第50話 三派閥の影
「……あなたたちも見たのかしら」
隔壁の向こうで、ガロウが言った。
拘束は軽い。けれど距離は、透明な板一枚ぶんだけ遠い。
解析室は静かだ。
機械の呼吸だけが、低く続いている。
クレアは椅子を使わない。
机と隔壁の間に立って、視線だけで返す。
「何を」
「さっきの“揺れ”よ」
俺の喉が鳴った。
景色が切り替わった。
温度がずれた。
地平線に、空じゃない輪郭が残った。
「……見た」
「やっぱりねぇ」
ガロウは笑わない。
でも、確かめたがっている顔だ。
「ねえ、悠斗くん」
名を呼ばれただけで、背中が硬くなる。
「組織とか、ぶっちゃけどうでもいいのよ」
声は柔らかい。
柔らかいまま、芯がある。
「私が知りたいのは、これから」
一拍。
「悠斗くんが、何を見るのか」
隔壁越しの視線が、俺に刺さる。
「あれを見て、どう思った?」
説明に逃げると、負ける気がした。
「地平線」
「うん」
「空じゃない……輪郭」
「それで?」
「……ずっと、そこにあった」
クレアが淡々と言う。
「断定はできない」
「できないわよねぇ」
ガロウは頷いた。
「無理もないわ」
間を置いて、言い切る。
「悠斗くん。本質、見てないもの」
胸の奥が、ひやりとした。
見たのに。
言えたのに。
足りない、と言われた気がした。
「だから提案」
ガロウが指を一本、立てる。
「私を、仲間に混ぜなさい」
クレアは即答しない。
拒まない。肯かない。
「理由」
ガロウは、ほんの少しだけ口角を上げた。
「こちらが割れてるの」
一拍。
「三つにね」
クレアは視線を逸らさない。
「三つ。どう割れてる」
「簡単に言うわねぇ」
ガロウは、指を一本立てた。
「“作った側”」
一拍。
「地球を畑みたいに見て、種を撒いた。もう表には出ない。出るのは残り香だけ」
指が二本になる。
「“消す側”」
「……消す?」
「文明が進みすぎたら、まとめて更地。掃除よ。片づけるみたいにね」
指が三本になる。
「“変える側”」
「変える?」
「壊さない。残すだけでもない。人間を次に押し上げたい。組み替えるの」
クレアは短く区切る。
「今、動いてるのはどれ」
「二つ目」
ガロウは迷わず言った。
「掃除のやつ。現場で声がでかい代理がいる。そいつが前に出てる限り、話は通じないわ」
クレアの呼吸が一度、止まった。
「実地で来る」
「ええ。机の上じゃ終わらない」
ガロウは、柔らかい声のまま続ける。
「場所を潰す。時間を奪う。選べる数を削る。そういうやり方」
クレアは、俺じゃなく隔壁の向こうだけを見る。
「……それを止める方法は」
「止める、っていうより」
ガロウは首を傾けた。
「先に取るの。先に押さえる。先に握る。そうしないと、選べない」
クレアが言う。
「だから、あなたが必要だと」
「そう。私を混ぜなさい」
ガロウは、言葉を短くする。
「割れてる話を出す。動いてるやつの癖も出す。聞いてから決めてもいいわ」
クレアは黙ったまま、俺の方へ視線だけ寄せる。
俺の腹の底が冷える。
話が俺に向いてくる気配がする。
ガロウは、その気配を見逃さない。
「でねぇ」
一拍。
「もう一つ。先手が必要な理由があるの」
「何」
クレアが促す。
ガロウの目が、隔壁越しに俺へ移る。
視線の重さだけで、背中が硬くなる。
「悠斗くん」
名前を呼ばれて、息が詰まる。
「君は偶然じゃないのよ」
言い切りだった。
逃げ道が、先に塞がれる。
クレアが、ひとつだけ言う。
「根拠を」
ガロウは、答えを急がない。
わざと、間を作る。
「……次で話すわ」
口角が、ほんの少しだけ上がった。
「君が一番、聞きたくないやつ」
隔壁の向こうで、ガロウは一度だけ息を吐いた。
「適合よ」
短い。
それだけで、背中が冷える。
「二つが揃ったときの反応が、君に寄ってる」
俺は喉の奥で唾を飲み込んだ。
言い返す言葉が出る前に、次が来る。
「君が“見せられた”の」
クレアが言う。
「誰に」
ガロウは、そこで濁す。
「上よ。名前を出せない“上”」
一拍。
「でも、君はもう触れられてる」
胸の奥に、引っかかる名が浮く。
俺が言う前に、クレアが先に置いた。
「ノア」
ガロウの目が細くなる。
「その名前、もう出てるのねぇ」
否定しない。
むしろ、確認が終わった顔。
「なら話は早いわ。君は最初から、繋がってる」
クレアが、短く結論を言う。
「だから狙われる」
「そういうこと」
ガロウは頷いた。
机の上のケースが、照明を返す。
透明の縁が、白く光る。
ガロウが、声の調子を変えた。
お姉語の柔らかさが戻る。
「でねぇ。急ぎましょう」
「何に」
「回収よ」
ガロウは言葉を選ばない。
「クレアみたいな“鬼”が眠ってるの」
クレアの指先が、微かに動いた。
反射じゃない。警戒だ。
「……鬼」
「ええ。ものすごく危険で、やばい方」
ガロウは肩をすくめる。
「私、見つけてたのに報告してなかったのよ」
一拍。
「だから今なら、先に取れる。まだ間に合うはず」
クレアが問う。
「場所は」
「四国よ」
ガロウが、方向だけ置く。
「急いで行きましょう。途中で止まったら、間に合わない」
クレアは振り向かない。
「移動準備」
命令は短い。
室内の空気が、音もなく切り替わる。
俺はケースを見た。
見たまま、拳を開く。
逃げるんじゃない。
先に行く。
隔壁の向こうで、ガロウが最後に言った。
「悠斗くんが次に何を見るのか——私、それが知りたいのよ」
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