

恐怖からか、それとも新たな旅立ちへの高揚からか。

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