Pentamorph: Arcane Convergence《ペンタモーフ:アーケイン・コンバージェンス》

坂条 伸

第1話 運命の揺らぎ

 とあるビルの八階にある、とある書店。


 その最上階にあたる九階のイベントホールへと続く階段には、長い行列ができていた。

 列の最後尾は八階の書店にまで達しており、イベントスタッフでもある書店の従業員が、せわしなく動き回っている。


 行列に並ぶ人々のお目当ては、声優、YouTuber、歌手、グラビアアイドルとマルチに活躍するタレント、〝宵月よいづき ゆき〟の3rd写真集のお渡し会イベントだった。


 俺—— 高丘たかおか たすくもそのひとりだ。

 推しであるユキさんに会うため、田舎から電車を乗り継ぎ、ようやくここまで辿り着いた。


 到着したときには、既に行列は予想以上に長くなっていて、いつもの仲間たち常連のファンの姿も見当たらない。

 きっとみんな、階段の先——最前列に並んでいるのだろう。時間通りに来たつもりだったが、どうやら今回は出遅れてしまったらしい。


 知り合いのいない中、ひとりで列に並ぶと、自然とユキさんのことばかりが頭を占めるようになる。


 こうして彼女のイベントに通うようになって、もう数年は経つ。

 それでも、会うたびに緊張するのは変わらない。

 いつもなら仲間たちと推しについて話して、少しは落ち着けるのだが……今日はそれも叶わない。


 こんな俺だけれど、一応、ユキさんにはちゃんと認知されている。

 イベントに何度も通っているのもあるが、俺にはひとつ悪癖があって——

 それは、泥酔するとSNSに推しへの愛を暴走気味に投稿してしまうこと。

 それが面白がられたのか、彼女の記憶にしっかりと刻まれてしまっていた。

 ……嬉しいような、恥ずかしいような。思い返すたび、複雑な気持ちになる。


 そんなことを考えながら並んでいたら、いつの間にかイベントホール目前にまで進んでいた。

 あと数人で、いよいよ自分の番。


 今回のお渡し会は、半個室のように仕切られたスペースで、推しとファンが一対一で対面する形式のようだ。


 そして——ついに俺の番がやってきた。


 扉のない入り口をくぐると、そこにいた彼女がこちらに手を振る。どうやら俺だと気づいてくれたらしい。

 嬉しそうな笑顔に心が浮き立つと同時に、緊張がさらに増していく。

 スタッフの合図に促されて前へ進み、あと二、三歩で彼女の目の前に立てるという、そのとき——


 


 突如、世界が揺れた。


 それは、誰一人として立っていられないほどの激震だった。


 


 しばらくして揺れが収まると、周囲は無惨な光景になっていた。

 ユキさんの背後にあった机は折れ曲がって倒れ、写真集は床に散乱している。


 彼女は地面に座り込んでいたが、幸い怪我はないようだった。


 無事を確認して安堵し、強張っていた身体を無意識にほぐす。

 ついでに自分自身にも怪我がないかを確認し、すぐさま再びユキさんへと目を向ける。


 ——その、ほんの一瞬だった。


 彼女から目を離した、ほんの刹那の間に。

 足元の床に亀裂が走り、崩落が始まっていたのだ。


 呆然としていたユキさんは、裂け目の拡大とともに、吸い込まれるようにその穴へと落ちていく。


「っ……!」


 反射的に、俺は彼女の手を掴もうと、飛び込むように右手を伸ばした。


 


 ——その瞬間、世界から音が消えた。


 宵月詩の黒髪と、トレードマークの赤いメッシュが、ゆるやかにたなびく。

 まるで時間がゆっくりと流れているかのように、落ちていく彼女に手を伸ばすと、彼女も助けを求めるようにこちらに手を伸ばしてきた。


 頼む——届いてくれ。


 指先が触れた、その瞬間。

 まるで時間が凍ったかのような感覚とともに、俺は無我夢中で彼女の手を掴んだ。


 ——だが、次の瞬間。

 さらに広がる亀裂により、俺の足元も崩れ落ちた。

 必死に体勢を立て直そうとするも、どうにもならない。


 俺とユキさんは、繋いだ手のまま、崩れ落ちる床ごと、深淵へと落ちていった。

 反射的に彼女を抱き寄せ、守るようにその体を包む。


 そのとき初めて、俺は落下していく先にあるものを見て、息を呑んだ。


 そこにあったのは、ビルの階層ではなかった。

 古びた石畳のフロア——


「な、なんだ……これは!? どこだ、ここ……」


 だが、その石畳の中央にも、また穴が開いていた。

 俺たちはそこへ吸い込まれるように、さらに落下する。


 穴の先には——広大な草原が広がっていた。


 あまりの光景に、言葉を失う。


 放心したまま地面に目をやり、気づく。

 このままでは、地面に激突する。


 死を覚悟し、身体が強張った、その瞬間——

 地面には、またも穴が開いていた。


 落下は、止まらない。


「ね、ねえ……私たち、どうなっちゃうの、かな……」


 不安げに、ユキさんが言う。


「分からない……でも……せめて、ユキさんだけでも……」


 無意識に漏れた言葉だった。

 その言葉に、彼女の手に込められる力が強くなる。

 俺も応えるように、彼女を抱きしめた腕に力を込めた。


 


 草原の先にあったのは、広大なだった。

 そしてその中央にも——当然のように、穴があった。


 不思議なことに、海水は穴へ流れ込んではいないようだ。



 どこまでも、落ちていく。


 テレビで見たスカイダイビングは、風圧で顔が歪むほどだったのに——

 今の俺たちには、ほとんど何も感じない。

 ただ、ただ、落ち続けるだけだった。


 


  次に辿り着いたのは、雷が絶え間なく落ち続ける世界だった。


 さらにその下には——

 吹雪が吹き荒れる山岳地帯。

 起伏の激しい砂漠。

 巨木が立ち並ぶ原生林。

 溶岩が噴き出す灼熱の岩場。

 無数の墓石が並ぶ、薄暗い荒野。


 ありとあらゆる〝世界〟を、俺たちはただひたすらに、落ちていった。


 


 落ち続けるうちに、やがて気づいた。

 どの世界も、同じ形をしていることに。


 草原も、海原も、山岳地帯も、砂漠も、荒野も——

 さらには、雷が降り注ぐ世界フィールドですらも。

 そのすべてに、共通する構造があった。


 地形は、完全な円形。

 ふちは高く盛り上がり、中央だけが平らに、そして深く沈んでいる。


 〝すり鉢型の世界フィールド〟。


 それはまるで——



「……! まさか、迷宮メイズ!? しかも、階層型迷宮ダンジョンなのか?」


 ——あり得ない。そう思いたいのに。

 けれど、あまりにも、見覚えがあった。


 何度もプレイした、あの世界が脳裏にフラッシュバックする。


 『Pentamorph: ペンタモーフ: Warウォー of オブ Remnantsレムナンツ』シリーズの一作。

 トレーディングカードゲームをベースにした、VRMMO——

 『Pentamorph: ペンタモーフ: Arcane アーケイン Convergenceコンバージェンス』。


 ——その、世界そのものだった。


 疑問に対する答えは与えられず、俺とユキさんは抱きしめあったまま、なおも迷宮の奥深くへと落ちていった——。

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