第25話 記録は、先にあった
ヘリの中は、常に揺れていた。
ローター音が天井越しに反響し、振動が座席を伝って身体に残る。
通信ノイズが、断続的にヘッドセットの奥で擦れる。
窓の外は暗い。
雲海か、夜か、その区別すらつかない。
少なくとも、地上はもう見えなかった。
誰も話さない。
話す必要がない、というより――
話していい空気ではなかった。
エンジン音だけが、進行を主張している。
時間は進んでいる。
止まらない。
一度、短い休止が入った。
給油か、機体確認か。
具体的な説明はなく、再び振動が戻ってくる。
眠ろうとしても、目を閉じるだけだった。
音は続く。
振動も、変わらない。
クレアが、席の通路側から端末を差し出す。
「移動中に、目を通してください」
それだけ言って、戻る。
説明はない。感情もない。
ゆうとは端末を受け取った。
画面が暗転し、次に、無機質な文字が浮かぶ。
■ 白瓏家内部資料
白瓏家 高高度異常観測関連 内部整理文書
(当該資料は対外提出を想定しない)
4月21日
エベレスト山中において、由来不明の微弱ノイズを断続的に受信。
現行の通信分類基準には該当せず、通信性の有無については判断保留とする。
※当該事案は
白瓏家調査部・第一観測課
山岳域特別監理担当室
にて一次記録処理を実施。
4月25日
衛星および上空視察を実施。
視認可能な異常物体は確認されず。追加調査の要否については継続協議とする。
※本件は
白瓏家技術管理部
高高度環境影響評価係
管轄にて整理中。
6月16日
星渡悠斗の行動圏とノイズ反応との間に一定の相関を確認。
因果関係については、現時点では特定に至らず。
※人的要因に関する検討は
白瓏家対外動向分析室
非定常事象参照班
にて取り扱う。
6月23日
氷見つかさを確認。
同時刻においてノイズ強度に微小な変化を記録。
※当該変化は
計測誤差範囲内と判断される可能性を含むため、
白瓏家計測統括課
補正基準検討担当
に回付。
6月27日
星渡悠斗、AL-01(Artificial Life)、猫型ロボット Felis Unit を同時確認。
同日、エベレスト反応値が内部基準値を超過。
※本件については
白瓏家統合管理部
特異事象暫定対策室
にて情報集約を実施。
追記
白瓏の声を介した AL-01 捕獲計画案を立案。
目的は調査および管理とする。
実行可否については、現時点では未決定。
※本計画案は
白瓏家上席調整会議
対外影響審査対象
として留保扱いとする。
ゆうとは、端末を閉じた。
ローター音が、現実として戻ってくる。
エンジンの振動が、座席から身体に伝わる。
誰も、すぐには話さなかった。
世界は、先に知っていた。
自分たちは、後から読んだだけだ。
葉山を発ってから、すでに一昼夜が過ぎていた。
眠ったのか、意識を落としただけなのか、分からない。
ただ、時間だけが進んでいた。
――おじいさん。
あの人は、どこまで知っていたのだろうか。
ヘリが、ゆっくりと高度を下げ始める。
人工音が、少しずつ減っていく。
冷たい気配。
雪域の匂い。
高高度特有の、薄い空気。
前線が近い。
もう、戻れないところまで来ている。
ローター音が、急に近くなる。
機体が空気を掴み直す感触が、床から伝わってきた。
横揺れが増え、少しだけ沈む。
降下に入った合図だった。
窓の外は、白い。
雲海の切れ目から、雪面が見え隠れしている。
輪郭は曖昧で、距離感が掴めない。
機体がもう一段、低く唸る。
風に押され、戻され、また下がる。
着陸。
衝撃は小さい。
けれど、完全に止まるまでに時間がかかった。
ローター音が荒くなり、
その下で、風が鳴き始める。
ハッチが開く。
冷たい空気が、容赦なく流れ込んできた。
一瞬で肺の奥が縮む。
息を吸うだけで、場所が違うと分かる。
夜の雪原だった。
人工光が足元を照らしている。
白というより、鈍い灰色。
踏み固められた場所と、手つかずの闇が、はっきり分かれている。
遠くで、風が雪を削る音がする。
近くでは、機材の低い駆動音。
人の声はあるが、雑談の響きではない。
軍用テントと研究用コンテナが、同じ平地に並んでいる。
どちらも簡素で、機能だけが優先されていた。
ここから先は、滞在する場所じゃない。
作業する場所だ。
「現場です」
クレアの声は、風に負けない。
感情を削った言い方だった。
「到着後は、通信環境が安定しません」
歩きながら続ける。
「通常の連絡手段は、信用しないでください」
ゆうとは頷いた。
言われる前から、そうなる気はしていた。
「必要があれば――」
クレアは一拍置く。
「エル様とのセンスリンクを、通信の代替として使用します」
それは命令ではなかった。
選択肢の提示でもない。
お願いに近い響きだった。
ゆうとは確認する。
「あの時の……意識共有のことですか」
「はい」
即答だった。
「現地では、視界・音・位置情報が断続的に失われます。
言葉での指示より、動作を“見る”方が確実です」
“操る”とは言わない。
“共有する”とも、あまり言わない。
見る。
その一語で、役割が決まる。
つかさが、少しだけ顔をしかめる。
「使えるのは分かるけど……引っ張られすぎないで。
リンクは、便利なぶん危ないから」
警告というより、指導だった。
経験者の言い方だ。
「衝撃は来ても、痛みは遮断する。
それ、忘れないで」
ゆうとは短く息を吐いた。
「分かってる」
分かっている、というより――
そう教え込まれている。
クレアは、それ以上何も言わない。
承諾は、もう取れたと判断したらしい。
キャンプへ向かう途中、
風が強くなり、人工音が薄れていく。
雪を踏む音が、すぐに消える。
視界の外では、何も保証されていない。
装備チェックが始まる。
防寒具。
留め具。
簡易酸素。
ゆうとの動きは、人並みだった。
遅くはない。
だが、迷いが混じる。
その横で、エルが静かに準備を進めている。
動きに、無駄がない。
雪と風を、最初から計算に入れている。
ニャースケも同じだ。
小さな身体で、必要な位置に収まっていく。
――成立している。
昨日までは、そう思う余裕がなかった。
今は、はっきり分かる。
エルが顔を上げる。
ゆうとを見る。
「……ゆうとさん」
声は小さい。
風に溶ける寸前の音量。
「……ここからは……本当に……危険……です」
理由は言わない。
説明もしない。
それで十分だった。
遠くで、風が鳴る。
光の外は、すぐ闇だ。
出発は、もう終わっていた。
今いるのは、
戻る前提のない場所だ。
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