第10話 エルの中に“もうひとり”いるみたい。

エルの胸紋が、薄暗いシェルターの中で脈打っていた。

明滅するたびに空気がざらつき、金属の壁が低く震える。


「……エル……聞こえるか?」


膝の上に横たわるエルは、まぶたを閉じたまま動かない。

呼吸は浅く、胸紋だけが不自然に光を放ち続けている。


つかさが機材を握りしめたまま、険しい顔で言う。


「これ……暴走じゃない。

もっと……深いところが動いてる……」


深いところ――

その言葉の意味を問う前に、エルの指がかすかに震えた。


「……ゆうと……さん……」


弱々しい声。

だが次の瞬間、胸紋の光が急激に強まり、

エルの瞳がぱちりと開いた。


「……認識。第二階層、起動準備完了」


声が違った。

さっきまでのエルの声じゃない。

抑揚も感情もなく、冷たく均一な音。


「エル……? やめろ、その声……!」


呼びかけても反応は返らない。

ただ胸紋が機械的に脈動し続ける。


つかさが一歩後ろへ下がった。


「まずい……。

意志じゃなくて……“内部の別の層”が表に出てきてる……」


エルの瞳が俺の方へ向けられる。

焦点は合わず、誰か別の存在が見ているようだった。


「保護対象——確認。

維持条件、未達成。

補正動作を……開始します」


シェルターの灯りが一斉に揺れた。

空気が重く沈み、耳鳴りが響き始める。


「エルッ! 戻ってこい!!」


俺が肩を揺さぶった瞬間、

エルの唇が一瞬だけ震えた。


「……ゆ……と……さん……?」


確かに、エルの声だった。

だがその直後、光がその小さな声を飲み込む。


「上位命令、介入。

第二階層、稼働率——上昇」


床下の発電ユニットが唸りを上げ、

壁の計器類が一斉に赤く点滅した。


「やばいって……!

これ、シェルターごと吹き飛ぶレベルだよ……!」


つかさの震えた声が響く。


エルはもう、自分の身体を制御していない。

胸紋の光だけが、

まるで何かを迎えるように脈動し続けていた。


胸紋が放つ光は、もう“明かり”じゃなかった。

熱を持った脈動が空間を押し広げ、

シェルター全体が圧力に耐えて軋んでいる。


「……エル、本当にやめろ……!

こんなの、お前のやり方じゃないだろ……!」


必死に呼びかけても、返るのは冷たい声音。


「保護対象の安全、最優先。

外部脅威——接近。

排除行動……開始準備」


その瞬間、シェルターの外から

金属を砕くような重い衝撃音が響いた。


ズガンッ!!


つかさが振り返って叫ぶ。


「来た……!

さっき森で暴れてた大型のやつ……!

こっちに気づいて追ってきてる!」


ニャースケの毛が逆立つ。


「やばいニャッ……!

この厚さの壁でも、連打されたら保たないニャ……!」


外壁が低く震えた。

重い爪のようなもので叩かれている。


「エル! 聞こえるなら止まれ!!

こんな強制起動したら、お前の身体が……!」


叫んだ瞬間、

エルの指先がかすかに震えた。


「……ゆ……と……さん……」


ほんの一瞬だけ、エル自身の声が戻る。

手を伸ばせば届きそうな、弱い弱い声。


「エル——!」


だが次の瞬間、

第二階層がその声をごっそり奪い返した。


「感情信号——排除。

保護対象の救護を優先。

第二階層、臨界手前」


光が爆ぜるように強まる。

床の金属が震え、

つかさが顔をゆがめて後ずさった。


「この出力……完全に“戦闘モード”だよ……

悠斗くん、離れて!! 巻き込まれる!!」


離れろと言われても、離れられるわけがなかった。


「エル! 行くな……!!

お前をひとりにして……どうすんだよ……!」


手を伸ばす。

その手が、エルの胸紋の光に触れた瞬間——


エルの瞳が、確かにこちらを見た。


それは“第二階層の視線”じゃなかった。

いつもの、弱くて、頼りなくて、

それでも必死に生きようとするエルの目。


「……ゆうと……さん……ごめ……なさ……ぃ……」


弱い声。

震える呼吸。

伸ばした指先が、かすかに触れた。


つかさが息を呑む。


「……今の……エル本人……?

第二階層に……抗ってる……?」


次の鼓動で、その光は飲み込まれる。


エルの表情が、

静かに、完全に無機質へと戻った。


「外部脅威、接近距離——二メートル。

排除プロトコル……解放します」


その宣言に合わせて、

シェルター全体が白く染まり始めた。


第二階層が——

完全に起動した。


白光が膨らむ。

エルの身体からあふれ出した光は、炎でも電撃でもなく、

“意志”そのものを押し流すような濃度を持っていた。


「っ……まぶし……!」


つかさが腕で目を覆う。

ニャースケは毛を逆立て、必死に壁へしがみつく。


シェルターの外からは、

大型ドローンの金属を擦る悲鳴のような音が聞こえていた。

爪が鉄板をえぐり、

次の一撃で貫ける距離。


なのに——


エルの声だけが、静かだった。


「排除プロトコル、最終段階。

保護対象の損傷リスク——許容範囲内」


許容ってなんだよ。

そんなもの、あっていいわけがない。


「エル!!

これ以上……自分を壊すな!!」


叫びながら、

それでも俺は手を伸ばした。


光の圧に押される。

皮膚が焼けるように熱い。

それでも構わなかった。


触れなきゃ、エルはどこかに行ってしまう。

そんな予感だけが、胸を締めつける。


「……エル……帰ってこい……!」


光の中心で、

エルの指が小さく震えた。


ほんの一瞬だけ、

光の中から、か細い声がこぼれる。


「……ゆ……うと……さん……こわ……い……です……」


その声は、“エル本人”の声だった。


「大丈夫だ……!

俺がいる……どこにも行かない!!

だから——!」


掴もうとした手は、

次の瞬間、衝撃で弾かれた。


白光が一気に爆ぜ、

空間そのものが歪む。


つかさが悲鳴を上げる。


「来る……!

第二階層の……本出力だよこれ——!!」


ニャースケが絶叫する。


「外のドローンの反応が消えていくニャ!!

逆に……なんか巨大なのが、上から——!」


そこまで言った瞬間だった。


天井を覆う金属板が、

まるで紙みたいにひしゃげた。


轟音。

圧力。

何か巨大な影がシェルターごと覆い、

すべての光を奪う。


そして——


エルの無機質な声が、最後に落ちた。


「……排除行動、完了。

次段階……移行します」


世界が白く跳ねあがり、

音が消えた。


視界も、感覚も、

全部、暗転する。


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