第5話 始まりの刻

 良い香りがする。


 柔らかい枕に包まれ、心地よい気分のまま微睡む。

 そんな穏やかな感覚の中、ふと直前の記憶が甦り、俺は急いで目を覚ます。


「……あ、良かった。PQたん……大丈夫? 気分は悪くない?」


 目を開けると、そこには大好きな推しの、いつも通りの綺麗な顔があった。

 不安と恐怖によりうるさかった鼓動が、別の感情で上書きされ高鳴っていく。

 ユキさんは俺と交差するように横から覗き込んでいるようだ。背を丸め、心配そうに俺を見つめるその姿に、思わず見惚れてしまう。


 そして、ふと気付いた。


 ——俺の頭の下にある、柔らかい感触。


 これは、もしかして……膝枕?


 状況を理解した瞬間、嬉しいやら恥ずかしいやらで、慌てた俺は彼女の膝から転げ落ちるようにして離れた。


「ぅえ? あ、ご、ごめん、ユキさん! な、なんでこんなことに……? い、いや、違っ——」


「ぷっ、あはははっ……」


 俺の狼狽ぶりがよほど可笑しかったのか、彼女は肩を震わせて笑い、やがて優しい声で囁く。


「大丈夫、大丈夫だよ、PQさんのおかげ。本当にありがとう」


 まだ心臓がバクバクとうるさいが、なんとか平静を装い、推しの無事を確認する。

 同時に、周囲の惨状にも目を向けた。


「ユキさんの身体は大丈夫? 俺が意識を失ったせあとは……。周りの魔物が結晶化してるってことは、問題なく〈〉を使えてるんだね?」


「うん……実はね、死にかけていた時から、私の魂がこの身体に入るまでの記憶ははっきりしてるの。それに、今の私は、コラボの時の私をモデルにしたカードそのもの……だからなのかな」


 そう話す彼女の全身から、白銀の六花がキラキラと舞い上がる。現実感の乏しくなるほどの美しさがそこにあった。

 ユキさんはゆっくりと言葉を選びながら続ける。


「〈ヘル〉に関しても、まるで最初から私の中にあったみたいに感じるの。違和感なんて、全然ないのよ」


 俺たちの周囲には、何体もの魔物たちが氷像のようになり、事切れている。

 間違いなく彼女が取り込んで装備した骨格型魔導人形〈ヘル〉の力だろう。


 [魔晶溟雪ニクス・マグナ… (水or風):溟雪めいせつ生成 / 操作1・熱 / 魔力吸収1・熱魔変換]


 雪の結晶を模した、熱と魔力を吸収するマナの結晶体を操る力。俺が〈ヘル〉に組み込んだ『機構システム』の根幹だ。


 俺が作った骨格型魔導人形シリーズは、たびに固有の機構システムが解放されていく。

 

 そもそもPACは、TCG——対戦型トレーディングカードゲームがベースになっているのにも関わらず、プレイヤーを含むすべてのユニットにレベルが存在している。ペンタモーフ・シリーズが一つのオープンワールド内に、ジャンルの異なる五作品を同時に存在させるための仕様のせいだった。


 機巧人形オートマタとは、レベルが上がるたびにすでに持っている機構システムが強化され、さらには同じ系統の新しい機構システムを追加で獲得していく。そういった種族なのだ。


 『神話ミソロジー』と『伝説レジェンド』ならば、最大5レベルで5つまで。

 さらに、本来ならあり得ないところを、骨格型の機巧人形であるため“魔導具/装備”扱いとなり、固有スキル[纏装導器てんそうどうき]の効果が適用される。

 等級レアリティ神話ミソロジーなら追加で2つ、伝説レジェンドならば1つだけ、限界を越えて新たな機構システムを獲得できるのだ。

 ただしこれは、固有スキル[纏装導器てんそうどうき]を取得した装備者が、レベル9以上にならないと解放されない仕様になっていた。


 そのため、機巧人形オートマタ固有の機構システム出鱈目でたらめさのおかげで、俺の骨格型魔導人形は異常な強さを誇っていた。

 普通の機巧人形オートマタは脆弱すぎて、そもそもレベルを上げること自体が非常に困難なのだ。


 そして、[魔晶溟雪ニクス・マグナ]には、“熱魔変換”——吸収した熱を魔力へと変換する能力があった。


 ユキさんの現在の身体である『【神話ミソロジー】魂なき女神の現し身』の固有スキル[氷雪女神]は、氷属性系統のコストを支払う場合に限り、魔力1点を増幅し、水属性マナ1点と風属性マナ1点を同時に生み出すことができる。


 彼女自身の魔力を増幅して生み出したマナで溟雪を生成し、魔物から熱を奪いながら結晶化させることで、魔力を回復させつつ魔物たちを屠ったのだろう。


 多分、俺の頭を自身の膝に乗せ、介抱しながら片手間に、だ。


「そうか……良かった、と言っていいのかは分からないけど。それでも、ユキさんが無事で、生きていてくれて良かった……良かったよ」


「PQ……」


 俺は自身の瞳から、自然と溢れてくるものを抑えることができなかった。

 ユキさんを失わずにすんだことに対する安堵感。そして、“人ならざる者”へと変えてしまったことに対する罪悪感。

 さらには、わずかではあるが、推しをカードとして得てしまったことに対する仄暗い優越感や背徳感が、俺にさらなる罪悪感を与えてくる。


 ただ、ここがゲームと同じ“階層型迷宮ダンジョン”であるのなら、踏破することで願いを叶えられる可能性はあるかもしれない。

 ユキさん——宵月詩を、元の身体へと甦らせることが……。


 ◇


「そういえば、ユキさんの元々の身体はどうしたの?」


 しばらくして俺は、ふと疑問に思い問いかけた。


「ああ、私の身体なら結晶化したあと〝封札術ふうさつじゅつ〟でカードにしたよ」


 彼女は、その様子がイラストになったカードをこちらへ見せながら、そう答える。


 PACのゲーム設定では、魔導士とは、


1. 召喚札を起動し、封印札を開封する術である“導札術どうさつじゅつ

2. 契約した魔物やアイテム類、大魔法ソーサリーを封印札へと封じる“封札術ふうさつじゅつ


 この二つを習得した者だけがなれる、だと言われていた。


 ユキさんが転生した『【神話ミソロジー】魂なき女神の現し身』の種族は、[ホムンクルス / 魔導士 / 英雄]。

 ホムンクルスであり、魔導士であり、英雄でもある。当然、最初から封札術も使用できた。


 彼女の意識は、もはや“普通の人間”でも“カードの中の存在”でもなく、完全に『【神話ミソロジー】魂なき女神の現し身』と融合している。

 その事実を受け止めながら、俺は深く息を吐いた。


 敵はすべて片付いた。ユキさんの無事も確認した。

 となれば、次に考えるべきことは——。


「……そろそろ、この迷宮から脱出する方法を探さないとな」


「うん! PQたんと一緒なら、絶対に大丈夫!」


 彼女の笑顔に、俺の胸が少しだけ熱くなった。

 まだ道は分からない。だが、進むべき方向は決まっている。

 俺たちの命懸けの冒険は、まだ始まったばかりだ。

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